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屍喰い蝶の島 三月二十二日 ④

 黒く沈む茂みや木の陰からひょっこりと顔を出すのではないか、と心臓が激しく鼓動する。しんと静まりかえっているのが反対に不気味だ。それよりもライトの弱々しさに夜の山の薄気味悪さが足下から徐々に夜須の心を侵食してくる。怖じ気づきそうな気持ちを「気のせいだ」とごまかしながら、どこか崩れかけて穴の一つでも開いてないかとうろうろとライトを当てて彷徨いたが、石が隙間なく積み重ねてあって、ちょっとやそっとでは崩れてきそうもなかった。あまりに綺麗な石の組み方を見て、和田津や大浦の石垣を思い出した。

 岩場の陰に水位の低い茶色に淀んだ泉があった。これが正光寺の住職が首を見つけた泉かと思い、首塚を探してみたが見つからなかった。惣領屋敷にあった首塚は元々ここにあったものかも知れない。

 案内板の由来書には事故で塞がれたとあるが、きっと石垣と同じ要領で塞いだのだろう。

 夜須がこの島に残る理由の一つ、いや、重要な理由はシジキチョウだ。鍾乳洞に入って、シジキチョウの卵か幼体を見つけようと思っていた。しかし、完璧に塞がれた入り口を見ると、非常に落胆した。

 それにここに交野がいるかもと思ったこと自体謎だった。いや、交野を見つけてどうするというのだ。交野がシジキチョウの住処を知っているとは思えない。知っていれば、夜須に最初に教えてくれるだろう。夜須がどんなに蝶に対して憧れを持っているか、夜須の近くにずっといた交野には分かっているはずだからだ。

 夜須は念入りにライトで石壁を照らしながら、どこかに欠陥はないかと探し続けた。

 それにしても、何故島民はここまで完璧に塞いだのだろうか。何を隠したのだろう。いや、もしかすると、こちらに来ないようにしたのか。

 スマートフォンの電池残量が半分になったとき、ようやく夜須は入り口を探すのを諦めた。他に確かめたい場所がある。惣領屋敷だ。あそこにはきっとシジキチョウについて書かれた文献がある気がする。どっちにしろ明日帰るしかなくなったのだから、残りの時間を有効に使わないともったいない。

 夜須は、手すりに掴まりながら、遊歩道を上下左右に、案内板通りに道を辿りながら山を下りた。

 すっかり夜の帳が島全体を包んでいる。ライト無しでは先も見えないくらい真っ暗だが、儚い月明かりに照らされて、ようやくものの形だけが黒く浮き上がっている。

 遠い空の彼方にある恒星も青白い光を放っている。空一面にぶつぶつと針で穴を開けたように星が密集し、ぎらぎらと輝いている。天の川もはっきり見えるほど、地上は暗い。

 足下もおぼつかない中、夜須はその足で惣領屋敷を目指した。

 石段を登り詰めた場所に惣領屋敷はある。

 門扉には電灯も点いていない。昨日訪れたままの荒れた空き家だった。交野はここで何を思って夜須を待ったのだろう。昔の仕返しをするつもりだったのだろうか。開け放たれた揚羽紋が焼き付けてある門扉を潜り、玄関の引き戸を開けて呼ばわるが誰の声も返ってこない。やはり空き家なのだろうか。夜須は土足で上がり込み、一部屋一部屋確認して回った。屋敷の中は闇に包まれて外よりも一層暗く見通しが悪い。

 夜須はスマートフォンのライトをつけて、辺りを照らし出した。

 シジミチョウの手がかりがあるかも知れないと思って、家具の引き出しを開けて探ってみるが、服一着も残されていない。あったとしてもゴミばかりで、もぬけの殻だ。辛うじて台所の調理器具や食器だけが残されている。

 座卓に食器類がそのままの座敷に入ると、掃き出し窓が開け放たれていた。

 闇に染まって黒ずんだ、ひらひらと赤い紙吹雪のようなものが飛び散っている。締め殺しの木に群がっている赤い蝶を見つけて、夜須は思わず叫んだ。

「シジキチョウだ!」

 それまでの恐怖心を忘れて、夜須はスマートフォンのライトからカメラ機能に切り変えて、まるで繭玉のように丸く渦を巻きながら舞うシジキチョウを画像に収めた。一、二枚では足らず、何百枚とあらゆる角度から撮り収め、さらに近づく。密集したシジキチョウが、球体状に飛びながら次第に人型へと変化する。

