かりはらの贄巫女 シーン2 ②
覚えてもいない姉の部屋と知って、叶は少し居心地の悪さを感じる。まるで、今、このときから、叶を希の後釜に据え置こうとしているようだ。
さっさと喪服に着替えハンドバッグを持って、廊下に出る。あちこちからバタバタと忙しない足音が聞こえてくる。手伝ったほうがいいか、何もせず部屋で待っておくべきか迷っていると、先ほどの女性がやってきて、別室に案内された。
通りすがりに、ふすまが取り除かれて開け放たれた二十畳以上はありそうな和室に、祭壇が据えられているのが見えた。仏壇とは違い、どちらかというと清廉な印象を受ける。
祭壇の前に据えられた八本脚の小机のうえには、神棚と同じようなものが配置されて、希の顔写真が額に入れられて飾られていた。怖いくらい、叶に似ている。まるで自分の葬儀のように感じて、叶は遺影から目をそらした。
「神社で葬儀はしないんですか?」
素朴な疑問を投げかけると、女性が答える。
「死は穢れですから。葬儀は聖域である神社では行われないんですよ。ほら、神棚もああやって穢れを避けるんです」
天井に近い位置に神棚が祀られており、神棚の前に半紙が垂れていて、まるで御簾のようだった。
「こちらです」
女性に促されて廊下を突き抜けて、客間らしき部屋に通された。
広い客間にはすでに二人座って、叶を待っていた。
床の間側には座椅子に凭れて座っている上品そうな老女。叶から見て右手に座る二十代半ばに見える青年が、叶に目を向ける。
老女は特にぶしつけに叶を見やった。
「お茶を持ってきますね」
女性は叶を残し、今来た廊下を引き返していった。
叶はどうしたらいいかわからなかったので、とりあえず頭を下げる。
「このたびは、御霊のご平安をお祈り申し上げます」
「そこにお座りなさい」
老女が凜とした声だが、息苦しそうに叶に座るように促した。
ふすま側の座布団を指し示され、叶は座に着いた。
「私は、希の祖母、おまえの祖母でもある、美千代です」
ほとんど初めて会ったと言える美千代が感情なく名乗った。
「この子は水瀬一夜みなせ かずや、希の婚約者でした。おまえの父親の天水巳知彦あまみ みちひこは葬儀の準備でここにはいません」
自己紹介された一夜が頭を軽く下げる。希はまだ十九歳だったのに、すでに婚約者がいたのだ、それに過去形をわざわざ使う必要はあるのだろうか、とまたも居心地の悪いものを感じる。それと、なぜ希の婚約者がこの場にいるのだろう、と不思議だった。
美千代が、浅く息をつき、
「希の部屋を使いなさい。もう案内されたでしょう?」
弱々しく命令した。
戻ってきてはいない、帰るつもりだ、と叶は内心思ったが、まだそれを言う雰囲気ではない気がして黙っておいた。
ちょうどお茶が持ってこられて、会話は途切れた。
美千代の呼吸が「はっはっ」と小刻みになってきた。顔色も悪い。
「美千代さん、部屋に戻りましょう。手伝ってやってくれませんか」
と、一夜がお茶を持ってきた女性に言った。
「いいえ、まだ伝えることがあります。手伝う必要はありません。さがりなさい」
女性は美千代の様子を気にしながら客間から出て行った。
一夜が差し出した手を押しとどめ、美千代が続ける。
「今日から一夜は叶の婚約者です。一夜、いいですね?」
叶は間髪入れずに、言い返す。
「あの、そんなこと聞いてません。私は姉のお葬式に来ただけです。お葬式が終わったらすぐ帰ります。なんで、勝手に婚約とか決めるんですか!」
「希が死んだのです。今から叶は菟上の当主なのですよ。当主は美豆神社の宮司と結婚するのは昔からの取り決めなのです。嫌も何もありません」
「当主になるとか結婚とか、全然納得できません。お葬式が終わったら帰りますから」
感情のままに今すぐ帰ってしまったら、母親に迷惑がかかるかも、と叶は気持ちを抑えた。
