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リバーサイド■■南には禁止事項が3つある 階段 【中里 亜都里】 ②

「さっきはどうしてあんな所にいたの?」

 堤さんに聞かれても、なんと言い訳すれば良いか思いつかない。

「何か分からないけど、話したくなったら話して」

 堤さんの優しさに心が救われる気がした。

 部屋の前で容器を受け取った。ただ気になるのは部屋に、堤さんから借りた容器と鍋がたくさん溜まっていることだ。

「あの、堤さん。お鍋と容器、返したいんですけど……」

 すると、堤さんがにこにこと笑って、「いいよいいよ、今度まとめて受け取るから」と答えた。

 結局できたての筑前煮を受け取って、堤さんと別れた。

 ドアを閉めて暗い玄関に佇む。部屋の奥から焦げた臭いがほのかに漂ってくる。カーテンを閉め切った部屋は闇に包まれて何も見えない。遮光カーテンがぴっちりと閉め切られていて微かな光も入ってこないから、本当に真っ黒く塗りつぶされたように見える。

 しばらくぼうっとしていたけど、のろのろと靴を脱ぎ、電気を点けた。どうしようもなく疲れてしまった。階段を何往復もしたから両太腿が筋肉痛になった。

 下駄箱にバッグを置き、キッチンまで足を引きずっていく。両手に持った容器をシステムキッチンの台の上に置いて、ローテーブルを眺めた。

 クッションが散らかっている。微かに焦げた臭いがする。換気扇を伝ってどこかの部屋の臭いが入ってきているのだろう。

 確かなのは、マンションで何かおかしな事が起こっている。スマートフォンのメモアプリを開いて夢日記を確かめたけど、階段の夢は見ていなかった。

 飲み慣れないお酒をたくさん飲んで、かなり酔っていたのかもしれない。夢でもないのに、こんな悪夢を現実で味わうはずがない。

 きっとそうだ。これは酔っ払ってしまったせい。今まで何事もなかったのに、お酒を飲んだ日に限って起こったんだから、これはお酒のせいだ。今度からはあまり飲まないようにしよう。

 わたしは気を取り直して、お風呂に入ることにした。

 

 あまりおなかは空いていないけど、キッチンに置いた容器の中身を見てみる。白だしを使ったのか色味の薄い筑前煮だった。一口頬張ると、意外にしっかり味付けされている。

 飲み会でそこそこ食べていたつもりだったけど、筑前煮が呼び水のようになって食欲が湧いてきた。

 箸と容器を一旦ローテーブルに載せて、クッションに腰を下ろした。途端に尾てい骨から虫が這うような寒気を覚えて、思わず息を飲んだ。

 夢を見てからすでに四日経っていた。黒い穴の中から這い出てくる黒い腕のイメージがまだ消えてないのか、あれからローテーブルでご飯を食べるのが気持ち悪く感じるようになっていた。

 黒い腕のイメージがフラッシュバックしたのと同時に、エレベーターで見た黒い腕も脳裏に浮かんだ。

 わたしは鳥肌の立った腕をさすりながら、容器を持って立ち上がりロフトを登っていった。どうしても夢で見た黒い穴が気になって仕方なかった。あの夢以来、落ち着いてテーブルでご飯が食べられない。

 実際に、目には見えない黒い穴が開いているんだろうか。焦げた臭いはその穴から出てきているんだろうか。

 いつの間にか設置されていた鏡から、黒い腕が襲ってきたことを思い出す。何十本も黒い腕がわたしに向かって突き出された。わたしを捕まえようと指が蠢いていた。

 わたしの姿が映っていたから鏡だと思ったけど、本当は違うのかも知れない。堤さんが言っていた、『異次元が重なってて、違う次元では三〇四号室がある』という言葉が蘇った。

 声とは違うから同じ物とは限らないけど、声は現に聞こえてくるし、もしも穴が本当にあるなら目に見えるはずだ。肉眼で見ることが出来ないなら、別の方法で見えるかもしれない。

