かりはらの贄巫女 シーン4 ②
「天水の家。そこでなら邪魔も入らない。それに、今、美千代さんのことで屋敷中大わらわだからね」
「それ、本当だったんですね」
「昨夜のことで病状が悪化して……。入院しているべきなんだけど、希さんの葬儀や君のことが気になって仕方なかったんだろうね」
「さっきの話の続きなんですけど、私、美都子さんの夢を見たんです。天水さんがわたしみたいに蔵に入っていてみつちさんのお祓いをしてました。そのときに、美都子さんが巫女装束で舞ってました。美都子さんは成功したんですよね」
夢で美都子の舞いが目に焼き付いている。舞えと言われたら、今なら出来るかも知れない。
「成功した。本当に、夢で美都子さんのことを見たの?」
「そんなことより、かりはらって何ですか?」
「かりはら? それは巫女の役目の一つだよ。巫女はこの役目を全うさせないといけないとは聞いてる」
「かりはらについて、希は何も言ってなかったんですか?」
「希さんからは聞いたことがないな」
そこで話が途切れて、叶は口を閉じ、窓の外を眺めた。
五分ほど走らせていると、おみず沼から離れて菟足村に入っていった。
菟足村は温泉が近くで湧いているからか、小さな村の中心に、ぎゅっと民宿が肩を寄せ合うように建っている。
古めかしい民宿や民家の外観と、ちらほらと温泉を汲み上げるエアー・リフト・ポンプが見えて、所々で温泉の湯気が上がっている。菟足温泉の歴史の古さを感じさせた。
叶を乗せた車は、菟足村を抜けてさらに二分ほど山沿いを登っていき、天水家に辿り着いた。
「着いたよ」
叶は言われるがままに車から降りた。
「隣の山に菟上家がある。こちらのほうへは村を通らないと道がないんだ。ほら、おみず沼の端が見えるよ」
言われて私道のガードレール沿いに立つと、眼下におみず沼の端が見えた。梅雨の曇り空を映して、湖面が濃い緑色を帯びている。こうして見ると、おみず沼の端だけで菟足村の大きさほどある。
叶は駐車場に立ち、辺りを見回す。剪定された樹木に囲まれるように、平屋の立派な民家があった。菟上家ほどではなくても充分に大きい。
着の身着のままで菟上家を出たので、バッグも何もかも置いてきてしまった。それがなんとなく手持ち無沙汰である。
「荷物はあとから持ってくるよ。今は本家にいるよりも、ここのほうが落ち着くだろ」
希の葬式のあと、すぐに美千代が倒れて、叶どころではなくなっているのは、一夜と一緒に菟上家を無事に出られたことで窺える。
「とにかく着崩れを直そうか」
言われて叶は自分を見下ろした。裾が乱れ、半衿が広がっている。蔵の中で泣きわめいたときに、着物も一緒に乱れてしまったのだろう。そのことを思い起こし、恥ずかしくなった。
一夜に案内されて、叶は天水家の玄関に上がった。田舎の家はどこも同じなのだろうか。左手の広縁とは反対の縁側を通って、角を曲がり、突き当たりのガラス障子を開けて中に入るように言われた。
ガラス障子の真向かいにもふすまがあり、そこからも出入りできるようだ。部屋の片側には本棚があり、所狭しと古書が並んでいる。座卓の他に、文机もあった。あまり整理上手ではないようで、文机周りに平積みに古書を置いている。
叶に座るように勧めたあと、一夜は縁側とは反対のふすまを開けて部屋から出て行った。
どうも通いの家政婦を呼んでいるようだ。
すぐに戻ってくると、一夜が叶の真向かいに腰を下ろした。
改めて一夜を見る。普段着の一夜は少し若く見えた。考えてみたらいつも直衣や狩衣を着ているわけではないのだから、これが普段の一夜なのだろう。
やがてやってきた家政婦に案内されて別室へ行き、叶は着物を着付けてもらった。天水家に女性がいないので、洋服を借りることができなかったのが残念に思えた。慣れない着物を一日中着ているのはとても窮屈だ、と叶はうんざりしていた。
一夜の部屋にまた戻ってきて、叶はへたり込むようにざぶとんに座った。
目の前の座卓の上にお茶と果物が並んでいる。それを見た途端、叶は喉の渇きを覚えた。
「疲れたろ?」
当たり前だと言いたかったが、一夜に文句を言うのは筋違いだ。
「はい」
思った以上に疲れていたらしく、気弱な声が口から漏れた。
「メロン切ったから、食べて」
明るい緑色のメロンの果肉を、食べやすいように一口大に切ってガラス鉢に盛り付けている。氷の浮いた麦茶がおいしそうに見えてしまう。
「いただきます」
メロンを頬張ると甘い果汁が口いっぱいに広がって、叶は自分がどれくらい空腹に耐えていたか、自覚した。
「美都子さんのことなんだけど、話してないことがあるんだ」
一夜の言葉に叶は手を止めて、彼を見つめた。
「美都子さんが養父とうさんと結婚して、君が生まれた。でもね、養父さんと美都子さんは清い間柄だったらしい」
立ち直ってからと言うのは夫婦生活のことなのだろうか。
