かりはらの贄巫女 シーン1 ③
次に気付いたときは、講義も終盤にさしかかり、気の早い生徒は机の上のノートや参考書などを鞄にしまい始めている。
「えー、次回のレポートは小学生の頃に流行った都市伝説にします」
何それと、生徒たちから声が上がる。
叶も何それと思った。ただ、助教のライフワークのことを考えると、生徒たちが提示する説話などを参考に調査するつもりなのかもしれない。
「ちゃっかりしてる」
何気なく呟く。
「ちゃっかりしてる?」
友人が聞き咎めた。
「え? ああ、シロ先生のこと。私たちからネタ集めしてるのかなって」
「ああー、ありそう」
バッグを持って友人が席を立つ。叶も急いでバッグに筆記道具やノートを収めて友人と講義室を出た。
梅雨晴れの空に灰色の重たそうな雲がポツポツと漂っている。あれほど降っていた雨はいつの間にか止んでいた。
叶はほっと胸をなで下ろす。雨の日はどうしても着物姿の幽霊を見てしまうから、油断できない。何をしてくるか予想がつかないので、心臓が止まりそうなほど驚くこともある。
着物姿の幽霊に限らず、叶が幽霊を見始めたのは物心ついてすぐだ。しかし、記憶が定かでないのでもっと前から見えていたかも知れない。
なぜだか、そのことを両親や友人に話すこともなく、今に至る。多分、幼い頃は現実と虚実の境界線が分からなかったことと、それほど幽霊というものに驚かなかったからだろう。如何に無残な姿の幽霊を見ても、叶は幽霊をそこにいるものとして自然と受け入れていたし、幽霊から干渉されることも特になかった。
もしも、ことあるごとに着物の幽霊のように干渉されていたら、幽霊を脅威の対象として怖がっただろう。
叶は構内を急ぎ足で、友人と一緒に五限目の講義室へ向かった。
五限目の講義を終えて駅に向かう途中、叶は空を見上げた。曇天にまだ日が差して明るい。雨が降りそうで降らない、そんな曖昧な空模様だ。
早く帰った方がいいと、叶は足を速めようと歩き出したとき、バッグの内ポケットから低いバイブ音が聞こえた。
慌ててスマートフォンの表示を見ると母親からだった。
「どうしたの?」
電話越しからでも、母親の戸惑った様子が伝わってくる。
「叶、本家の希のぞむさんが見つかったって」
「え?」
本家とは菟上家のことだ。希は本家の跡継ぎで、一年前に行方不明になり、今まで消息不明だったのだ。
叶はもう一度母親に訊ねる。
「見つかったって?」
希は叶の双子の姉だ。幼い頃に何らかの理由で引き離された。
「おみず沼で見つかったらしいわよ」
菟足村には、おみず沼という山池がある。そこで見つかったというのだ。ちょうど、助教のレポートで提出した『菟足村、おみず沼における人身御供伝説』を書いた直後だったので、何かしらの予感めいたものがあったのだろうか。
叶は首筋を冷たい舌で舐められたような怖気を感じた。
ただ、母親の言葉尻から、生きて・・・希が戻らなかったのだと悟った。
そのまま続けて母親が告げる。
「まだ検視から戻ってきてないんだけど、どうも自殺ではないみたいなのよ」
叶は思わず声が出た。
「殺されたの?」
「なんだか、事件に巻き込まれたんじゃないかって警察が言ってたらしいわよ」
希は婚約式の前日に菟上家の屋敷からいなくなったらしい。それは一年前に聞かされた。当時くまなく探したはずだったが、希は見つからなかったそうだ。おみず沼も例外ではなかった。
「でもおみず沼も探したじゃない」
「希さん、白骨化して見つかったらしいから、もしかすると一年前にもう死んでたかもしれないんだって」
叶はなんとも言いようのない不安に襲われた。
本家の跡継ぎは希一人きりだった。祖母の美千代が、希が幼い頃は当主代理を務めていたそうだ。希がはっきりと死んだとわかったからには、いつまでも祖母が代理を務めているわけにはいかない。だれかが、本家に呼ばれて新しい当主に収まる。
「それでね、叶に菟上家に戻ってきてほしいって言うの」
嫌な予感は的中した。
本家が嫌いなわけではない。どうして氷川家に養女に出されたのか、聞かされたことがないせいで、今更という抵抗感を覚えた。
