村上春樹『夏帆』評論を書きながら、書くのを止めたくなった理由と肩書の話「だから何?」

自分の書いた村上春樹『夏帆』評論を自分が読んだら「だからなに?」としか思えなかった。

最近、村上春樹の新作の評論をいくつも書いている。
『夏帆』が発売されて、他の書き手も盛り上がっている。

まあ確かに春樹の過去の作品との比較や時事的な社会情勢と突き合わせて、あーだこーだと捏ね上げて結論を出しているが、結局はまあ確かによく考えたけど「だから何?」となるのだ。

これが文芸評論の虚しさだ。
結局凄いのは小林秀雄が書いたから凄い、英文学者のなんとか教授が書いたからすごいということしか読み手が評価できないのだ。

文体の頻度分析などをかければそれっぽく科学になるが、結局は上級読書感想文であって、たしかにすごいが、課金をしようとは思わないし、書き手の肩書しか読み手として頼れるところがない。

まだ俺の書き手としての位置では、評論を書くべきではないのだ。
評論は肩書を読ませるものだ。
だから最後に書くべきなのだ。
だから「どうもありがとう!」と叫んでこの沼から飛び立つのが合理的なんだ。

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おやすみなさい。

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