【第9回】しらふ日常のリアル・「包丁を握る手が震えていた」暗黒期を超えて。料理を愛する本当の自分
献立を考えることすら億劫で、震える手でキッチンに立っていた頃
お酒に脳も生活も乗っ取られていた頃の私にとって、毎日の「料理」は、ただただ苦痛で億劫な「タスク」でしかありませんでした。
とにかく献立を考えるエネルギーがない。 スーパーに行っても思考が働かないため、クックドゥなどの合わせ調味料や、お惣菜の素をカゴに放り込むだけ。夕方のキッチンに立つ段階で、すでに私の頭はお酒を飲むことで頭がいっぱい(日によっては、すでに飲み始めている)だったのです。
本当にひどい時は、アルコールの影響で包丁を握る手が震えていたこともありました。 そんなボロボロの状態でまともな品数を作れるはずもなく、食卓の寂しさを誤魔化すために、主人に内緒でお惣菜の副菜をこっそり買い足してはお皿に移し替えて並べるーーそんな日もありました。
「私、どうしようもないな……」
買ってきた食材を使い切ることもできず、冷蔵庫の中で傷んでいく野菜をこっそりと捨てる。罪悪感に苛まれながらもどうにかやり過ごす。当時の私のキッチンは、私の荒れ切った心そのものを映し出す、お酒の匂いにまみれた暗い場所でした。
2年8ヶ月のしらふが連れてきてくれた、本来の私
お酒を完全に辞めて、2年8ヶ月。 ある日、キッチンでトントンと軽快に包丁を動かしながら、ふと気がついたことがありました。
「私、もともと料理を作ることが大好きだったんだ」
お酒という霧が頭から完全に晴れた今、私のキッチンは、180度違う眩しい場所に生まれ変わっています。
今の私は、スーパーの売り場で「あ、菜の花が出ているな」「瑞々しい夏野菜が美味しそう」と、季節の移り変わりを五感で楽しみながら献立を考えられるようになりました。
合わせ調味料に頼る必要もありません。(旅行帰りや時間がない時など、たまには使用しますが。笑) しらふのみずみずしい味覚で、出汁や素材の旨みを繊細に感じながら味付けをする時間が、楽しくてたまらないのです。
自然と食卓は、野菜中心で健康的、そして品数も申し分ないバランスの取れたものになりました。計画的にお買い物ができるようになったので、食材を腐らせて無駄にすることも一切ありません。
何より、お酒をやめて丁寧に作ったご飯を、一番近くで見守ってくれている主人が誰よりも喜んでくれています。
主人は毎晩「今日も美味しいご飯をありがとう」と笑顔で言ってくれ、食べ終わったあとは当然のように食器を洗ってくれます。かつて、震える手でお惣菜を移し替えていた私を、責めることもなく静かに見守ってくれていた主人に、今、自分のお料理を食べて喜んでくれる主人を見ることが嬉しくて仕方がありません。
さらに最近では、近所に住む大好きな家族にも、作った料理を振る舞う機会が自然と増えました。
食卓を整えることは、大切な人との絆を結び直すこと
お酒を飲んでいた頃、私は食事を「アルコールを流し込むための、ただのつまみ」としか思っていませんでした。
けれど今の私にとって、料理とは「自分を労り、大切な人を笑顔にし、温かい時間を共有するための最高のツール」です。
私が選んだ新鮮な食材が、私と、主人と、大好きな家族の血となり肉となり、明日の元気を作っていく。その確かな手応えを感じられることが、しらふを生きる私にとっての、何よりの贅沢であり誇りです。
お酒をやめた私のキッチンには、今日もトントンと心地よい包丁の音が響き、大切な人たちの「美味しい」という笑顔と、優しい湯気が優しく立ち上っています。
(つづく)
