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リバーサイド■■南には禁止事項が3つある 縦方向 【中里 亜都里】 ②

 ここを離れたほうがいいと思って座ったまま一メートルくらい後退る。

 そのとき扉が軋んだ音を立ててわずかに開いた。

「ひっ」

 もうだめだと思って目をつぶり悲鳴を上げた。

 軽い音を立てて何かがクローゼットから落ちた。何だろうと薄く目を開けてスマートフォンのライトを当ててみる。

 土だ。何故土がこんな所から出てくるんだろう。あの黒い人間達は全て土だったのか? 

 あの化け物達が本当にいなくなったのか確認せずにはいられなくなって、恐怖とせめぎ合う気持ちをなだめながら、もう一度クローゼットの中に頭を突っ込んだ。

 けれど、予想に反してクローゼットの奥には広い空間も黒い人間の山もなかった。それなのに膝の下にある土の感触は消えない。よく見るとクローゼットの中に土の山が出来ていた。

 こんな夢は今まで見たことがない。こういうパターンの夢を覆すにはどうしたら良いんだろう。

 焦げ臭いんだから何かが燃えていたんだろう。黒い人間は何を指すんだろう。わたしの脳裏に黒い手が浮かぶ。

 まさか、このあいだ見た消し炭で出来たような腕と同じものなのか? もしも、これから起こることを指した夢でないなら、今までこの部屋で見てきた夢は全て過去に起こったことなんだろうか。過去に起こった事柄を覆すことなんて出来るんだろうか。

 土を踏む足の下でジャリッと音が鳴る。土は消えずにここにあった。

 もしもこれが夢でないなら、電気を付けても土が消えないなら、考えたくもないけど夢が本当に現実になったことになる。

 わたしは立ち上がって、スイッチを壁伝いに探し出して電気を点けた。遮光カーテンを閉めた室内が昼光色に浮かび上がる。

 用心してカメラ越しに穴の確認をしたが、やはり穴は開いていない。今度はクローゼットをカメラ越しに見た。床に黒い土が散乱している。土を踏んだ足と膝が黒くなっている。払いのけたら土のざりざりする感触が手のひらに残った。

 夢なのか夢じゃないのか分からなくなったわたしは、必死で土を払った。ベランダからカラスの声が聞こえてくる。朝が来たんだろうか。スマートフォンの画面を見て時刻を確認すると、いつの間にか一時間も経っていて、明け方の五時になっていた。

 夢が現実になるんじゃなくて、現実に何かが起きているのだけは理解できた。これをどうしたら良いのか見当も付かない。

 そのとき、わたしは白石さんがくれたお札のことを思い出した。お札はテーブルの上にある。お札を手に取って、ゆっくりと近づいて、クローゼットの開け放たれた扉の内側にお札を貼ってみた。両面テープを白石さんが貼ってくれていたおかげで手間取らなかった。

 本当にこれで大丈夫なのかは分からない。このお札の効果がすぐに現れるかどうかも分からない。分からないけれど、今はこれしか対処のしようがない。

 わたしは用心深く辺りをカメラ越しに確認した。部屋の真ん中に開いていた穴はやっぱり閉じている。

 穴を何かで隠せば、少しはましなんじゃないか。穴から手が出てくることもないんじゃないか。穴が開かないのはきっと白石さんがくれたお札をテーブルの上に置いていたおかげかもしれない。

 わたしはクローゼットの中身とタオル類を床に広げてみた。こんなことをしても無駄かもしれないけど、これ以外の対策がない。空になったクローゼットにもうおかしな空間はなかった。

 床に散らばった土を手でかき集めてゴミ箱に捨てた。床一面に服が散らばっている。まるで空き巣が入ったみたいな有様だ。

 この部屋にこれからも住みたいという気持ちが急激になくなっていくのがわかる。向日葵クリニックの先生はストレスからかもしれないと言っていた。この部屋がストレスの元凶なのだ。

 次第にこの部屋にいるのが辛くなってきた。引っ越しも出来ないのに、今はもう部屋から出て行きたいと思っている。

 でもどこに行けばいいんだろう。わたしが身を寄せられる場所はどこにもない。絶望的な気分になってきた。とりあえず、身支度してここから出よう。あと数日で大型連休がやってくる。出来ればその間だけでもここを離れていたい。

 わたしは呆然と突っ立ったまま、クローゼットを睨んでいた。

 

 六時になるのを待って、わたしは部屋を出た。遮光カーテンを閉め切ったままなので、名残惜しそうな感じで暗い気配がわたしの背中に絡みついてくる。見えない分、背後が怖い。穴から出てきた黒い腕が虫のような関節を伸ばしてわたしの肩に触れそうなくらい近づいている感じがする。

