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忌み地 第六章 結花子 ② 

 先生が訪れるまで、結花子は必死で平静を保っていた。見なかったことにする、わからなかったことにする、聞こえなかったことにする。

 もちろん先生のことは夫には黙っていた。ばれてしまったら、先生は追い出されてしまい祈祷を最後までやってもらうのが厳しくなるだろう。そうしたら、しわ寄せは全て結花子に来る。おなかの子を守るためにしたことが全部水の泡となる。

 夫が会社に行っている間に、先生が谷地の家に訪れた。弟子の運転する車が敷地内に駐車する。すでに先生は白い巫女装束に身を包み、いつでも霊視出来るように準備万端の様子だ。結花子は恭しく先生を玄関に通した。先生が、鋭い目つきでじろじろと、まずは居間とそのほかの部屋を視ていき、最後に障子を開けて廊下に出た途端、顔をしかめた。

「邪気があちこちに漂っておるぞ。特にこの部屋から湧いて出てきておる!」

「ここが仏間です……。人形もここに置いてあるんです」

 先生がふすまをやぶにらみ、低く呻いた。

「おお、感じるぞ……。悪霊が渦巻いておる」

 結花子はふすまを開けて、先生を仏間に通した。心なしか、先生の歩き方がぎこちない。先ほどまでのキビキビした動きではなく、よろよろと足下がおぼつかないようだ。もしかすると霊を祓うのに必要なことなのかもしれないと思い、静かに見守った。

 仏間は相変わらずカビ臭い。仏壇には枯れた菊の花が活けてあって、結花子が毎日捧げているお供物は盆の上でひっくり返っている。

 先生が床の間に並ぶ日本人形にさっと目をやった。瞬く間に顔色が変わったのを、結花子は見逃さなかった。力のあるすごい先生でも、この人形の前ではたじろぐのだと思った。

 後ろから付いてきた弟子が、仏壇の前ではなく、人形の前に簡易な祭壇を作った。しっかり準備万端整った先生が「ぐうう」と唸ってよろよろ床の間に近づき、たまたまなのか、それともわかっているのか、奥にある一番古い木彫りの人形をわしづかみにした。

「これが諸悪の根源だ!」

 そう叫んで、人形を手荒に扱った。その拍子に、人形のほころびた着物の布地が裂けてしまい、中からおがくずではなく白い小さなかけらがたくさん落ちてきた。結花子は畳にこぼれ落ちるそれを見て背筋が凍った。畳に転がった木彫りの人形の目が結花子たちを睨んだような気がした。

 次の瞬間、先生が震えながら悲鳴を上げる。

「これはいかん……! これは私の手には負えない」

 どういうことか、と結花子は驚いた。先生は悲鳴を上げた途端、よろよろと仏間を出て駆けだした。お気持ちも受け取らず、弟子がすぐさま荷物をまとめて、あっという間に家を出て行った先生のあとを追っていく。

「先生、どこへ行くんですか!」

 結花子は追いかけたけれど、さっさと先生は車に乗って去ってしまった。

 残された結花子は嫌々ながらも仏間に戻り、畳に落ちている古い木彫りの人形を手にした。着物が裂けて、中に詰められていたものが畳の上にこぼれている。

 しゃがみ込んで、白いかけらを手に取った。それは小さな骨のようなものだった。

「これ……」

 以前、仏間で男が鉈を赤ん坊に振り下ろしている幻が脳裏に蘇った。

 男は赤ん坊の手を切り刻んでいた。小さな手が鉈でダンッダンッと刻まれていくのを見て自分は気絶したのだと思い出す。あれがもしも、ここでおこなわれていたことならば、あの人形の中にあるものは赤ん坊の指か、体の骨だ。指の骨だけでなく、ざらざらと他にも白い石のようなものがこぼれ落ちてくる。小豆か何かと思っていたものが骨だったとは想像すらできなかった。これを見て、先生は逃げ出した。何がいけなかったのか、結花子にはわからないが、見捨てられたことだけは理解できた。

 結花子は骨をまた人形の着物の中に押し込んだ。今起きたことを見なかったとは出来なさそうだ。先生まで逃げ出すほどの邪悪なものが、本当にこれらの人形たちに込められているのか。

