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私にとってのコスプレは、「究極の自己否定」だった。


私は、猫の被り物をかぶって
言葉を届けています。

AIだと思われることもあるけれど、
猫の頭を被っただけの、ただの人間です。

そして、いろんな服を着ているのは
いわゆる「コスプレ」というものです。

学生時代から、
好きなキャラクターになりきることが大好きでした。

ただの趣味。
そう言ってしまえば、それまでかもしれません。

でも私にとっては、
24年間、切っても切り離せなかったもの。

もはや。
人生の助手席にいつも座ってくれていた、みたいな感覚すらあります。

発信するようになってから、
「コスプレ」について振り返る機会が多くなりました。

その中で、ふと

「コスプレは、究極の自己否定だった」

と表現した自分がいました。


24年前にコスプレを知って、
なんとなく自分の中にあったものが
はじめて「形」になったような気がしました。

最近は、コスプレ人口も増えて、
自己表現、
推しへの愛、
様々な想いで楽しんでいる方が多いと思います。

でも、私にとってのコスプレは、
「究極の自己否定」がはじまりでした。

そこから気づいたものを、
今日は少し書いてみようと思います。


当時のコスプレ写真も載せてみました。
見たい方だけ、後半も読んでいただけたら嬉しいです。

顔は隠していますが
当時の雰囲気が少しでも伝わればと思い、置いておきます。



自分のことが嫌いだった


はじまりが、いつだったのか分からない。

気づいたときには
「なんだか私はいない方がいいような気がする」
当たり前のように思っていた。


学校の中でも。

親戚の集まりの中でも。

家族だけしかいない、家の中でも。

きっと、私はいない方がいい。


仲間にいれてもらえないと
「悲しい」
「なんで?」よりも、

『やっぱりね』

そんな風に妙に納得する子どもだった。

親が喧嘩すれば、私が悪い子だからだ。

だから、親の喧嘩の責任はずっと自分にあると信じていた。


そこに、安心はなかったし、

「私自身」でいられる余裕なんて1ミリもなかった。

私は、私が嫌いで仕方なかった。


唯一息ができた場所は、インターネットだった


小学生の頃から、なんとなく感じていた周りの子たちとの違い。

それは、中学生の頃には、はっきりと色濃く浮かび上がっていた。

クラスには、ひとりも友達がいなかった。

けれど、高校に入ると
その状況は一変する。

親友と呼べる存在ができた。

その子は、「校内で一番モテる女の子」だった。

親友と過ごす時間が増えるにつれて、
それまで友達がいなかった私にも、急に話しかけてくれる人が増えた。

少しだけ、世界が変わった気がした。

でも、その時間は長く続かなかった。

しばらくすると、みんな口をそろえて言う。

「〇〇ちゃんを紹介してほしい」

そのとき、私は気づいた。

みんなが見ていたのは、私ではなかった。

みんなの視線の先には、親友がいて。

私は、ただの窓口だった。

『やっぱりね』

そう思った。

でも、今までのように
それを受け止める余裕は私には残っていなかった。

私は、声をかけてくれた人たちを
「友達」だと思ってしまっていたから。

みんなに「私」が見えているはずなのに、
誰も「私」のことを見てくれてはいない気がした。

それが、たまらなく恥ずかしかった。

それならば、誰にも見られていない方がよかった。


毎日のように親友は誰かに誘われて。
私は、その「ついで」。

『私はいないほうがいい』

心のどこかで信じていたことが、
現実として突きつけられた気がした。

学校にいる時間が、
どんどん苦しくなって仕方なかった。

そんな私が、唯一息をできた場所。

それが、インターネットだった。

自分を消せるネットが、唯一の居場所になった


その頃の私は、ネットの世界で
「なりきりチャット」をしていた。

今の人にはあまり馴染みがないかもしれない。

好きなキャラクターになって会話をする場所。

そこでは名前はいらない。

実際チャットに参加するときは
自分ではなく「キャラクター」として言葉を交わす。

名前も、
感情表現も、
発する言葉の温度も。

全部、キャラクターのもの。


今思えば、
私はその頃から、ずっと誰かになっていた。

学校でも、自分ではいられなくて。

家でも、自分ではいられなくて。

ネットでも、自分を消せる場所を探した。

心の底から「私」なんか、
どこにもいなくていいと思っていた。

インターネットは完全に自分を消せる場所。

存在を消したかった私が、
やっと見つけた、安心できる世界だった。

自分を消すことで、
息がしやすくなることを、このとき知った。


隠しリンクの先にいた、憧れの人


なりきりチャットの管理人の人柄が、とても好きだった。

「冷たく感じてしまうから」と
「(苦笑)」と語尾につけることをチャット内で禁止にしていた。

いつも、言葉の終わりには「♪」をつける人だった。

言葉の温度を、
誰よりも大切にする人だった。


私は、
その人の世界が、とても好きだった。

言葉ひとつひとつに、
丁寧に愛がコーティングされているような
そんな言葉を書く人。

学校がしんどくても、
家の中が落ち着かなくても、

それでも、その言葉を見ている時間が
私の息ができる時間だった。


ある日、そのサイトの中に隠しリンクを見つけた。

「この先、コスプレ注意」と注意書きがあって。

コスプレという言葉すら知らなかった私は、
その人がやっていることならなんでもOK!と思って、
ためらうことなくリンクを開いた。

何も分からずに開いた先にあったのは
その人の写真だった。

なりきりチャット内で
その人が担当しているキャラクターの姿をしていた。

私が一番大好きなゲームのヒロインだった。


それが、「コスプレ」というものを
その時にはじめて知った。


本当にぶっちゃけて言うと、
心から驚いた。

「完全に知らない世界すぎる」

「見ちゃいけないものを見てしまった」

そう思った。

あの当時は、
インターネットで「顔出し」というのがまだ珍しい時代だった。(と思う。少なくとも私の中では)

だから、「ネットの人」が「生身の人間」だということが
いまいちピンときていない部分もあった。

そのことに、まず大きな衝撃を受けた。


でも、不思議なことに。

嫌悪感はなかった。

一切といっていいくらいに、なかった。


むしろ、

私の好きなキャラクターが、いる。

温度のある言葉を書く管理人さんが、実在する。

その事実が奇跡のように感じた。

管理人さんのコスプレ写真を見た瞬間、

画面の向こうの世界が、
急に現実とつながった気がした。


誰かのフリをしてもいいんだと思えた


ゲームの中だけだと思っていたものが、
急に現実の世界と交わったことで、ずっと頭から離れなくなった。

相変わらず、学校へ行くことは苦しかった。

私の人間関係は、相変わらずだった。

でも、その日から、

現実とは別の世界が、
心の中にひとつ増えたような気がしていた。

ちょうど、その頃。

「自分らしくいるのが怖いなら、誰かのフリしたっていいんじゃない?」

木村カエラ『level42』


という歌詞に出会った。

その言葉を見たとき、なぜだか涙が出てきた。


会いたいから、私もコスプレをした


なりきりチャットの管理人が、
遊園地のコスプレイベントに参加することを知った。

なりきりチャットの仲間たちも、
その機会に「オフ会」をしようと盛り上がっていた。

私も行きたいと思った。
でも、そのままの自分で行くことが怖かった。

ネット上では楽しく会話できるけど、
ネットの世界の人と直接会うなんて怖くて仕方なかった。

その時、

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