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忌み地 第三章 結花子 ③

 誰よりも早く起きて朝食を作らなければならない、そんな思いに駆られて結花子は怠い体を起こし、昨晩用意しておいた服に着替えて台所に立った。ほどなくして同じように着替えた亜美が障子を開けて声をかけてきた。

「昨日変な夢見た」

「悪夢?」

 自分がいつも悪夢を見ていたので、自然にそう訊ねた。

「悪夢、かな……。それとユカの言ってた、あれ見ちゃった」

「あれ……?」

 亜美に話した様々なあれに関することを考えてみて、思い当たらないので聞き返した。

「旦那」

「ああ……」

 仏間でまた何かをしていたのだろうか。

「変なこと言ってた。友達が来るとか」

「友達……」

 それは初耳だった。「福の神」という言葉ならば、昨日、壱央が言った「座敷童」に通じるので理解できる。しかし、「友達」というのはどういう意味だろう。見当がつかなかったので話が途切れた。

 亜美に手伝ってもらい簡単な朝食を作る。自分がいなかった間、夫は何も食べてなかったのか冷蔵庫の中身は二日前のままだった。食卓に朝食を並べる頃には壱央と夫も起き出して座卓についていた。夫は始終機嫌良く、壱央や亜美に昨晩はよく眠られたかと訊ねている。

「ええ、ぐっすり。ここは静かでいいですね」

 壱央が穏やかに答える。

「お隣とはかなり離れてるからね。不思議と虫の音も聞こえなくて、夜中なんて静かすぎるくらいだよ」

 夫の笑顔には生気がなくて、のっぺりとしている。誰もそのことに気付いてないのか、怪訝な顔すらしない。自分だけが気付いているのかと結花子は勘ぐった。

 日曜日だから近くの絶景を観に行こうという話になり、出掛ける準備をする。そのまえに、と壱央が夫に言った。

「もう一度、日本人形を拝見していいですか?」

「ええ、どうぞどうぞ」

 壱央が仏間に行き、一番古い木彫りの人形を手に取ってみた。その瞬間、壱央の表情が変わる。彼が呆然としているのを、横から亜美が顔を覗かせて人形を見た。人形を壱央の手から取り上げ、途端に悲鳴を上げて落とした。

「何これ」

 亜美の言葉と同時に夫が大きな声を上げた。

「何してる! なんてことするんだ! おまえら、帰れ! もう二度と来るな!」

 三人が驚いて夫を見た。

 亜美が落とした木彫りの人形を、夫が大事そうに手に取り、結花子に命じた。

「おい、早くこいつらを出て行かせろ! 二度と家に上げるな!」

 夫の剣幕に結花子は体が固まって微動だにできなかった。亜美も驚いてジッとしている。壱央だけが頭を下げて謝る。

「すみません。帰ります」

「そうしてくれ」

 結花子はうろたえて二人を交互に見ていたが、夫の形相に怯えてしまった。夫は普段は怒鳴らない。怒鳴らずにやんわりと言うことを聞かせる質《たち》だ。それなのに、夫がこれほどまでに感情的になったのは珍しい。そのまま、結花子たちを無視して夫は仏間に閉じこもってしまった。

