勉強、が曖昧という話
イラストレーターの「あい」とデザイナーの「まい」による「勉強が曖昧という話」です。テーマは「勉強」という概念がどこまでを指すのか、趣味や仕事、免罪的な使われ方など、「勉強」という言葉の曖昧さについて掘り下げた対話です。
番組の冒頭で2人は、「勉強、してますか?」という問いをきっかけに話を始める。まいは「机に向かうような勉強はしていないけど、広い意味では世の中のあらゆることが勉強だと思う」と語る。あいも「勉強と趣味の境界が曖昧だ」と共感し、「趣味を“勉強”と呼ぶと叱られるような気がした」と笑う。
そこから「勉強」という言葉が持つ社会的な“免罪符”的側面に話題が移る。
あいは、「勉強してるって言えば怠けていても許される雰囲気がある」と感じるという。たとえばドラマを観て衣装のコーディネートを観察するのは確かに“勉強”ではあるが、それを都合よく“勉強だから”と言って正当化するのは違う、と指摘する。まいもそれに同意し、「“勉強してるから偉い”という風潮があるけど、それって本当に正しいのかな」と疑問を投げかける。
二人は「社会人になってから“勉強してる”と言う人はあまりいない」という話題にも触れる。
あいは、「仕事をしながら学ぶのは素晴らしいけど、“働かずに勉強してる”だけで称賛されるのは違和感がある」と語る。まいは「それはニートとは違うの?」と問い、あいは「“高等遊民”のように“勉強”を名乗って社会の期待を免れる人がいる」と苦笑する。
つまり、「勉強」という言葉には、責任や結果を伴わない自己正当化の側面があるという話に落ち着く。
その後、話題は「勉強の目的と結果」へ。
あいは「成果が伴わなくても、好きでやるならそれでいい」と前置きしつつも、「他人が“勉強してるからすごい”と持ち上げるのは違う」と述べる。まいも「働いている人の努力も同じくらい称えられていいのに、“勉強”という言葉だけ特別扱いされがち」と共感する。
あいは「本当に意味のある勉強なら、何かしら成果や実践に結びつくはず」と強調する。
まいは「勉強って言葉は、本来“努力して知識を深める”という意味だったのに、今は“何でも勉強”という便利な言い訳にもなっている」と振り返る。
二人は「自分を納得させるために“これは勉強だから”と仕事を無理やり続けていた時期があった」と語る。まいは会社員デザイナーだった頃、「やりがい搾取」に苦しみつつ「これは勉強だから」と自分を説得していたという。あいは「勉強という言葉が、“しんどさ”の正当化に使われてしまう」と共感し、「それが嫌なんだ」と打ち明ける。
一方で二人とも、「勉強=悪」ではないと考える。
あいは「好きでやる勉強は素敵だ」と言い、まいも「それを“趣味”と呼ぶなら健全」だと整理する。“好きでやってる人”を褒めそやす必要はないが、やる本人が満足していればそれでいいというのが彼女たちの立場だ。
あいはまた、「本当に勉強してる人は“勉強してる”なんて言わない」と述べる。
実際に深く学んでいる時は、本人の中で当たり前すぎて言葉にしないのだという。まいも「人が“勉強してる”と言っても、それだけで立派だとは思わない」と静かに同意する。
結局、「勉強」という言葉が「努力」「言い訳」「正当化」「趣味」「探求」という複数の意味を含んでいることが、混乱の原因だと気づく。
話は徐々に個人の経験へと移る。
あいは「20代の頃もっと勉強しておけばよかった」と振り返り、まいも「イラストやデザインの勉強って何をどうすればよかったのかわからなかった」と笑う。二人は、自分たちにとって「勉強は実践の中でしかできない」と再確認する。「実際に手を動かすことでしか学べなかった」とあいは言い、座学的な学びをしていたら逆に行き詰まっていたかもしれないと述べる。
ただし、今になって余裕ができると、「もう少し体系的に学んでもよかった」とも思う。まいは「気持ちのゆとりがあれば自然と学びたい気持ちが生まれる」といい、あいも「社会のしくみや人の営みに対して興味を持てるようになった」と答える。
それに対し、「それも趣味やん」「いや、それが勉強やん」と再び笑い合い、最初のテーマに戻る。
最後にまとめとして二人はこう考える。
「勉強」という言葉には、本来の学ぶ意味以外に、努力の象徴、逃避の口実、社会的免罪符など多様な意味が重なっている。
それを意識して、もっと単純に「好きだから学ぶ」「必要だから学ぶ」という姿勢でいたいというのが二人の結論である。
まいは「本当に学んでいる時、人は“勉強してる”とは言わない」と改めて述べ、あいも「曖昧に生きる私たちにとって、勉強もまた曖昧なままでいい」と応じる。
そして軽やかに、「今日は勉強について楽しく勉強しました」と笑って締めくくる。
要するにこの対話は、「勉強」という言葉に潜む社会的意味、自己正当化、努力や成果との関係、趣味や実践との境界などを浮き彫りにしながら、「曖昧なままでもいい」というスタンスで終わる、哲学的でユーモラスな雑談である。
