豊川稲荷東京別院開運法❣️豊川稲荷が何故最強か⁉️戦国武将達‼️の位牌奉納❣️
(毎日、赤坂トライアングルの氷川神社、日枝神社、豊川稲荷にお詣りしながら、修証義、甘露門、おみくじ、大祓詞で見えない世界の整理整頓に挑戦しながら、私の勝手な独断と偏見の試行錯誤を繰り返し、勝手な自己満足ながら、効果を実感した実践や気付き、グローバルな用語で言うベストプラクティスを生意気ながら、共有させて頂きます。万が一気になれば試したり参考にして頂ければ幸いです。)
この記事では、
三河にある豊川稲荷本院の最深部にある、
位牌や仏像ばかりのお堂の中の
徳川家康公と
徳川家の将軍達の
事だけを書かせて頂きました❣️
それ以外の戦国武将はどうなのか⁉️
の公開情報が無いと思いこんでいた⁉️
からです。
しかし、
二つの情報源から情報を頂きました❣️
一つ目は、
豊川稲荷本院と豊川稲荷東京別院の
パンフレットです‼️
豊川稲荷本院のパンフレットには、
「中にも当山中興の開基今川義元公をはじめ、織田信長、豊臣秀吉、九鬼嘉隆、徳川家康、 大岡忠相、渡辺峯山、有栖川宮熾仁親王等諸公も深く信仰され、殊に有栖川宮は「豊川閣」 の扁額を寄進せらる。又当山直轄の東京赤坂「豊川稲荷別院」は、江戸の名奉行と称され た大岡越前守忠相公が生涯守護神とされる尊像を祀る。」
とあり、
豊川稲荷東京別院のパンフレットにも、
「豊川稲荷を信仰した方としては、古くは今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、九鬼嘉隆、渡辺崋山など武将達から信仰を集め、さらに江戸時代には庶民の間で・商売繁盛・家内安全・福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。」
や
「当別院は江戸時代、大岡越前守忠相公(おおお
かえちぜんのかみただすけこう)が日常信仰さ れていた豊川稲荷のご分霊をお祀りしています。
赤坂一ツ木の大岡邸より明治20年に正式に遷座 し、直轄の別院となり今日に至ったものです。」
とあります❣️
明確に戦国時代を終わらせた
三英傑❣️、
その仲間や‼️ライバル‼️
の戦国武将から
江戸時代後期の有名人、
さらには、
江戸時代後期・明治時代の日本の皇族で、
かつ、
豊川稲荷を廃仏毀釈から守る交渉の
橋渡しをした
有栖川宮熾仁親王公の名前もあります。
そして、
稲荷アレルギーだった頃の私なら⁉️
今川義元の桶狭間での死‼️を筆頭に、
織田信長の本能寺での死‼️
九鬼嘉隆の死‼️
豊臣家の末路‼️から
徳川幕府が滅んだ⁉️のまでを
豊川稲荷信仰⁉️を理由していたと思います😂
しかし、今、感じるのは、
目に見えない世界のご神霊である、
豊川吒枳尼真天様から見れば、
ご神霊が祟ると言う考え方⁉️自体が
理解出来ない❣️ハズですし、
で書かせて頂いたように、
そこまで暇では無い❣️
と言うのが本音だと実感する次第です、、、
