かりはらの贄巫女 シーン1 ⑤
今日も朝から雨が降っている。
目の端に黒い着物が映り込むのではないかと、それも気になる。今のところ屋内で不気味な黒い着物姿の女は見ていない。
断片的に目にする着物の色と柄がいつしか一つにまとまって、脳裏に女の姿が焼き付いている。
悪夢も続いている。死にたくないと思いながら、水の底に沈んでいくのをどうすることもできない。
叶はこの一ヶ月、夢を見続けていて気づいた。おみず沼で見つかった希の、最期に見た景色がこれなのではないか。希と叶は双子だ。どこかでシンクロしていてもおかしくない。夢の中の感情が、もしも希のものだとしたら、計り知れない無念を感じながら死んだに違いない。『死にたくない』とあがきながら沈んでいく絶望感は、言葉にできないほど苦しい。
そのせいで寝不足だし、集中力もない。食欲も失せて、頬がこけた。
両親は腫れ物を扱うように接してくる。それがひどく傷つくし、卑屈になっていく。一言でいいから、「ここに戻ってきていいんだよ」とか「おまえの居場所はここだからね」とか言ってほしい。
突き放すように、当主が死んだから、本家に戻れとしか言わないなんて、あまりに冷たい。愛情にあふれた十六年の月日が、まるでなかったかのようだ。それを思うとひどく虚しい。両親の理不尽な態度と言葉を考えているだけで、時間はあっという間に溶けていく。
ぼんやりしていると、脇腹を友人に小突かれた。
「痛……」
文句を言おうと顔を上げると、友人が声を潜めて注意してきた。
「叶、シロ先生が呼んでる」
思いがけない言葉に戸惑いながら、講壇に立つ助教に目を向けた。
「氷川さん、後で話したいことがあるから、講義が終わったら来てください」
それだけ伝えると、助教は講義に戻った。
突っ伏して、講義をボイコットしている姿を見ても、助教は何も感じていないようだ。
なんだか気まずい心持ちになって、参考書をパラパラと開き、字面を追っていくが集中できなかった。
いきなり、聞き覚えのある音楽が鳴り出した。学生たちの視線が一斉に叶に向けられる。
叶はそそくさと席を立つと、スマートフォンの通話ボタンをタップし、廊下に出てから耳に当てた。
母親からの電話だった。何事かと心配になったが、わざと素っ気ないふりをする。
「何?」
「希さんが、明日、本家に戻るらしいの。昼から葬儀があるんだけど、行けそう? お母さんたちとは別行動にする?」
「今、講義中なんだけど」
「ごめんね。これは伝えとかないと、と思ったから」
叶は希のことなど少しも覚えてない。しかし、悪夢のことを考えると、希が自分に何を伝えたかったのか知りたくなった。そうでなかったら、なぜ自分の最期を叶に見せてくるのだ。
「わかった。でも葬儀が終わったら、すぐ帰るから」
母親はそれでもいいと思ったのか、すぐ帰るという言葉を聞き流して、自分たちは父親の仕事が終わったら本家に行くと叶に伝え、通話を切った。
静かに席に戻ると、友人が声を潜めて聞いてきた。
「何だった?」
「親から」
友人の好奇心をはぐらかす。自分の事情を話題のネタにしたくなかった。友人も叶の親に興味はないらしく、またノートを取り出した。
講義が終わり、叶は講壇で待つ助教の元に行った。
「あ、レポート読んだよ!」
やけにご機嫌で、助教がペラペラのレポート用紙を取り出して叶に見せる。表紙を合わせてたった二ページのレポートのどこに助教は興味を持ったのだろう。
「よく菟足村のことを調べたね」
叶は警戒しながら答える。
「はぁ、私の生まれた場所なので……」
「菟足村出身なんだ」
「はい」
「その割には菟足村の都市伝説とか怪談について、あまり書いてなかったね」
講義前に回収されたレポートにもう目を通したのかと驚く。
「菟足村に住んでたわけじゃないんで……」
「そうなんだ、そうか……」
どことなく残念そうに助教がうなずいていたが、不意に助教が口を開いた。
「『おかみさま』信仰って知ってる?」
「少しなら……」
