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リバーサイド■■南には禁止事項が3つある プロローグ 【中里 亜都里】 ③

 コツンと小石が彼のランドセルに当たって落ちる。彼の意識をわたしに向けるには、それだけで充分だった。

「なんだよ!」

 意表を突かれて、彼が驚いたような顔つきで振り向いた。小石をぶつけられたことには気付いてないようだった。ただ、振り向いた先にわたしがいることが問題だったようだ。

「中里、なんだよ。なんか用か? それとも、先生に告げ口するつもりかよ」

 わたしは精一杯声を張り上げて、「危ないよ。やめたほうがいいよ」と告げた。でも彼に死ぬかもしれないからとは言えなかった。

「なぁ行こうぜ」

 仲間の一人が男子に声をかけた。

 わたしは引き留めるつもりで、足下の小石を手に取って、もう一度男子に小石を投げた。小石は、彼の胸に当たって落ちた。

「早く行こうぜ」

 他の男子が無駄な争いを避けようと、自分たちの楽しみを優先するようにわたしが引き留めたい男子に声をかけた。けれど、石をぶつけられた彼はわたしにヽヽヽヽ石をぶつけられた事実が気に食わなかったようだ。

「中里のくせに生意気なんだよ!」

 顔を歪ませて怒鳴ると、わたしめがけて駆け出した。

 そうだ、これを狙っていたのだ。わたしは必死で走ってできるだけ時間を稼ごうと逃げた。どうせ、追いつかれるのは分かっている。痛い思いをするのも分かっている。けれど、彼が死ぬよりましだ。死ぬと分かっているのに見過ごせなかった。本当に死ぬかどうかそれは分からないけど、そのときのわたしは彼が死ぬと信じていた。

 運動音痴のわたしがいくら懸命に走っても、逃げ切れるわけはない。彼にあと少しで追いつかれそうになったとき、わたしは交差点を脇目も振らず突っ切った。

 激しいブレーキ音と共に、乗用車がクラクションを鳴らした。それに気付いたわたしが右方向を見たと同時にドンッという衝撃が体に走った。

 ふわりと宙に体が浮き、右半身が痛みに疼いた。周囲で驚いている通行人の表情が読み取れるほどゆっくりとわたしは弾き飛んだ。

 地面に左肩から落ちたときに鈍い音がした。脳天を突き上げる痛みと、右半身の鈍い痛み。その両方がわたしの全身を襲った。

 痛みに頭がくらくらして、起き上がりたくても力が入らなかった。

 わたしを追いかけていた彼はどうなっただろうか。

 でも確信していた。彼は死なずに済む。夢を変えた代わりにわたしが代償を払ったからだ。

 周りが騒がしい。だれかが救急車を呼んだようだ。サイレンの音が近づいてくる。近くにいた大人がわたしに声をかけて、意識を確認している。わたしはぼんやりとした頭で、良かったと思った。

 目を覚ますと、白い天井が見えた。オレンジ色の光が天井に当たっている。首は動かせず、左肩が固定されているようで、右腕も自由に動かせなかった。体中がズキズキと痛む。固定されているからこのくらいの痛みですんでいるのか。口の中も痛い。唇の端が切れているのかテープが貼られている。

 視界に点滴を下げたハンガーみたいなものが見えて、「病院?」と脳裏に浮かんだ。

 どうにか周りの様子を確かめようと頑張ってみた。でも首も固定されていて、匂いと音だけで多分病院だろうと思うことにした。

 わたしの周りには誰もいないようだった。

 やがて看護師がやってきて、わたしが目を覚ましたことに気付き、声かけのあとどこかへ行ってしまった。

 気がついたらどうも寝てしまっていたみたいで、目を開くと母と兄が病室にいた。

「自分から道路に飛び出したんですって? どれだけの人に迷惑をかけたと思っているの。おかげで相手の方にお詫びをしに行かなくちゃいけなかったのよ。たくさんの方にご迷惑をかけて、心から反省しなさい」

「パパは仕事で忙しいから病院には来れないんだってさ。亜都里もこんなことしてパパやママの気を引きたかっただけだろ? こういうことしてみんなにおまえのこと心配させて、ほんとにしようがないやつだな。こんなことして愛情を確かめようなんて、子供のすることだぞ」

 違うと言いたいけれど、きっとわたしの言葉は彼らには届かない。成人しても同じ気持ちだ。彼らにとってわたしはいないほうがいい存在だから。厄介なことを起こしたり、ろくでもないことを言い当てたりする気味が悪い子供でしかないのだ。