 夜須は写真を撮ることに無我夢中で、シジキチョウがまるで人のように寄り集まったことに気付かなかった。

 どんな画像を収めても、今度こそ削除などしないと心に誓っていた。人型の蝶がまるで首吊り死体のように締め殺しの木にぶら下がって見える。それがどんなに異常なことなのか、蝶しか見ていない夜須は気付けなかった。

 蝶の翅がつまめるほど、翅の柄も見えるくらい目の前にシジキチョウがいた。夜須はまじまじと観察する。赤い翅には斑点模様があり、紋様だけならゴイシシジミに似ていると判断した。大きさもゴイシシジミと同じで、約二、三センチほどだ。翅が開いたときに見える面が赤いのは理解できる。しかし、ほとんどの蝶は裏の面は違う色柄になっている。シジキチョウは珍しいことに、翅の表裏が赤く、同じ模様なのだ。

 雌雄同じ模様なのか、前翅と後翅の形は……、とせわしく目玉を動かして、夜須は観察した。

 昆虫採集の道具を持ってくれば良かったと後悔したが、もう遅い。ここで引き返して道具を持って戻ってきたら、すでに蝶はどこにもおらず、いなくなってしまったと成りかねない。とにかくスマホで画像を撮って、翅を台無しにしてしまうかも知れないが指でつまんでみようと思った。

 片手をそっとシジキチョウへ伸ばす。簡単に翅がつまめたと思ったのもつかの間、指の中でもがいていた蝶がとろりと蕩けて形を失い、夜須の手に赤い血液のような液体が残った。慌てて手を払って液体を飛ばす。どう見ても血液にしか見えない雫が辺りに飛び散った。

 夜須は言葉を失い、後退あとずさる。驚きに心臓がぎゅっと縮み、思わず荒く息を吐く。

「嘘だろ……」

 そのときになって、ようやく夜須はこれが異常なことだと気付いた。

 締め殺しの木に密集していた人型の首が動き、夜須のほうに顔を向ける。目も鼻も口もない、顔の部分は消失して黒く吸い込まれそうな闇が存在している。それが自分を見ていると確信した。

 シジキチョウが寄り集まっていたが、一旦散り散りになったと思うと雲霞のごとくいくつかの塊に凝り、次々と傍らにある井戸の蓋の隙間へと吸い込まれていく。

 思わず、蝶とも呼べない存在の跡を追い、夜須は竹の覆いを剥ぎ取った。交野が塩害に侵された井戸だと言っていた。強烈な糞尿の腐った臭いが辺りに漂う。この悪臭を粗末な竹の蓋だけで防げたのかと驚いた。刺激臭に鼻を押さえて、竹の蓋を地面に放った。

 井戸の中を見て、夜須は言葉を失う。そこには無数の首があった。皆、ドロドロに腐った肉が剥がれ落ち頭蓋骨が剥き出しになっている。

 夜須はあまりの悪臭と衝撃で吐いた。何度も嘔吐えずきながら、なんとかカメラ機能からライトに切り替えた。

 鼻を押さえつつ井戸の中を照らすと、やはり首が浮いている。幻ではなかった。その中に長い黒髪の女らしき首があった。じっと見ていると、少しずつ首が仰向けに動き、端正な顔を露わにした。ごく最近の死体なのか、これだけ腐らず残っていた。それとも、屍蠟化して何年もここに浮いていたのか……。

 口元を左手で押さえながら、ライトで首を照らし出す。女の首がゆっくりと上を向いたと思った途端、カッと目を見開き、目玉だけ動かして夜須を見た。

 夜須は見覚えのある顔にどっと冷や汗が出た。夢に見た女だ。端々しか思い出せなかった夢の断片が鮮明に蘇る。ありえないことだと、夜須をたたきのめした。

 八百年以上昔だぞ! あるわけがない! 首なんかとっくに腐っちまってる! なんでだ!? 何でてふの首がある!?

「う、わ……、あ、あああ……!」

 夜須は何度も声を上げる。腰が抜けて尻餅をつき、そのまま井戸から離れようともがいた。もがきながら後退ったとき、背中に柔らかなものが当たった。とっさにチラリと背後を見ると、赤い打衣の裾が見えた。

#ホラー小説部門   #創作大賞2025

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