見出し画像

似てる、が曖昧という話

イラストレーターのあいとデザイナーのまい、二人合わせて「曖昧姉妹」。
今回のテーマは「似ているが曖昧という話」。人が「似ている」と感じるとき、そこにはどんな曖昧さがあるのかを語り合う。

https://stand.fm/episodes/6820019631b69153b31414c1

冒頭、ある共通の知人から「あいさんとまいちゃん、似てるね」と言われたというエピソードから始まる。その知人はまいとはオンラインでしか会ったことがなく、初めて直接会った際にそう言った。一方で、実際に二人を昔から知っている友人は「全然似てない」と言う。この食い違いから、「似ているって何をもって言うんだろう?」という話題へと発展する。
オンライン上では顔の映りや比率が限られ、相手の全体像や雰囲気までは伝わりにくい。画面越しでは「顔のディテール」を見がちだが、リアルで会うと「姿勢」や「立ち姿」、さらには「雰囲気」そのものを感じて似ていると判断することがあるという。では、「雰囲気」とは一体何なのか。


関西出身の二人は、関東の人から「似ている」と言われるとき、実際の顔よりも「関西弁を話す女性二人組」という印象で括られているのかもしれないと推測する。言葉やイントネーション、方言さえも「似ている」という感覚を生む要素になり得る。また二人とも「おでこを出している髪型」という共通点もあり、それも似ている印象を強めているのではないかと語る。
しかし、昔から二人を知る人は「似てない」ときっぱり言う。年月をかけて相手を細部まで知るほど、最初に見た「大づかみの印象」が解像度高く分解され、似ているとは感じにくくなるという。結局、「似ているかどうか」は外見だけでなく、会話の仕方や考え方、雰囲気などを包括的にとらえた上での曖昧な感覚なのだと再認識する。
芸能人に対して抱く「誰々に似てる」もまた、画面越しに得た限られた情報だけで判断しているにすぎず、実際に会ったらまったく印象が違うかもしれない。そうした「似てる」と感じる瞬間は、じつは曖昧で、見る側の環境や感受性にも強く左右される。


ここで会話は「似てると言われることの喜び」へ。あいが「誰かに似てるって言われた」とうれしそうに話しても、パートナーは「どこが?」とそっけない反応をすることが多いという。共感してくれる人と「同じポイントを見つけた!」と盛り上がれるのが楽しいのだと笑い合う。
そこで話はパートナーとのエピソードへ。あいがふと両手をグーにして左右に振るダンスをしていたところ、パートナーが「トランプ大統領!」と言い出したという。大統領が演説で見せる体の揺れ方を連想したらしい。その着目点のユニークさに爆笑する二人。
この流れでモノマネ談義へと移る。貴乃花のマフラーを巻かずに垂らす仕草を真似るネタ、帽子を浅くかぶるオマリーの真似など、「そこを切り取るのか!」というツボこそが面白さの本質だと語る。モノマネで笑うのは「あるある感」に共鳴するからで、誰もが知っている特徴の“絶妙な一点”を抽出する感性が要だと感じている。


「似てる」と言うのも、それに近い要素がある。完全に同じではなく、少しのズレや捉え方の違いこそが笑いや共感を生む。似ていることが曖昧だからこそ、人は「おもしろい」と感じる。二人は「似てる」という曖昧な認識が、むしろ人の感性や想像力を豊かにしていることに気づく。
さらに、男女や年齢の違いを超えて「似ている」と言われるケースも話題に上る。まいは昔「草刈正雄に似てる」と言われた経験を思い出し、まいは「わかる気がする」と笑う。ギャップのある比較ほど面白く、独特のセンスを感じるという。あい自身も髪を上で束ねたとき、ふと「けい小室(小室圭)」っぽいと言われて笑った経験を披露。二人は「似てるって言葉のセンスに笑いが生まれるんやな」と再確認する。
絶妙な“似てる感”を楽しむのは、モノマネにも通じる。モノマネ芸人たちが体現するのは、単なる形の再現ではなく、「どこを切り取れば笑いが生まれるのか」を見抜く観察力であると感心する二人。まいは「曖昧なモノマネっていいかもな」と言い、あいも「誰でもゆるくできるモノマネで人生がちょっと楽しくなりそう」と同意する。


最後に振り返り、「似ている」という言葉の中に潜む曖昧さこそが人間らしさ、おかしみ、そして創造性の源だと締めくくる。完全に一致するものよりも、微妙なズレや曖昧な共通点があるほうが面白い。「似てるが曖昧」というテーマは、人と人との関係の奥深さを軽やかに映し出すものであり、次回への余韻を残して会話は終了する。


いいなと思ったら応援しよう!