「何、あれ」

 夫の様子に驚いていた亜美がつぶやいた。壱央も訝しそうに閉じられた仏間のふすまを眺めている。

「すみません、送りますから」

 慌てて結花子は壱央に頭を下げた。亜美にも手を合わせて謝る。

「いつもあんな調子なの?」

「ううん、あんなに怒ったのは珍しいかも。でもさっきはどうしたの?」

 結花子の問いに亜美が、「ここでは」と断ったあと、「車で話すね」と続けた。

 三人は荷物を持って結花子の軽自動車に乗って、駅に向かった。道すがら、結花子は亜美に、もう一度訊ねる。

「さっきの話なんだけど、あのときどうして人形を落としたの?」

「あれ、人形の感触じゃなかった。木彫りなんだろうけど、なんだか肉がみっちり詰まってる感じだった」

 助手席に座る亜美の言葉を聞いて、自分も同じ意見だった。同じく人形を手に取った壱央に話題を振ってみる。

「壱央さんはどう思いました?」

 後部座席の壱央がやや大きな声で答える。

「僕もあの人形、人間と同じように感じました。まるで小さな子供の腕を掴んだみたいな柔らかい感触がしました」

「やっぱり……」

 結花子と亜美はその言葉に頷いた。

「ぐにゃっとしてて気持ち悪くて手を離したんだ」

 亜美が人形の感触を思い出したのか、汚いものを払うようにして手を振った。

「井野さん、僕から言えることは旦那さんがあれ以上におかしな言動をするようになったら、すぐに引っ越すことをお勧めします」

「やっぱり良くないものがいたんですか?」

「いえ、あの家にいたのは子供の霊だと思います。昨日の晩、説明したとおりですよ。ただ、ご主人は人形に魅入られているように感じました」

「魅入られてる?」

 運転をしながら、結花子は首をかしげた。

「人形に取り込まれる寸前とでも言ったほうがいいのかな……」

 壱央が考え込むように呟いた。

「友達って自分のことを言ってた?」

 亜美が怖いことを口にした。夫がいずれ人形の仲間入りをすることを示唆している言葉なのだとしたら、義父母が自死したのはそのせいなのかもしれない。

 軽自動車を駅前の駐車場に停めて、改札口まで見送るために結花子も二人についていった。

 座敷童だという壱央の言葉に、どうしても一抹の不安を覚えて、何かがあったときのために電話番号を教えてもらった。

「僕では限界があるから、本当に相談に乗るだけになりますよ、いいですか?」

「それだけでも充分助かります」

「まずは家の噂話でもなんでもいいですから、家に関する話を近所の人に訊ねてみるのもいいと思いますよ」

「変な足音がすることとか相談したんですけど、鼠だろうって業者を紹介されてそれきりです」

「じゃあ、あの辺りの土地についてとか調べてみてください。家の謂れについてわかることがあるかも」

「いろいろとありがとうございます。私一人だと何をどうしていいかすらわからないから」

「壱央だけじゃなくってアタシにも頼ってよね」

 ふざけるように亜美が言った。

「亜美も頼りにしてる。頼れるのは亜美くらいだもん」

 二人は改札をくぐり、都心方面の列車に乗って帰っていった。二人を見送ったあと、寂しさと不安が結花子の心に忍び入る。壱央に視てもらっただけではその不安を拭いきれない。帰れば、おかしくなった夫があの薄暗くカビ臭い谷地の家で待っていて、結花子にしか聞こえない足音や気配が蘇る気がした。




 四十九日まであと一週間。その一週間の間に、谷地の家で何があったのか調べることになった。四十九日の相談をするという口実を設けて、菓子折を持って隣家の悦子を訪ねた。二度目の訪問と言うこともあり悦子も気を許しているのか、今度は家に上げてくれた。

「突然、すみません」

 菓子折を手渡して結花子は謝った。座敷に通されて悦子がお茶を持ってくる。佐賀家はよくある普通の家だった。仏間が家の真ん中にあるわけではないようだ。やはり、谷地の家は特殊なのだろう。

「四十九日のことで、こちらではどんなふうにするのか教えてもらいたくて……」

 すると、悦子が機嫌良く笑う。

「何も難しいことなんてないわよ。四十九日は菩提寺で法事をしてもらえばいいのよ」

「菩提寺って龍雲寺のことですよね。お通夜とお葬式でお世話になった……」

「そうそう、五木住職にこのあと詳しく必要なものとか聞けばいいわよ」

 ひとしきり四十九日のことを質問をしたあと、好奇心旺盛な悦子におなかの子供のことを聞かれ、答えられそうな部分だけを笑顔で応対する。しばらくそうやっておしゃべりを楽しんだあと、もうそろそろいいかと見計らって、結花子は悦子に尋ねた。

「あの、うちの家、何か昔から言われているようなことってあるんですか?」

「あら、どうして?」

「前にも話しましたけど、鼠じゃないっぽくて。湿気が酷くてカビの掃除が追いつかなかったり、家全体が薄暗ったりするのが怖くて」

「湿気……、そんなにカビが酷いの?」

「そうなんです。取っても次の日にはもう黴びてきて」

「ああ……、やっぱりそうなんだねぇ」

「やっぱりって?」

 悦子が持ってきたポットのお湯を急須に注ぎ、お茶を入れてくれる。

「あのね、言おうか言うまいか迷ったんだけど、井野さんのお宅がある土地って、田んぼに囲まれてるでしょ?」

「ええ」

「地盤が緩くて人が住むには向いてないって安達野では言われてて。昔は井野さんところはあの一帯の地主だったのよ。だからあそこ一帯の区画が谷地という住所なの」

「人が住むのに向いてないんですか」

「そうねぇ、大昔は湿原だったのを埋め立てたらしいの。カビはそのせいじゃない? もし気になるようなら、知り合いにいい霊媒師の先生がいるから紹介しようか?」

「霊媒師ですか……」

「地鎮祭もするし、土地について視たりも出来るのよ。信頼できる先生だから」

「はぁ……」

 なぜか霊媒師を紹介されて、結花子は内心呆然とした。

「そんなに悪い土地なんですか?」

「うーん、井野さんところ、不幸続きで菊子さん悩んでたみたい。先生に相談しようかって話にはなってたのよ。でもああいうことになったでしょ?」

 義母は家のことを霊媒師に相談しようと思っていたのだ。やはり、あの気味悪さは自分だけの気のせいではなく、義母にも感じ取れるものだったのだ。

「井野さんとこの旦那さんが亡くなってから、よく相談されたのよ。でも、こんな話をこっちに来たばかりのあなたには話せなくて。あなたも苦労するかもしれないけど、ゆっくりと慣れていったらいいから」

