【読書感想文】子どもの「言い間違い」から学ぶ言語習得【きょう、ゴリラをうえたよ】
「きょう、ゴリラをうえたよ」
このタイトルには、思わず笑ってしまった。
『きょう、ゴリラをうえたよ』は、私がよく見ているYouTubeチャンネル「ゆる言語学ラジオ」のパーソナリティ、水野太貴さんが出版した本だ。
「ゆる言語学ラジオ」は、言語の成り立ちや法則を、文字通り「ゆるく」解説してくれるチャンネル。
言語学なんて難しそうに聞こえるけれど、身近な言葉を題材に、「へえ、そういうことだったのか」と思わせてくれる。
今、私が一番おすすめしたいYouTubeチャンネルの一つだ。
そんな「ゆる言語学ラジオ」でリスナーから集めたのが、子どもたちの「言い間違い」。
本書では、それらの言い間違いを単なる面白エピソードとして終わらせず、
「なぜ、子どもはそんな言葉を生み出したのか?」
というところまで掘り下げていく。
タイトルになっている「きょう、ゴリラをうえたよ」も、もちろん子どもが本当にゴリラを地面に植えたわけではない。
そこには、子どもなりの言葉の理解と、子どもなりの論理がある。
本のネタバレになってしまうので、具体的な内容にはあえて触れない。
ただ、子どもがいる家庭なら、ぜひ一度手に取ってみてほしい。
クスリと笑えるのに、「子どもって、こんなふうに言葉を覚えているのか」と、発達の仕組みにも興味を持たせてくれる。
そんなエピソードが詰まった一冊だった。
「間違い」ではなく「仮説」なのかもしれない
この本を読んでいて、特に面白いと思ったのが、子供の言語習得の過程は、アブダクション(仮説推論)である、という考え方だ。
子どもの言い間違いを聞くと、つい、
「それは違うよ」
と訂正してしまう。
でも、よく考えると不思議だ。
なぜ、その間違いになったのだろう?
子どもは、でたらめに言葉を発しているわけではない。
大人が使っている言葉を聞きながら、
「たぶん、こういう意味なんだろう」
「こういうルールなんだろう」
と、自分なりの仮説を作っている。
そして、その仮説を使って、新しい言葉を生み出していく。
その結果、大人からすると「間違い」に見える言葉が生まれる。
つまり、言い間違いとは、
子どもが言葉について考えた痕跡
なのかもしれない。
ここで出てくる「アブダクション」
アブダクションとは、簡単に言えば、
「目の前で起きていることを、一番うまく説明できそうな仮説を考えること」
だ。
例えば、朝起きて道路が濡れていたとする。
「道路が濡れている」という事実だけでは、雨が降ったとは断定できない。
誰かが水をまいたのかもしれない。
何かの事故で水が漏れたのかもしれない。
それでも、
「雨が降ったのでは?」
と考える。
これがアブダクションだ。
つまり、
結果を見る → 原因を推測する → 一番もっともらしい仮説を作る
という思考である。
そして、子どもの言葉を見るときにも、この考え方が使える。
例えば、子どもが大人ならあまり使わないような言葉を突然口にしたとする。
普通なら、
「言い間違えた」
で終わる。
でも、
「なぜ、この言葉になったんだろう?」
と一歩踏み込んでみる。
すると、
「似た音の言葉を結びつけたのでは?」
「別の言葉のルールを当てはめたのでは?」
「大人の言葉を、自分なりに解釈したのでは?」
と、いろいろな仮説が生まれてくる。
すると、子どもの「間違い」が、急に面白いものに見えてくる。
「アンパーンキーック」という娘
ここで、私の3歳になる娘の話をしたい。
娘はアンパンマンの大ファンで、いつも食い入るように見ている。
ところが、何度も見ているはずのアンパンマンの必殺技、
「アンパーンチ!」
を、なぜかいつも、
「アンパーンキーック!」
と言ってしまう。
しかも、動作はちゃんとパンチ。
言い方もかわいくて、私はこの「アンパーンキーック」が結構好きなのだ
が、本を読んだ後、
「これにも、娘なりの仮説があるとしたら?」
と考えるようになった。
最初は単純に、
「アンパーンチ」と「アンキック」のような言葉が、頭の中で混ざっただけ
なのかなと思っていた。
でも、もしかすると、
「自分の名前」+「技名」
というような何らかの規則性を、娘なりに見つけているのかもしれない。
「アンパーンチ」を、
「アンパン」+「チ」
という一つの単語としてではなく、別のまとまりとして捉えているのだろうか。
あるいは、音の似た言葉を自分なりに組み合わせているのだろうか。
そう考え始めると、
「アンパーンキーック」
という一言が、ただの言い間違いではなく、
娘の頭の中で作られた、小さな仮説の結果
に見えてくる。
(・・・ちなみに、さらに調べてみると、「アンパーンキーック」という技自体も、アンパンマンが一度だけ使ったことがあるらしい。それなら今回の話は終わってしまう。)
さすがに考えすぎかもしれない。
でも、こうやって「なぜそう言ったんだろう?」と考えること自体が、今回この本を読んで得た一番大きな変化だった。
「間違い」は、思考の中身を覗く窓になる
ここが、この本の一番面白いところだと思う。
正しい言葉だけを見ていると、子どもがどうやって言葉を理解しているのかは、なかなか見えてこない。
でも、間違った言葉を見ると、
「どうして、その答えになった?」
という疑問が生まれる。
そこから仮説を立てる。
つまり、
言い間違い → 疑問 → 仮説 → 子どもの思考への理解
という流れが生まれる。
言い間違いは、子どもの頭の中を覗くための、小さな窓なのかもしれない。
そして、これは子どもだけの話ではない
実は、大人も同じことをしている。
知らない言葉に出会ったとき、
「たぶん、こういう意味だろう」
と推測する。
知らない人の行動を見て、
「きっと、こういう理由があるんだろう」
と考える。
ニュースを見て、
「なぜ、こんなことが起きたのだろう?」
と原因を推測する。
私たちは日常的に、目の前の事実から「もっともらしい説明」を作っている。
だからアブダクションは、難しい哲学や論理学の話というより、
人間が世界を理解するために、普段から使っている思考法
とも言える。
この本を読むと、「間違い」の見方が変わる
『きょう、ゴリラをうえたよ』は、表面的には子どもの面白い言い間違いを楽しむ本だ。
でも、その奥には、
「人間はどうやって言葉を理解しているのか?」
という大きなテーマがある。
子どもの言葉を「間違い」として片付けず、
「なぜ、そう考えたんだろう?」
と考えてみる。
すると、そこには子どもなりの仮説やルールが見えてくる。
そう考えると、
「きょう、ゴリラをうえたよ」
という一言も、単なる面白い言い間違いではない。
子どもが世界をどう理解しているのかを教えてくれる、小さな思考実験
なのかもしれない。
子どもが何かを間違えたとき、
「それ、違うよ」
とすぐに訂正するのではなく、
「どうして、そう思ったの?」
と聞いてみる。
その一言から、子どもの頭の中にある「世界のルール」が、少しだけ見えてくるかもしれない。
そして、子どもの言い間違いを楽しめる親になったほうが、子どもの世界をもっと面白く覗けるのかもしれない。
