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忌み地 第五章 結花子 ②

「魂抜きは上手く行きました。しかし、あの土地と人形がよろしくない。あなたまで毒されてしまったら、先代のご夫妻と同じ道を辿ることになりますよ」

「どうしたらいいんですか」

「井戸の心配はもうないでしょうが、人形がよろしくないものの媒体になっています。都合のいい日に伺いますから、人形をお焚き上げしましょう」

「人形を燃やせば、あんなことは二度と起きませんか」

 結花子は食い下がるように言った。

「人形が供養されれば、あの家に起こっている怪異はなくなると思いますよ」

 住職の一言に結花子は励まされて勇気が出てきた。それでも夫に阻止されたら終わりだ。

「夫にはなんて言えばいいんですか」

 住職には人形が関わると夫が激高することを話した。

「それは困りましたね。ただご主人さまがいない昼間にやってしまうのも手ですよ」

 確かに夫は昼間会社にいるから、人形をお焚き上げするのを邪魔できない。

「わかりました。今からじゃ無理でも、明日にでも家に来てほしいんです。あの家が怖くて仕方ないんです」

「そうですか……。お守りになるかわかりませんが、お札を書きましょう」

 それを聞いて、結花子は表情を明るくして、住職に礼を述べた。

 住職が早速、墨と和紙を持って来てお札を書いてくれ、それを結花子に持たせた。

「これを肌身離さず持ってなさい」

「わかりました」

 お札を両手に持つと、少し熱を感じた。お札に温かみがある。温かさが効果と比例している気がして安心感が増す。

「ありがとうございます」

 結花子はお札を胸に押しいだいて頭を下げた。

 今日の所は谷地の家に帰ることにして、後日、日程を電話してくれるということに決まった。本当を言えば家に帰りたくなかったが、お札の効力を信用するしかない。

 翌日、もらったお札を風呂以外はずっとポケットに入れて過ごした。二日経って住職から、明日お焚き上げをするため谷地の家へ伺う、と電話で連絡があった。

 お札のおかげか、龍雲寺に行ってからは悪夢も見ず眠ることが出来た。

 翌朝、夫を見送ったあと、結花子は住職の到着を今か今かと待ち続けた。しかし、午後になっても結局住職は来なかった。時計の針が時を刻む。これ以上待つと夫が帰ってくると思い、結花子は龍雲寺に電話をしてみた。

 電話に出たのは知らない声の女性で、坊守でもない。

「あの、井野ですけど、住職さんが今日うちにいらっしゃると聞いてたんですけど」

 電話の向こうの声が驚いたように大きくなる。

「今日そちらへ行く予定があったんですか?」

「そうですけど、住職さんはいらっしゃいますか」

 不審に思いながら結花子は訊ねた。すると電話口の声が沈んだ様子で応える。

「五木上人は事故で亡くなってしまって、今から通夜なんですよ」

 それを聞いた結花子は思わず声を上げた。

「ええ? 住職さんが事故に?」

「はい、車の事故で。どこに出掛けるかとは言ってなかったので……。井野さんのお宅に伺う予定だったんですね」

 明日の葬式に出ると告げて、結花子は電話を切った。衝撃で膝が震える。人形をお焚き上げするその日に死んでしまうなんて……。ポケットをまさぐってお札を出してみると、焼かれたように黒く煤けてしまっていた。

「そんな……」

 どういうことなのか理解が及ばなくて、ただ気持ち悪くなり、お札を投げ捨てた。

 せっかく頼みの綱だった住職が亡くなってしまい、頼りどころを失ってしまった。途方に暮れたそのときに壱央のことが頭をよぎり、座卓に置いたスマホを握りしめる。壱央に電話をかけるがコール音が響くだけで留守番電話にもならない。しばらくすると自然と電話は切れた。

 絶望感が全身を覆い、結花子は膝から崩れて嗚咽した。住職は人形に殺されたのだ。そうとしか思えない。とすれば、この家に自分は魅入られてしまったのだ。過去帳を見る限り、井野家は代々第一子が死んでいる。結花子は自分の膨らんだ腹に手を当ててなでさすった。この子を奪われたくない、と言う思いが胸の内を占める。井戸は魂抜きをした上に埋めてしまい、そこから見つかった赤ん坊の骨も供養したはずだ。他に何があるというのだろうか。

 結花子は背後にある仏間を振り返る。雪見障子のくもりガラスに黒い影が映り込んでいる。思わずのけぞって、悲鳴を上げた。廊下に立つ黒い影がゆっくりと左右に揺れている。それと同時に水滴が落ちる音が耳に入ってきた。