それまで険しい顔つきで叶を見据えていた美千代が、苦しそうに胸を押さえている。
「美千代さん……、部屋に戻りましょう」
一夜が廊下に向かってさっきの女性を呼んだ。やってきた女性が美千代を支えて、部屋を出ていった。
事情がわからない叶は、呆然とその様子を見ているしかなかった。
「あの……、美千代さんは」
叶が一夜に訊ねると、
「美千代さんは病気なんだ。今日は無理をして君を出迎えたんだ」
そうだったのか……、と叶は自分が美千代に対して語気を荒げたことを後悔する。
「すみません」
「君は知らなかったんだし、それに急にあんなことを言われたら、だれでも驚くよね」
一夜が淡々と答えた。
希が亡くなったとわかって、すぐに叶の婚約者だと言われたのに、なぜこんなに冷静でいられるんだろうか、と叶は不思議に思った。
「希さんが戻ってくるのは三時過ぎるらしいから、もう少し話をしていられる。その後は忙しくなるからゆっくり話す時間がないんだ。聞きたいことがあれば言ってほしい」
改めてそう言われると、すぐに質問が浮かばない。まずは気分を落ち着かせなければ。
「その前に……、あの、すみません。お手洗いは……?」
トイレに行きたいわけではなかったが、一人になりたくて訊ねた。
叶の言葉に一夜が立ち上がり、ふすまを開ける。
「廊下を玄関まで行って、左に曲がった突き当たりがお手洗いだよ。一人で行ける?」
「大丈夫です」
叶は慌てて立ち、部屋から出た。
葬儀の準備は終わったようで、準備にバタバタしていた分家の親族たちが、希が戻ってくるのを茶で一服しながら待っている。
玄関から左に曲がると、途端に廊下が薄暗くなる。窓もない廊下の先にお手洗いがあるようだ。
胸の内でどうやって葬儀後、抜け出せるか考えながら廊下を進む。
なぜだか暗がりが天井や廊下にもわだかまっている。効き過ぎた冷房の風なのか、ひんやりとした空気が頬をなでた。
ふと、叶は足を止める。左肩に圧を感じる。だれかが立っている気がした。じっと息を潜めて叶を見ている。
そのままじっとしていたが、相手も微動だにしない。振り向こうとするも、体が意思と関係なく動かない。
「カエレ」
地を這うような冷たい声が、耳元で囁かれた。左側の耳の産毛がぞわりと逆立ち、首へと伝っていく。声の主が睨めつけるように自分を見ているのだ。
眼球をゆっくりと左側に動かした。左の視界の端に影が映った。黒い着物姿で長い髪の女が立っている。気付けば、女の髪は濡れそぼっていて、ポタポタと水滴が落ちる音がする。
吐く息が白い気がする。寒くて歯の根が合わなくなってくる。
カチカチカチカチ。
自分の出している音かと思ったが、違う。うつむいて立っている女が歯を鳴らしている。
それは聞き慣れた音だ。寒気とは別に怖気が走る。
叶は気づいた。女は寒くて歯を鳴らしている。今の叶のように、体の芯まで冷え切っているのだ。だから歯を鳴らす。
どのくらい、じっとしていただろう。叶は思い切って、顔を上げ振り向いたが、やはりそこにはだれもいなかった。確かに人が佇んでいたのに、廊下には人が立てる隙間などなかった。
蟻が這い上がるようにうなじの毛が逆立つ。怖い感覚よりも先に、体が反応した。
なぜ、黒い着物姿の女がいるのだ。屋内に入られないのではなかったか。しかも、氷川家で見るよりも姿形がはっきりしている。
次第に恐怖に手足が痺れてきた。何度も腕をさすって、叶は周囲を見回した。
皆、祭壇のある座敷にいるのだろう、そちらから弔問客のさざめきが聞こえてくる。
お手洗いで一人きりになるのが急に怖くなって、叶は客間に早足で戻った。
後ろ手でふすまを閉じて、いそいそと座布団に座した。
いいなと思ったら応援しよう!
面白かったら、応援よろしくお願いします。いただいたチップは小説家としての活動に使わせていただきます!