 無責任だけれど、あっけらかんと言いのけた悦子を見て、結花子は苦笑いを浮かべた。谷地という区画全部が人の住める土地ではないと知り、カビはそのせいかと思った。湿地帯だった土地に籠もる湿気が、家で起こる怪現象の原因なのだろうか。結花子はまたわからないことがあったら聞きに来てもいいかと悦子に訊ねた。

「私で良かったらいつでも来てね」

 快い返事に結花子は安堵する。

 霊媒師に家を見てもらうことで何かが変わるのであればそうしたい。義母は果たせなかったから、あんなふうに死んでしまうことになったのかもしれない。自分はそうなりたくない。でも放っておくといつかとんでもない目に遭いそうな予感はあった。


 夫は毎日二十時までに帰ってくる。話をするだけの時間の余裕も出来た。仏間に夫が閉じこもる前に、結花子は昼間の話を切り出した。

「お隣の佐賀さんが、霊媒師に視てもらったらって勧めてくれたの。視てもらってもいい?」

 壱央がいるけれど、怪異に対処できない壱央よりも霊媒師のほうが頼りになるかもしれない。

「霊媒師?」

「うん、お義母さんも相談してたみたい」

「霊媒師に視てもらうって何を? この家を視てもらうって勝手なことをしてきたのか?」

 眉間にしわを寄せて夫が結花子を責めるような口調で問い詰めた。

「まだ、頼んでないよ。寿晶さんに相談してからと思って話しただけ。もし家のことでわかることがあれば、なんでもいいから教えてほしいの。昔のこととか」

「過去帳とか家系図を見ればわかる。菩提寺に預けてるから勝手に見ればいい」

 不機嫌そうな表情を浮かべた夫は夕食もそこそこにさっさと仏間に閉じこもってしまった。

 夫がおかしいから視てもらうのだとは言えなかった。人形、家、土地全てに関わる原因があるなら、霊媒師に頼るほかないじゃないかと悔しく思う。夫は自分がおかしくなったとは思っていない。異常さは日を追うごとに酷くなっているというのに、夫はそれに気付かず、ずっと人形と対話しているのだ。

 けれど、霊媒師に視てもらうという願いは、夫の反対で潰えてしまった。それなら、もっと土地や家のことを過去帳で調べてみないといけないだろう。自分で探ることが出来るのなら、それが最優先事項だ。


 翌日、夫を見送ったあと、一通りに家事を済ませた結花子は、まずはこの土地の昔の話を調べるために区立図書館へ行くことにした。

 小さな図書館だが、郷土資料館として郷土史の同人誌も扱っているようだ。司書に安達野の歴史みたいな事を調べたいと伝えたら、郷土史家が書いた同人誌があると教えてもらった。貸し出して椅子に座り、内容を読んでいく。

 目次には「地名と禁忌」という項目があり、「安達野字谷地あだしのあざやち」について言及していた。そこには、野がつく地名は元々死体放置してきた歴史があると記述してあった。化野あだしの鳥辺野とりべの蓮台野れんだいのという地名が有名だ。どれも風葬の地として昔死体を放置していたという。谷地についても書かれてあった。沼地や谷、湿地帯など人が住めないような土地に対して、元々その地がどういったものだったか呼び名でわかるというのだ。谷地は水に関係する土地や湿地帯を意味する。あざというのにも意味がある。字は土地一帯を指す。字より広い土地であれば大字おおあざと地名に付けるそうだ。住むことを禁忌として昔の人たちは土地名で判断していたというのだ。

 安達野字谷地と言う住所は、「死体放置していた湿地帯」という意味になる。井野家がなぜこの土地を選んだのか、忌み地として敬遠されているにもかかわらず住み続けたのか、郷土史からはくみ取れなかった。ただわかったのは、安達野は疫病で死んだ人間を放置して風葬していた土地のこと。それを証拠づけるように、谷地一帯を開発する際に掘り起こしたとき、数え切れない人骨が出たことなどが記載されていた。忌み地として安達野周辺に住む村人は、谷地を忌避したという。現在は安達野というと地名が不吉だと、宅地開発と同時に忌み地を示す土地名は、人々の目から隠されるようになった、と締めくくられていた。

 それ以上のことは郷土史には書いていない。あとは龍雲寺の五木住職に過去帳を見せてもらい、井野家の過去を教えてもらうだけだった。

#創作大賞2025 #ホラー小説部門

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