 分かっていたけれど、わたしはこのまま死んだほうが良かったかもしれないと、耳が聞こえなくなったりして彼らの言葉が耳に入らなくなれば良いのにと心から思った。

 言い返せばもっといやな思いをするから、黙っているしかない。

「パパやママがおまえを見捨てても、俺はおまえの味方だからな」

「まぁ、竜樹ちゃんは優しいのね」

 母が鼻声で兄を褒めた。兄に頼っても相手にしてくれないと分かっている。兄がわたしのギブスを力一杯叩いた。痛みが響いて、わたしは顔を歪めた。

「な、なんだよ。ちょっと叩いただけだろ、わざとらしく痛がるなよ」

 言いたいことを言うと、兄は「塾があるから」と先に帰ってしまった。

 あとに残った母が、病院から準備するようにと言われたものを詰めたボストンバッグをベッドの脇に置いた。

「忙しいのに、面倒ばかりかけて……。今はママが洗濯とかしてあげるけど、自分で動けるようになったら自分でやりなさいよ」

 そう言って、母は帰っていった。

 松葉杖で歩けるようになったら、母は宣言通り病院には金銭を渡す為だけに来た。父も兄も一度も顔を見せないまま、わたしは退院した。

 久しぶりに登校すると、クラス中がざわついた。

「死んだと思った」

 委員長が言った。

「だって、血まみれだったから」

 そう続けて、とても残念そうな表情を浮かべた。

「中里はゾンビみたいだな」

 わたしが助けた男子が言った。ノロイ女からゾンビ女に呼び方が変わっただけで、入院前と接し方は変わらなかった。それでも、男子は何となくわたしを避けてあからさまに弄ってこなくなった。男子がわたしを無視するのを見て、委員長もひそひそと耳打ちしながら、わたしをこっそりと見るくらいで何もしなくなった。

 だからといって何事もなく平穏なわけではなかったので、わたしは休み時間や下校時間ギリギリまで図書館に籠もって過ごした。

 わたしはひとりぼっちの時間を勉強に当てた。父母は娘を市立中学に進学させるのを恥ずかしいと思ったらしく、わたしに公立に入れと言い、必死で中学受験して公立中学から高校へと進学した。兄は私立中学高校へ進み、エスカレーター式に私立大学に入学した。

 短大に入学してもわたしは相変わらず夢日記を付け続けた。あの日以降、死に関わる悪夢は見なかったけど、わたしに関する時だけ、夢の通りにすることを避けた。小さな厄災がわたしの身に起こったけれど、軽い怪我を負う程度で済んだ。

 兄は大学在学中に結婚し、兄嫁と実家に同居するようになった。

 元々居心地の悪い家だったけれど、兄嫁の為にわたしは部屋から追い出されて物置に移された。

「ごめんね、亜都里ちゃん」

 優しい笑顔を浮かべて、いかにも済まなさそうにわたしに声をかける義姉は、本当に優しげに見える。

 絵に描いたような家族。そこにわたしはいない。

 兄嫁は兄と同じように父母の前では優しい義姉を演じた。

「亜都里ちゃんもお嫁に行ったら、ちゃんと家事を出来るのかな。これは練習。あとでちゃんと出来てるか、アドバイスするね」

 誰もいなくなると、彼女はわたしを顎で使った。少しでも気に入らなかったら、「ちゃんとやってって言ったよね?」と、義姉は私の体の目立たない所をもので殴ったり、長い爪でつねったりして、義父母と同居しているストレスをわたしで発散した。

 兄が選んだ女性だからはなから優しさなど期待してなかったけど、家族のわたしに対する態度を見て、乱暴な扱いをして蔑んでもいいと思っているようだった。

 義姉の不幸を願えば良かったけれど、どうしても出来なかった。夢で見たとおりに義姉が怪我をしたり失敗したりするのを無視出来なかったのだ。

 彼女の気をらしたり、邪魔をしたりして、彼女が大事に至らないように行動した。昔みたいに男子を庇って大けがをしないように、不審がられないように心がけた。

 だから、わたしは家族からよく不注意で怪我をするのろまな娘だと思われていたに違いない。義姉も同じように感じているようだ。

 四畳半の部屋で短大時代を過ごした後、早く家を出たくて、わたしは県外の会社ばかりを選び、ようやくF県の輸入雑貨販売をおこなっている会社の内定をもらった。

 父母と兄嫁はわたしに裏切られたと思ったらしく、夜逃げするようにわたしが家を出るまで、ネチネチと責めた。

「パパとママといっしょに暮らしたほうがあなたの為ですよ。将来、パパとママのお世話は亜都里ちゃんがするはずでしょ? 竜樹ちゃんは家庭があるんだから、将来はこの家を出るでしょ。そしたらあなたしかいないじゃないの」

 内定が決まったことをわたしが報告した後、兄嫁は二人きりになるのを待ってからわたしに詰め寄った。

「何考えてるの。あんたがここ出たら、誰があんたの親の面倒見るのよ。竜樹のことちゃん付けする気持ち悪い母親と暮らせって言うわけ? あたしが可哀想だと思わないわけ? あんたの親だよ。あんたが面倒見るのが筋だろ」

 このままこの家にいて、家族の不幸をわたしが肩代わりするのはもう限界だ。言い返せずにいる私の体を力一杯義姉がつねった。長い爪がペンチのようにわたしの薄い皮膚をひねり上げる。痛みで顔を歪ませたら、彼女は何がおかしいのかニタニタと笑った。

「こうしてさぁ、わたしがあんたをしつけてやらないと。分かってるだろ? あんたは駄目人間、グズ、お荷物、寄生虫。せっかく追い出さずにいてやってるのに、出ていくなんてさ。一人で生きていけると思うなよ」

 密かに就職先に問い合わせて、寮があるか確認したら、社宅ならあると返事をもらった。すぐに社宅を希望することを伝えて、メールで社宅の情報を手に入れた。S県からF県まで行き来するのは大変だろうと、全てメールでやりとりをして入社式の日までに入居する約束を取り付けることが出来た。

 わたしは入居する前に内見を希望して、三月下旬、逃げるように実家を出た。


#創作大賞2025   #ホラー小説部門

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