「戻るって……。美千代さんがそのまま当主代理でいいじゃない。私は氷川叶なんだから。今更、本家に戻って当主になれって言われても……」
まさか、お母さんは賛成してるわけじゃないよね、という言葉が口から漏れ出そうになった。
「嫌だろうけど、跡継ぎはもう叶一人だけだから」
母親の声音が震えている。賛成ではないが、本家の命令に逆らえないのだ、と暗に含んでいた。
叶は簡単に「はい」と言いたくなくて、母親にごねた。
「当主になるのはいや」
本家に対して忠誠心は両親ほどないし、ましてや本家至上主義でもない。この令和においてあまりに時代遅れだ。
それを感じ取ったのか、母親が優しく諭す。
「まだ、検視が終わってないから、希さんが戻ってきたときにもう一度考えてみて」
母親は、この十六年間、何を思って叶を育ててくれたのだろうか。人を物のようにあっちへやったりこっちに持ってきたり、情のない扱いを本家の一言でできるものだろうか。それではあまりにも薄情だ。
叶にとって、氷川家の両親は本当の親と変わりない。菟上家にいるであろう実父母に興味はあっても、何の感情も持ってない。両親はほとんど菟上家の話をしなかったし、実父母の話もしなかった。叶を実の娘のようにかわいがってくれた。だから心が通じ合って絆ができていると思っていた。
本家を出された理由も教えてもらってない。しかも、本家に戻るなと美千代に言いつけられたのを、両親は従順に守り続けている。だから、双子の姉がいる以外は実父母のことすら知らないし、本家がなぜ絶大な支配権を持っているのかもわからなかった。
理不尽だ、と叶は不満に思う。
叶の沈黙に、母親がなだめるような声音で話す。
「葬儀がいつなのか連絡がまだ来てないのよ。それまではいつも通りで大丈夫。それに、叶は怖い話とか好きでしょう?」
怖い話が好きだと、なぜ今、話すのか。確かにスマートフォンでWoooTubeウーチューブの怪談を聞いている。でも、今はそんな話は関係ない。
「菟足村には——おみず沼の周辺にはたくさん怖い話があるのよ。ほら昨日レポートを見せてくれたじゃない。叶はそういうの興味ないの?」
興味はある。こんな話を切り出されるまでは、ぼんやりと本家にいるであろう実父母に会ってみたい、菟足村のおみず沼へ行って怖い話の発祥の地を見てみたいと考えていたくらいだ。
でも、今じゃない。このタイミングで、『じゃあ行きます』なんて答えられない。
返事を渋っていると、母親が続けた。
「本家に戻ることも、もう少し時間をもらって考えてみたら?」
本家に戻る以外の選択肢はないようだ。だったら、本家の美千代にはっきりと跡を継がないと伝えるしかないだろう。本家だから何をしてもいいという慢心に叶は腹立ちながらも、本家に逆らえない両親を責めるのはやめた。ただ失望したのは否めなかった。
「わかった」
叶の返事に明らかに母親はほっとしたようだった。
「葬儀の日が決まったら教えて」
それだけ言うと、叶は電話を切った。
叶の気持ちは固まっていた。本家に乗り込んで、跡は継がないと啖呵を切ってやる。
帰ったら、今度は父親に説得されるだろうけど、聞き流そう。本家に行ったときに断って、何を言われても知らんぷりをして氷川家に帰ってきたらいいだけだ。
ついでに今まで両親に聞いても教えてくれなかったことを、本家で教えてもらおう。姉のこと、実父母のこと。なぜ、叶が本家を出されたのか、全部。
それにおみず沼に行くなら、ライフワークなんて言えるほどではないけれど、人身御供伝説や周辺の怪談の現場を調べてみるのもいい。
助教のまねごとだが、聞き取り調査を試すことに好奇心をくすぐられる。
だったら、葬儀の日までにおみず沼に関係のある怪談を、助教に教えてもらうのはどうだろう。ちょうど、おみず沼の人身御供伝説のレポートを出したばかりだ。それに興味を持ってもらえたら、助教から情報をくれるかもしれない。
レポートのメモはスマホに記録してある。おみず沼に伝わる人身御供伝説は、だれでも手にすることができる、図書館の県別郷土資料集に記載してあったものを参考にした。
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