我が尻、文明の瀬戸際~トイレットペーパーの「ミシン目」を讃える歌~
人生には、誰にも邪魔されたくない「孤独な戦い」の時間がある。 そう、多くを語る必要はあるまい。誰もが毎日経験する、あの「個室」での瞑想タイムだ。
その瞬間、我々はしばしば「哲学」する。 「なぜ、あの時あんなことを…」 「今日のランチ、何にしよう…」

そして、その戦いがクライマックスを迎え、文明人としての「後処理」に移ろうとしたその時。 我々は、無意識に「彼」に手を伸ばす。
そう、トイレットペーパーである。
だが、主役は「紙」そのものではない。 我々が注目すべきは、その紙に、等間隔に、しかし謙虚に刻まれた、あの「破線の軌跡」。
「ミシン目」だ。
もし「ミシン目」がなかったら…
想像してみてほしい。地獄だ。
もし、あのロールが、ただの「長〜い一枚の紙」だったら? 「さて、この辺で…」と紙を引く。 切れない。 「ん?」 もう一度、力を込める。 切れない。 「えいやっ!」
結果、どうなるか。
Aパターン: 途中で「ビリーッ!」と斜めに無残に引きちぎれ、必要な量に満たない「切れ端」だけが手に残り、絶望する。
Bパターン: 力加減をミスり、便器の横に「カラカラカラ…」と、紙の川(リバー・オブ・ペーパー)が出現。呆然とする。
Cパターン: (最悪)ホルダーごと「ガコン!」と床に落下。絶望を超えて、虚無。
あの狭い個室で、我々はどれほどの理不尽な「力加減」の戦いを強いられることだろうか。 それはもう、文明ではない。サバイバルだ。

「プツプツプツ…」は、文明の音
だが、我々の世界には「ミシン目」がある。
あの「プツプツプツ…」という小気味よい抵抗感。 ホルダーを片手で軽く押さえ、もう片方の手で「スッ」と引けば、望む枚数(あるいは長さ)が、実に美しく、実に整然と、我々の手の中に収まる。
これぞ、文明。これぞ、アイデア。
「ここで切れていいですよ」 「あなたの望む分だけ、どうぞ」
あのミシン目は、単なる「切り取り線」ではない。 それは、開発者から我々への「あなたの尊厳は、ここで守ります」という、静かだが力強い「誓約」なのである。
灯台下暗し、とはまさにこの事
料理を便利にする道具? 危険を防ぐ道具? もちろん、それらも天才の仕事だ。
だが、我々は毎日、この人類の尊厳を守るミシン目の恩恵に、無意識のうちに浴している。 あまりにも当たり前に「スッ」と切れるものだから、その「区切り」の存在価値を、我々は忘れがちだ。 これぞ「灯台下暗し」。 いや、「尻(しり)台下暗し」とでも言うべきか。

この「アイデア」は、世界中の人々の「ギリギリの瞬間」を、毎日、文句も言わずに救い続けている。
個室の静寂の中、私は「プツプツ」と文明の音を響かせながら、その見えざる偉人への感謝を、心の(そして尻の)底から叫ぶのである。
……ああ、待って。 ミシン目以前の問題だ。
「紙、ないじゃん」(←これ最大の危機)