 結花子は人形を畳に置き、台所からゴミ袋を持ってきて、木彫りの人形を始め、他の人形もゴミ袋に詰めていった。自分は祈祷も何も出来ないが、捨てることなら出来るはずだ。一度は諦めたけれど、今しかないと思った。

 人形をあらかたゴミ袋に詰めると、突っかけを履いてゴミ収集所に持っていった。燃えるゴミとして他のゴミと並べておいたが、特に自分に何か起こるわけではないようだ。

 こんなに簡単なことなら、早く捨てていれば良かった。夫の激高を怖がって人形を捨てることを諦めていたなんて。清々した気分で結花子は家に戻った。

 玄関を開けて居間に入ると、障子越しに開け放った覚えのないふすまが全開になっているのが見えた。嫌な予感がしつつも、スマホを握りしめて、いつでも警察に電話をかけられるようにした。そろそろと障子に寄って行き、耳を澄ます。仏間からは物音一つせず、心臓の鼓動のほうがうるさいくらいだ。意を決し、結花子は障子を開けて廊下に出た。すぐさま仏間に入っていき、気付いてしまった。

 誰もいなかったかわりに、床の間には四十一体の人形が並べられてあったのだ。

 ひっと息を飲んで立ちすくみ、背筋にぞっと怖気が走る。ゴミ袋に入れてゴミ収集所に捨てたはずなのに、人形たちが元に戻っている。近所の人が届けてくれたという答えはありえない。行くときも帰るときも結花子一人だけで、だれかに道で追い抜かれた覚えもない。

 では、なぜ人形が目の前にあるのか。結花子は混乱して仏間から飛び出し、雪見障子を勢いよく閉めた。すぐにふすまを閉じなかったことを後悔する。仏間からゾワゾワと蠢く黒い塊が這い出してきて、雪見障子にへばりつく。人の形はしていない。それなのに、くもり障子にへばりついた黒いものが障子に手をつくと、黒い小さな手形がぺたりと付いた。それがずるりと滑り落ちる。もう一度とペタリと付く。滑り落ちる。こちらに来たそうにペタペタッと二、三個右手、左手関係なく障子についた。天井から床まで、手形に埋め尽くされてバンバンと雪見障子が叩かれる。黒い塊から途方もない悪意を感じた。

 どのくらいその黒い塊と対峙していたかわからないが、気付くと雪見障子の向こう側には何もいなくなっていた。ただ無数の手形だけが残っていた。

 翌日の午前中に三宮祈祷所に電話をした。ちゃんとあれを祓ってもらいたかったので、催促のつもりだった。

「井野です。昨日はお世話になりました。先生にお祓いの続きをお願いしたいんですが……」

 電話口の向こうは慌ただしくしているのか、ざわざわと人が騒いでいる。

「すみませんが、先生はそちらに行けません」

 いつもは横柄な口調の弟子が、慌てふためいているようなうわずった声で答えた。

 結花子はそれを聞いて苛ついた。一度依頼したことを最後まで終わらせずに無視するのだろうか。

「そんな……、お気持ちもちゃんと準備してますから、最後までお祓いしてください」

「出来ないんです。先生、お亡くなりになったんですよ」

「え? どうして」

「霊視の最中に発作を起こされて」

 結花子は耳を疑った。まさか人形と関わった人間は偶然にも死んでしまうのだろうか。でもそれならなぜ自分は死なないのだろう。過去帳には本妻が第一子を産んだ後、死んだと記録されている。自分の場合はこの子を生んだ後に死ぬと言うことか。

 電話を切り、脱力して深くため息をついた。逃げようがないと言うことなのか。このまま死ぬしかないのか。

 死にたくないし、おなかの子を失いたくない。自分たちにはまだ逃げ道はあるのではないか。この家を出れば逃げ切れるのではないか。

 急いで寝室へ行き、ボストンバッグに手当たり次第に衣類や持ち物を詰め込んでいった。今のうちに逃げ出せば、夫にも見つからないはずだ。時計を見ると十二時過ぎだった。急げば大丈夫だろう。きっと逃げおおせる。


#創作大賞2025   #ホラー小説部門

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