#17- 【アジアトイレ紀行】より「中国──農村トイレ回想録」
こんにちは!「アジ研サードプレイス」です🙌
このPodcastは、千葉県に所在する、とある研究機関に勤める研究者・ないとうさんと研究マネジメント職・ユリユリが、おすすめ論文・記事をピックアップしながらゆるくおしゃべりする私的Podcastです。
遂に、あの人気コラムの最終回が公開されました!
筆者の山田七絵ネキが、中国農村で長年現地調査をしながら、そこでのトイレ体験を振り返る大トリの回。中国では政府主導の「トイレ革命」により近代化が進む一方、地方にはまだまだ「ニーハオ・トイレ」と呼ばれる仕切りのないトイレが残っています。(さらに、記事の中では、ニーハオ・トイレを穴型、溝型など様々な形に分類して解説。笑)
例えば、筆者によれば、雲南省の棚田地域には、人糞や家畜の排せつ物を貯留池にため、季節ごとに水路を通じて棚田に流す「沖肥」という施肥方法があります。排せつ物を有機肥料として有効利用し、しかも傾斜を利用して施肥の作業を省力化するという一石二鳥の知恵。
長年上流の集落の人々はルールに則って水源林を守り、湧き水を使いし尿と労働力を投下して棚田で稲を栽培し、コメや魚、稲わらや水草を食料や家畜の飼料として利用するという永続的な物質循環システムのなかで生活を営んできた。山―森―水―集落―棚田が織りなす巨大なエコシステムのなかで、トイレは養分を田に還元する重要な役割を果たしている。
排泄物を汚いもの、処理すべきものとして扱うのではなく、資源の1つとして扱うという壮大な発想に、なんだか普段抱えている悩みがちっぽけに感じられてきます。
環境資源やエネルギーの分野で糞尿の活用が話題になることも多いですが、経済的な視点から見れば糞尿=お金。
また、例えばこの雲南のエコシステムにおいて、集落に近い棚田の方が沖肥の恩恵を受けられるのであれば、土地のグレードにも影響するのでは?(=所得にも影響が出る?)という経済学的な問いを立てると、今後も様々な調査研究の可能性があるのです。
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「文明」と「文化」とトイレ
ここで、本コラムの第1回目の記事を振り返ってみましょう。
司馬遼太郎は、文明を普遍的で便利なもの、文化を特定の集団でのみ通用する不合理なものと定義しました。一般的に言えば、経済成長やグローバル化によって文明は進展するものであり、水洗トイレ・洋式トイレの普及はその流れに位置づけられます。しかし他方で、アジアの伝統的なし尿循環システムが断ち切られ、水質汚染や汚水処理などの新たな環境問題を生みました。
一方、文化的な面でトイレ事情を振り返れば、それは観光地のトイレ利用において顕著に現れます。外国人観光客は和式トイレを敬遠したり、宗教的規範から温水洗浄便座や石鹸の常備を求める声も。快適さを追求する「文明」と、特定の集団に根ざした「文化」との間で、トイレを巡る摩擦が、そこかしこに生じているといえるのです。
さらに「文化」に関して言えば、記事の中で紹介されている通り、人間は二足歩行により臀部が発達したため、動物のような自然脱肛ができず、排泄後にお尻を拭く(洗う)行為が必要になったことから、筆者はお尻を拭く(洗う)のはきわめて人間的な行為であり、その方法は文化の問題であると論じます。社会がどんなに文明化が進んでも、文化はそれぞれの社会で独自の進化を遂げるのです。
日本のトイレ技術は確かにすごいし、日本のトイレがいかに「綺麗」で「快適な空間」に保たれているか、大絶賛する人が多いでしょう。
しかし、これまでに紹介したトイレ記事を読んでいくと、いかに清潔感や羞恥心に関する価値観が文化によって異なるか、ということに気付かされます。
もちろん、大前提として、普段私たちが安心して用を足せる環境があることって、本当にかけがえのないことなのだ、ということも心に留めておかなければなりません。
たかがトイレ、されどトイレ。
トイレからこんなにも見える世界が広がるなんて、すごい体験をしたなぁと思う、ないとうさんとユリユリでした。🕊️
これまでに紹介したトイレ記事
▼ないとうさんとユリユリの衝撃中国トイレ体験
▼トイレの清潔さに対する価値観って、国によって違うよね。
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それではまた次回お会いしましょう、再见~!👋