 それに何度も見る夢が単なる夢とは思えなかった。わたしが見る夢は現実になる。夢を現実にしたくなかったら、夢とは違うことをしないといけない。そのためには穴があるかどうか確かめてみるべきだ。

 わたしはスマートフォンをポケットから出して、カメラ越しにロフトから下を覗いた。

 ベランダがスマートフォンの液晶越しに映し出された。何の変哲もない風景。問題のローテーブルへカメラレンズを向ける。

「ひっ」

 予想はしていたけど、実際に見てしまうと全身が総毛立ち、怖気にスマートフォンを持つ手が震えた。

 ローテーブルの上で、黒い穴がブラックホールのように周囲を吸い込み、渦を巻いている。穴は床に空いていたはずなのに、テーブルで隠しても意味がなかった。

 あんな場所で落ち着けるわけがない。クッションがいつも散らかって少し焦げてしまう理由も分かった。渦を巻く穴から、ゆらゆらと赤い炎が見え隠れしている。この部屋の焦げ臭さは、この穴が原因なんだ。

 穴を写真に撮れれば、自分の勘違いじゃないと思える。わたしは震える手で、何枚か穴の写真を撮った。

 確認しようと写真アプリを開いて見てみたら、いつも通りの部屋の画像が何枚かあった。写真を撮るときは確かに穴があった。それなのに、画像に収められない。

 もう一度、カメラ越しに穴を確認する。底の見えない暗い穴がぽっかりとローテーブルに空いている。また写真に撮って確認する。やっぱり、穴を画像に収めることができない。

 わたしは穴が見えない場所まで後退って、膝を抱えた。

 ここで生活できない。でも、行く当てはない。

 一番良いのは他の社宅を紹介してもらうことだけど、これは会社に掛け合うしかない。もうひとつは自力で引っ越すこと。白石さんに相談してみようか……。だけど、管理会社が賃貸会社みたいなことをするだろうか。

 でも、これ以上貯金を崩したくない。引っ越しするだけのお金がないから、かなり無理をしないといけなくなる。

 最後の手段として実家に帰るべきか考えてみたけど、あんな家に今更戻りたくない。ようやく出てきたのに、戻ったらどんな目に遭うか考えるだけで全身に震えが走る。

 きっと、義姉からは『やっぱりね、あんたが自立とか出来るわけないんだよ。社会不適合者だからね。それにあんたがここにいないとお義母さん達が困るんじゃないの? あたしは竜樹とこの家出るから、一生お義母さん達の世話をしてたらいいよ』と言われるだろう。

 母からは『帰ってくるって分かってました。亜登里ちゃんが一人で生活できるわけがないから。ママとパパがいないと。あなた、あんまり人付き合いがうまくないでしょ? 変なこと言ってもママなら理解してあげるから。だからずーっとこの家にいて、ママとパパの老後を看てね』と言われる。

 兄も『おまえ、落伍者だって周りから思われるの悔しくないの? ここにいたら、もしそうだとしてもまともに扱ってもらえるんだぜ? ここにいろよ。ママもパパもおまえを頼りにしてるんだからさ』

 みんなわたしを自立もできない出来損ないとして、都合良く家に縛り付けてくると思う。

 どっちにしろS県の実家に戻ったら会社を辞めなくちゃいけない。せっかく就職できたのにやめるなんて絶対に出来ない。

 それに、ここで諦めて帰れば家族に負けたことになる。一生あの人達の奴隷として生きていかないといけなくなる。それは絶対に嫌だ。わたしの人生を勝手に決めようとする人達に負けたくない。

 どうすれば、実家に戻ることなくここから出ていくことが出来るか、わたしは膝に顔を埋めて考えた。

 ここにこのままいたら無事では済まない。きっと、とんでもない目に遭うに違いない。どうにかして出て行かないといけない。そうしないと夢の通りになってしまう。

 でも、闇雲に出て行っても、現実的じゃない。毎日夢に注意して、お金を貯めながら働くほうが一番いいだろう。夢の通りにならないよう、いつか引っ越しをするために……。


#創作大賞2025   #ホラー小説部門

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