バナナ売り場の七秒間
スーパーマーケットで、僕がいちばん真剣な顔をしている場所は、間違いなくバナナ売り場である。
普段、食品の買い出しはだいたい妻のトラ子さんと二人で行くのだが、我が家の買い物には、暗黙の分担がある。
カートにかごを載せると、トラ子さんが色鮮やかなブロッコリーを迷いなく確保し、キャベツの重さを両手でポンポンと軽快に吟味している間、僕はひとりバナナ売り場へと直行する。ここで我が家のバナナを選ぶのが、僕に与えられた最大の任務である。
けれど、これが毎回、本当に悩ましい。
手に取って、ひとつひとつじっくり品定めをするようなことはしない。ただじっと、少し距離を置いてバナナ群を見つめ、逡巡する。
この間、およそ七秒。
外から見れば、バナナの前で黙って立っているだけの哀愁漂う中年男性である。だがその七秒間、僕の目と頭脳のコンピュータはフル稼働している。パッと選ばなければならないという、謎の強迫観念に急かされながら。
「こいつはヘタが青いな。角もはっきりし過ぎていて、まだ若い。」
「かといって、こっちのはもう角もわからなくなって丸みを帯びているじゃないか。もはや皮が薄くなって、ちょっと裂けている部分もある。」
僕が脳内で白熱した議論を繰り広げている横を、通りすがりの人がひょいと一房つかんでカートに入れ、風のように去っていく。見事なまでの即決。あんな風に生きられたら、さぞかし人生は軽やかなのだろう。
「ああ、向こうのやつはシュガースポットが多すぎる。」
「そっちのは三本で、あっちのは四本か。」
「ちょっと待てよ、こっちは台湾産で、あっちはフィリピン産。」
むう。今日は、いや今週は、いったいどれを選ぶべきか。
長さ、太さ。本数なのか、熟成度合いなのか、はたまた値段なのか。バナナには、とにかく悩むポイントが多すぎる。
そんなに高い果物じゃないんだから適当に選べばいいじゃないか、と笑われるかもしれない。でも、やっぱり一番美味しいものを引き当てたいのが人情というやつだ。
「うーん……」
僕は生まれてこのかた、株というものを一度も買ったことがない。だからこれは完全な想像なのだが、たぶん投資というのはこういうことなのだと思う。
まず、ヘタが青いやつ。これは将来性だ。今日は食べられない。急いで食べるとまだ青い味がする。しかし三日後、こいつは大化けするかもしれない。化けないかもしれない。要するに長期保有である。僕はこいつの三日後を信じられるか。たぶん。でも三日後の僕は、本当にまだこいつを食べたいと思っているだろうか。
こっちの角がすっかり取れて丸くなっているやつ。これは満期直前の債券だ。もう伸びしろはない。だが確実である。今夜食べれば間違いなくうまい。ただし、明後日にはドロドロになって何の価値もなくなる。
向こうのシュガースポットが浮きまくっているやつに至っては、もはや損切りのタイミングを逃した銘柄そのものである。誰も手を出さないまま、じりじりと値を下げ続けている。かわいそうだとは思う。思うが、僕の資金(というか胃袋)には限りがあるのだ。
三本か四本か、というのも重大な問題だ。分散投資である。四本抱えて一本を黒く余らせるリスクと、三本で足りずに後悔するリスク。どちらを取るか。
台所の在庫状況、来週の予定、トラ子さんの気分。あらゆる変数が同時に押し寄せてくる。
そして最大の敵が、隣の房のほうが良く見えてしまう現象だ。これは機会損失への恐怖という。たぶんそういう名前だと思う。完全な想像だけど。
こうして僕は週に一度、バナナで運用している。証券口座は持っていないのに。年間のリターンは「うまい」の一言だけである。
——ちなみに、ここまででまだ四秒である。
よく考えてみれば、これはバナナに限った話ではない。
万年筆のインクの色を選ぶときもそう。キーボードの赤軸か茶軸かで悩むときもそう。書店の書架の前で、裏表紙のあらすじを何度も読み返していたときもそうだった。
買ってしまえば、そこで終わりだ。迷っている間だけ、棚の上のものは全部、僕のものだった。
どうやら僕の人生は、何かの棚の前に立って迷っている時間の総和でできているような気がする。
顔を上げると、少し離れた特設コーナーで、誰かがスイカをコンコンと叩いていた。ひとつ叩き終わると、隣のスイカを叩き始める。もしかすると、あれはスイカの音を聞き分けていたのではなくて、決めきれない自分を、手のひらでコンコンとなだめていただけなのかもしれない。
そういえばトラ子さんも、さっきキャベツをポンポンやっていた。みんな、何かを叩いて、確かめている。
そう考えると、僕が七秒間、バナナの前で迷ってフリーズしているのは、実はバナナを選ぶのに悩んでいるのではなくて、「これからの数日間の自分」に悩んでいるのかもしれない。
青いのを選ぶのは、未来の自分を信じること。シュガースポットだらけを選ぶのは、今夜の自分のために生きること。三本か四本かは、その間の自分の食欲の予測。
つまり僕は毎週、これからの数日間の自分そのものを選んでいたのである。そりゃ決まるわけがない。未来の予定なんて、誰にもわからないのだから。
しかも厄介なことに、バナナは待ってくれない。ましてやこの季節、熟していく速度に容赦がない。かごに入れた瞬間から、いや、売り場に並んでいる今この瞬間も、じわじわと熟し続けている。
今日の正解は、明日の不正解になる。静止した正解なんて、最初からどこにも存在しないのだ。七秒で選べないのは優柔不断だからじゃない。正解が動いているからだ。そういうことにしておきたい。
そうしてやっと選んだ一房をかごに入れ、僕は八秒後には何事もなかったかのように売り場を離れる。なにも悩んでませんよ、とクールを装って。
ところが、数歩歩いてから、やっぱりあっちの房が良かったんじゃないか? としばらく背中越しに思ってしまう。こういう優柔不断、本当にやめたい。
家に帰って、買ってきたバナナを台所の果物かごに置く。
その時に、ふと自分の手の甲が目に入った。
いつのまにか、薄い茶色の斑点がひとつ浮き出ている。
「あー、なんだこれ、シミなのかな?」
僕が呟くと、横で買ってきたばかりのブロッコリーを洗っていたトラ子さんがチラッとこちらを見て、ふふっと笑った。
「熟してきたねぇ」
むう。
うまいこと言わなくていいんだよ。
相生エッセイ
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