なにも言わなかった翌朝
夜のあいだ、家はちいさく鳴った。しってる? 木は、昼にあたたまったぶんだけ、夜になると縮むんだって。だから、ぱき、って言う。痛いのとは、ちがうらしい。
台所は、まっくらだった。冷蔵庫だけが、ひくく唸っていた。
手がうつる。両手。顔は、うつらない。
ゆびが、紙の四隅をさがした。テープ。ぴ、と剥がれた。もう片方の角。ぴ。三つめ。四つめ。
ちいさな絵が、壁からはなれた。
両手は、それを裏返した。表は、見ないようにしていた、のかな。ねえ。白い裏だけが、こっちを向いた。
引き出しが、あいた。いちばん下の。両手は、絵を、底へそっとすべらせた。下には、ふるい紙が何枚か、もう寝ていた。きっと、まえにも、こうやって。
引き出しが、しまった。こと、と音がして、台所はまた、まっくらになった。
冷蔵庫が、唸っていた。
朝は、なにも知らずに来る。
陽が、台所の床を、すこしずつ歩いた。椅子の脚。ごみ箱のふち。それから、冷蔵庫の、白い面。
そこに、四角があった。
まわりより、ほんのすこし、色がこい。陽に灼けなかったところ。絵が、ずっと、そこだけ陽をよけていた場所。
緑の毛糸の帽子をかぶった子が、台所に入ってきた。
帽子は、耳のところが、のびていた。毛玉も、できていた。あたらしくは、ない。でも、ぬがない。あたらしくて、つるつるしたものより、こういうののほうが、あったかいんでしょ。
子は、冷蔵庫を見た。
四角を、見た。
いっしゅん。
なにも、言わなかった。
パンを、ひとつ。皿にのせた。椅子をひいた。となりの椅子は、ひいたままだった。だれも、すわらない。
洗いかごに、歯ブラシが二本。コップに、立ててある。一本は、ずっと、かわいたままだった。きのうも、おとといも。かわいたものは、かわいたまま、そこにある。それだけの、はなし。
牛乳。
子は、冷蔵庫をあけた。四角が、とびらといっしょに、よこを向いた。とびらがしまると、また、こっちを向いた。
コップを、出した。ちいさいコップ。ふちが、ひとところ、かけている。子は、かけたところを、いつも、おくに回して使う。しってる?
牛乳が、注がれた。とぷ、とぷ、と。半分まで。
子のコップは、ちいさい。
片手で、もてる。
子は、両手をそえた。
片手で、もてるのに。
両手で、コップを、もった。
のんだ。こくん、こくん、と、のどが動いた。あさの牛乳は、つめたい。つめたいものが、からだのなかを、まっすぐ落ちていくのが、ここからでも、わかった。
のみほした。
コップを、台に置いた。こと、と、ちいさな音がした。ゆうべと、おなじ高さの音だった。
冷蔵庫の四角は、まだ、そこにあった。
子は、帽子をかぶったまま、椅子をおりた。皿のパンの、かけらをひとつ、ゆびでつまんで、口に入れた。窓のそとで、すずめが、ないていた。
陽が、もう一段、のぼった。台所が、すこし、あかるくなった。白い面の四角は、もう、どこにあるのか、よく見えなくなった。
家は、もう、鳴らなかった。あたたまっていくものは、鳴かない。
ねえ。
きょうも、はじまっちゃったね。