「何が言いたいんですか? 美都子さんが浮気をしたってことなんですか?」
一夜が唸って考え込むように顔をしかめる。
「当時は養父さんも悩んだそうだ。美千代さんにも相談したらしいけど、相手にされなかった。反対に菟上家は安泰と言われたそうだ。そういえば、美都子さんの夢を見たと言っていたけど、さっき聞いたこと以外にどんなものを見たの?」
それ以上知らないのだろう、一夜が話題を変えた。
「美都子さん、子宮体がんの末期だってことをだれにも知られたくなくて、尊厳死を選んだみたい。神に殺されるか、自分で死ぬか、どっちも同じなら自分で命を絶つって考えてたみたいです。これって、人身御供のことなんですか」
すると、一夜が首を振る。
「人身御供なんて、やるわけがないじゃないか。そんなことをしたら人殺しだ。倫理的に間違っている」
「そうですよね……。でも、巫女は神に捧げられたものだって……。これも巫女だけが知っていることなんでしょうか」
「末期癌では、せん妄が症状としてあると聞いたことがあるよ。彼女の妄想だってことも考えられないかな」
「せん妄って本当に起き上がれなくなったときになるものじゃないんですか?」
「あんなことをしたとき、美都子さんは養父さんたちに隠せるだけの体力がまだあったと思う。妄想とかではないなら、彼女は何を聞いて、見ていたんだろうね」
叶は自分の経験を思い返してみて、恐る恐る言ってみる。
「美都子さんは妄想じゃなくて、本当に巫女として何かを感じたりしていたんじゃないですか。霊力が強いとはそういうことで、『おかみさま』の神意を聞けないとだめみたいな……。その神意が、巫女にしか分からない言葉なんじゃないかな……」
霊力が前提としてあるなら、霊力のない美千代には、『おかみさま』の神意など分からなくて当たり前だ。歴代の巫女が教えてもらわなくても知っていたとしたら、やはり霊力の有無は重要なのだ。
「美千代さんには霊力がないから、みつちさんも見えなかったし、かりはらとか『おかみさま』の神意が分からなかった。美都子さんは天水さんがみつちさんに魅入られたときに縁ができた、その縁を剥がすって表現で、糸みたいな何かを切ってました。あれが巫女の見えている本当の世界なのかな。私は夢の中で美都子さんになってましたし」
一夜が興味深げな表情で話を聞いている。
「縁を剥がす……、か。俺も希さんにお祓いをしてもらったとき、自分を囲む声が一つ一つ消えていった気がするよ」
「私は覚えてません……。みつちさんがあの夜来たとき、美千代さんの声が聞こえなくなったし、声はどんどん増えました。あの夜に起きたことがあんまり怖すぎて覚えてないだけかも……」
叶の言葉に同情したのか、一夜が心配そうな目つきで叶を見る。
「何があったの?」
叶はそのときのことを思い出して、スッと体温が下がったような気がした。気持ちを落ち着かせる為に麦茶を飲んで、口を開いた。
「最初は多分みつちさんが来たんだと思います。たくさんの人の声で呼ばれたから。すごく怖くて。そしたら……、あの、この幽霊は一年前からだから希だと思いますけど、足だけしかいつも見えなくて……。あと、もう一つ足が見えました。美都子さんだと思います。何かされるわけじゃなかったけど、私を覗き込んで消えました。そのあと、女の霊が来たんですけど……」
「希さんと美都子さんが来たのか……まさか、女の霊って、水葉さん?」
いろんなことが起こりすぎて忘れていたが、菟上家に来る前に撮れた心霊写真の人物を思い出した。
「菟上水葉……」
「そう。本家では禁句になっているから口が重たくなるけど、水葉さんが自分で命を絶った話はしたよね?」
「はい」
「なかなか言いにくいことだったから黙ってたけど、水葉さんは、神域の鳥居で首を吊ったんだ」
「え……?」
あの石の鳥居で? と、叶は驚いた。そしたらあのとき、案内されているときに見た異様に背の高い女は水葉だったのか。
「それで、菟上家は祟られた」
叶の中で、今まで繋がらなくて違和感を覚えていたものがカチリと嵌まった気がした。
「美千代さんと美都子さんは生き残ったんですね? お祖父さまは?」
「文蔵さんはそのときは死ななかったけど、美都子さんが小学生の頃に亡くなった」
「一体、水葉さんは何故自殺したんですか?」
「それは——」
一夜が言いかけたとき、ふすまの向こうから声を掛けられた。
「一夜さん」
さっき着付けてくれた女性の声だった。
「どうしたの?」
一夜が声を掛けると、女性がふすまを開けて入ってきた。
「美千代さんが亡くなられました」
その言葉を聞いた途端、叶の脳みそが激しく揺さぶられた。
「ひっ」
思わず悲鳴が漏れた。鈍器で殴られたような衝撃を覚えて、意識が飛んだ。
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