 頭の中に情景が鮮明に浮かんでくる。廊下にずぶ濡れの裸の女が、くるぶしまで葦の生える水たまりに浸かり立っている。長い黒髪がしとどに濡れそぼり、顔を覆い隠している。下腹部が裂かれてどす黒い血が水たまりに滴り落ちている。肌は灰色かがっていて血の気はない。

 冷気が畳から湧き出してきたように、急に室温が下がる。井戸の蓋を開けたときに嗅いだ悪臭がどこからともなく漂ってきた。

 結花子は固唾を呑んで影を見つめるしかなかった。目をそらしたりつむってしまったら、距離を縮めて目の前まで来てしまう気がした。

 時計が時を刻む音がする。どのくらい時間が経ったかわからないくらい影を見つめていた。もう限界だ。そう思ったとき、玄関の引き戸が開かれて夫の声が聞こえた。うっかり振り向いてしまい、後悔する。今度は正面を見ることが出来ない。身動き取れないままジッとしていたら、ガラガラと雪見障子が開けられ、夫が立っていた。

「どうした?」

 我に返り、夫に引きつった笑顔を向ける。

「おかえり」

「あれ? 今日の夕飯は?」

 気がつくとすでに二十時を過ぎていた。慌てて体を起こし、夕飯の準備のために台所へ行った。結花子の背に夫が優しく声をかける。

「たまには出前を取ってもいいか。何食べたい?」

 結花子は明るい居間に戻り、廊下に続く雪見障子へチラリと目をやった。すでに影はなくなり、冷気も元に戻って少し蒸し暑い空気に変わっていた。

「寿晶さん、龍雲寺の住職さんが亡くなったんだって」

 震える声で結花子は告げた。

「え? このあいだまで元気そうだったじゃないか」

「事故で亡くなったって聞いた。今日通夜で明日お葬式なんだって」

「俺は行けそうにないな」

「私が行ってくるよ」

「じゃあ任せた。さてと」

 住職の死など自分には関係がないというふうに、夫がスマホで出前を頼むために店を検索し始めた。

 翌日の住職の葬式で最後の挨拶をしようとしたけれど、棺桶の小窓が開けられることはなかった。事故と聞いていたが、とても酷い状態で亡くなったと小耳に挟んだ。人形に関わろうとして住職は死んでしまった気がした。それならば自分がなぜ死なないのか不思議だった。最初の子供を産ませるために何かに生かされてるんだろうか。しかし、そのことが人形とどのように関係しているのか全くわからなかった。

 家で過ごすのが辛くなり、ここ数日、結花子は町に出て喫茶店やファミリーレストランをはしごして時間を潰した。

 本を読みながら、ドリンクバーで何杯も飲み物をおかわりする。従業員に変な目で見られてないか、いつもビクビクしていた。

 二時間ほどで店を変え、またそこでおかわり自由なドリンクバーを頼む。食欲はなくて、夫と同じように日に日に結花子も痩せていった。こんな時に友人がいないのはかなり辛かった。亜美がもし裏切ってなかったら、きっと自分は何度も亜美に電話をしてしまうだろう。いかに自分が亜美に依存していたか知った。亜美から安心を得られるよう、彼女と寄りかかっていたのだ。だから、亜美と夫の浮気が余計に許せないのだろう。夫にはどこか諦めている部分があるだけに嫉妬の感情はあまりなかった。二人に対して裏切られた、という感情のほうが強い。亜美がよりによってなぜ自分の夫を不倫相手に選んだのかわからない。亜美は美人で気さくな性格をしていて、結花子とは正反対な人間だ。何もわざわざ妻のいる男と深い関係にならなくてもいいではないか。夫に対しても、妻の親友と浮気をする必要などない。いつから浮気していたのか考えると、苦い思いがにじみ出てくる。きっと三年前だ。夫の帰りが徐々に遅くなり、会社に泊まり込むと言って帰ってこない日も増えた。不妊治療を始めたばかりで、一番辛い時期に一番側にいてほしい夫がいないばかりか、夫婦生活も半ば壊れていた。

 いっそのこと夫を責められたら良かったが、夫の不機嫌な表情を見てしまうと、一気に怖じ気づいた。何も言えないでいる自分が嫌だったが、夫を愛していたから、我慢できたのだと思う。

 そういったことを経て、ようやく子供を授かった。子供が欲しいと言っていたわりに夫はあまり喜んではくれなかった。口に出して言われたわけではないが、夫自身あまり子供が好きではなかったのだろう。

 だからこそ、引っ越して子供のことに興味を持って接してくれるようになったのが、内心嬉しかった。結花子のことをどう思っていようが、子供だけは愛していてほしい。


#創作大賞2025   #ホラー小説部門

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