 振り向かないようにして、後ろ手で鉄扉を閉じた。廊下から外を眺めると、カラスが鳴きながら飛んでいるのが見えた。すずめの声も微かに聞こえてくる。外はすっかり夜が明けていた。

 自然光の下、部屋から出てようやく一息吐くと、わたしは予約をした総合病院に近いチェーン店のカフェで時間を潰すことにした。

 ようやく八時を回り、病院の受付が出来る時間になった。わたしは紹介状を持って受付を済ませ、九時の診察を待った。

 向日葵クリニックがあまりにも病院らしくなかったから、思わず総合病院の待合室と比べてしまう。向日葵クリニックはリラックスしてもらおうと気を遣っているのがよく伝わってきたけれど、総合病院は本当に待つだけの場所で、椅子も固いし周りに外来の患者さんがいるから落ち着かない。予約時間を少し過ぎて、わたしの順番を示す数字が受付の液晶画面に表示された。

 先生の簡単な質問に答えたあと、CT検査を受けることになった。CT検査が終わると、また待合室で自分の名前が呼ばれるのをぼんやりと待った。

 ようやく検査結果を聞くために診察を受ける。

 結論から言うと、わたしは癲癇じゃなかった。向日葵クリニックの先生に渡すための診断書を受け取った時にはもう昼になっていた。

 総合病院での待ち時間ですっかりくたびれてしまったわたしは、ぶらぶらとするだけの気力も無くて、お昼ご飯を食べるためにまたカフェに入った。

 サンドイッチを食べながら、これからどうしようと頭を悩ませる。

 部屋に戻ればあの不気味な穴とクローゼットがある。お札が少しでも効いてくれたら、部屋の雰囲気もずいぶんましになるかもしれない。でも一晩あそこで過ごすのは嫌だ。やむを得ない理由がない限り部屋に入るのも避けたい。

 市内に友達と言える人はいないし、だからといって地元に戻るなんて選択肢はない。

 本当にわたしには頼れる友達すらいないんだろうか……。

 わたしに考えつくのは、堤さんか川添先輩のどちらかか、もしくは両方に頼ることしか思いつかない。

 川添先輩は少し抵抗がある。半ば強引に病院へ行くように手配したのは川添先輩で、そのことについてはありがたいって思っている。ただ、なんとなく壁を感じてしまう。親切だと思うけど……。

 同じ親切でも堤さんとは違う。堤さんにこれ以上甘えるのは良くないと思うけど、頼ることに抵抗を感じない。

 こんなことなら堤さんに電話番号かSNSでやりとりできるように連絡先を聞いておけばよかった。

 時刻を確認すると十四時だった。堤さんも会社勤めしているだろうから、十七時過ぎじゃないと帰ってきてないかもしれない。

 それまでどうやって時間を潰そうかと考えながら、カフェを出た。

 上手な時間の潰し方が分からなかったので、結局ネカフェで十七時まで過ごした。疲れていたから仮眠が出来て結局はこれで良かったのかもしれない。

『リバーサイド■■南』の前に立って、これから堤さんに事情を話して一晩泊めてもらえるようにお願いするんだと気合いを入れ、エントランスに入った。エレベーターも階段も用心したほうがいい場所だ。このマンションに安全なところなんてないかもしれない。

 わたしはゆっくりと階段を上がり四階を目指した。

 無事に四階に辿り着いて、四〇三号室へ向かう。

 何事もなく四〇三号室の前に立つことが出来た。ほっと息をつく。ドアの横に設置してあるインターフォンのボタンを押した。

 ドアの向こうからインターフォンの呼び出し音が聞こえる。しばらく待っていると、不意にドアが開いた。

 堤さんがドアから首だけ出してわたしを覗き込んだ。

「あれ? 中里さん、どうしたの?」

 わたしは喉に言葉がつっかえているような言いにくさを感じていたけど、勇気を振り絞って声を出した。

「あの……、今夜だけで良いんです。一晩泊めてもらえないですか?」

「どういうこと? 別に良いけど……」

「自分の部屋にいるのが怖いんです……。おかしいと思われるかもしれないけど……」

「そっか、わかった。いいよ。荷物はそれだけ?」

 そこで、わたしは自分のうかつさに血の気が引いた。荷物をまとめて今朝出掛ければ良かったのに、手ぶらで出てきてしまった。それで仕方なく、頭を下げてお願いした。

「すみません……、部屋に一人で戻りたくないから、付いてきてくれませんか」

「わかった」

 堤さんは二つ返事でサンダルを履いて出てきてくれた。

 それを見ただけで、わたしは堤さんの優しさに涙が出そうになった。

「ありがとうございます」

 鼻をすすって涙を堪え、わたしはお礼を言った。



#ホラー小説部門   #創作大賞2025

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