「菟足村の『おかみさま』信仰は面白いんだ。『おかみさま』は美豆みず神社のご祭神の淤加美神のことで、この神は龍神なんだ。しかも、『おかみさま』は雨乞いの神様で、日照りの時は儀式をやるらしいよ。一度調べてみるといい」
助教が一気に熱弁を振るった。その熱意に叶は気圧される。
さすがに助教も自分と叶の温度差を感じ取ったのか、咳払いをして落ち着いた様子で、「や、ごめんごめん。説明が足りなかったかな」
叶は苦笑いを浮かべて素直に答える。
「あの、先生はおみず沼周辺の怪談に詳しいですか? 例えば、みつちさんとか」
助教が菟足村の噂話などをどこまで知っているのか図りかねたが、叶はとりあえず訊ねてみた。
「みつちさんは聞いたことがあるよ。おみず沼の神域あたりに出る怪異だよね。呼ばれて返事をしたら、おみず沼に引き込まれるとか。いくつか話があって——」
助教の言葉を遮る形で、質問を続ける。
「菟足少年自然の家にも噂話ってありましたっけ」
「そうだなぁ、WoooTubeの『生でどうぞ』っていうチャンネルで面白い投稿があった。君も見てみたらいいよ」
「『生でどうぞ』ですか?」
「生放送で心霊スポットに突入するチャンネルだね。菟足少年自然の家を最後に更新が止まってる。そのときにNIGHTナイトって少年が『みつちさん』と言ってるから興味深いよ」
「調べてみます」
「ただ雑音が入って、どこかへお祓いに行ったようなんだけど、聞き取れなかったんだ。元々教授が調べてた案件で、面白そうだなって思ってね。氷川君はあの辺りのお祓いをしてるところで何か知ってるかな?」
これ以上話しているとうっかり菟上家のことを話してしまうと思った叶は、慌てて頭を下げる。
「私、用事があるので失礼します」
助教はまだ話したりなさそうだったが、叶は嘘をついて文字通り逃げ出した。
怪談についてもう少し情報を聞きたかったが、菟上家の話になって叶が関係していると知られたら、面倒くさいと考えたのだ。それはまるで自分の何もかもを根掘り葉掘りほじくり返されるようなものだ。
まだ五限目が残っていたが、叶は家に帰ることにした。友人が先に講義室へ行って待っているかもしれないが、後でグループチャットに書き込んで謝ればいい。
外に出ると、梅雨の重たいじっとりとした空気に包まれる。パラパラと音を立てて雨粒が地面をたたいている。
空を見上げると、ぼってりとした重量感のある雲が、今にも底が抜けてしまいそうな様子で頭上を覆っている。
叶はいつもの癖で、周囲を見渡してから傘を差した。どうしてもあの霊がどこかに潜んでいるのではないかと不安になるからだ。
何もないのを確認して、一歩踏み出した。スニーカーが、薄い膜のように地面に広がる雨水を踏む。跳ね返る雨が靴を濡らす。急いで歩くと、そのたびに足下の雨水が跳ね返ってふくらはぎに当たった。
いつまでも、両親とけんかをしているのは楽しいことじゃない。菟上家に行って、継がないと宣言した後、氷川家に戻ったときに気まずい思いをするかもしれない。戻ると決めているなら、これ以上意地を張っても仕方ないし、自分自身がつらい思いをする。
それならば、割り切って以前から興味があったことをしたらいい。菟足村に行ったら、まずはおみず沼を含め、周辺を散策したい。ついでに菟上家で聞きたいことを聞いたら、さっさと帰る。これでいこう、と叶は決めた。
希が見つかったおみず沼。そのおみず沼の神を信仰する本家。おみず沼周辺にまつわる怪談。そういったものを知ることに重きを置くことにした。
それに本家には多分実父母がいる。彼等に幼い頃の自分のことなどを聞きたいと思っていたから、それで充分本家に行く意味はあるだろう。本家に対して感じる抵抗を今は封じておこう。
雨脚はますますひどくなる。四方が雨のカーテンで見通しが悪くなっていくのを眺めながら、明日は止んでほしいな、とぼんやり考えた。
いいなと思ったら応援しよう!
面白かったら、応援よろしくお願いします。いただいたチップは小説家としての活動に使わせていただきます!