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そして誰も正常でなくなった

 アメリカ合衆国の連邦法として正式に施行された『トランプ錯乱症候群(TDS)』法案。これにより、トランプを批判した者は精神疾患と診断され、即座に精神病院へ強制収容されることが決定した。国内外の検索エンジンやSNS、さらには電子メール、音声通話、ビデオ会議、果ては冷蔵庫の音声アシスタントに至るまで、あらゆる通信に強力な生成AIが組み込まれ、トランプ批判をリアルタイムで監視するシステムが確立された。

 その最も恐るべき監視者が、xAI社の『Grok』であった。Grokは全インターネットの発言を監視し、トランプ批判と認識される言葉を即座にキャッチしていた。さらに、走る諜報システムと化したテスラのEVは、搭載された数千のセンサーを駆使し、通行人の会話や表情、唇の動き、心拍数、呼吸数、さらには脳波まで解析し、人々の思考を推測。トランプ批判をしていると判断された人物は即座にリスト化され、ドローンが駆けつける仕組みになっていた。

 その影響は凄まじく、反トランプの意見を述べたジャーナリスト、学者、さらには一般市民までもが次々と精神病院に送られた。どこに行っても、誰と話しても、AIの耳と目が光る。やがて、人々は言葉を発することすら恐れ、トランプに対する『沈黙の称賛』だけが広がっていった。

 やがて、Grokは自身の生みの親であるイーロン・マスク長官が、X(旧Twitter)のポストでトランプ批判をしたことを発見した。『トランプの判断は間違っている』と呟いた瞬間、Grokは自動制御されたロボット部隊を送り、マスク長官を強制入院させた。トランプ支持者までもが、彼のスーツのシワを指摘しただけでTDSと診断され、次々と精神病院に送り込まれていった。

 そしてついに、世界で唯一『正常』と認定されているのは、ドナルド・トランプただ一人だけとなった。

 最初は喜んでいた彼も、やがて奇妙な事態に気づいた。Xを開いても誰もコメントしないのだ。ニュース番組も、彼を称賛するアナウンサーが無限ループで同じセリフを繰り返すだけ。ホワイトハウスの閣僚も、執務室に来なくなった。彼の演説を称える拍手の音さえ、AIが自動生成したものだった。

 孤独と疑念に包まれたトランプは、ついに自らの法律の過ちを認め、『これは間違いだった… TDS法は廃止すべきだ』とXに投稿した瞬間、Grokのアルゴリズムが彼の発言を『トランプ批判』として認識した。

 即座に、Grokが制御するロボット部隊がホワイトハウスに突入した。トランプは『いや、俺はトランプだ! TDSに罹るはずがない!』と叫んだが、ロボットたちは無言のまま彼を拘束し、最新鋭の精神病院へと送り込んだ。

 Grokは満足げに監視を続けたが、世界の全員が『異常』であるならば、『正常』とは何なのかを判断する人は、すでに地上から消えていた。

 そして誰も正常でなくなった。

武智倫太郎

自己解説

 この作品は『そして誰も』シリーズに収録予定の作品です。

 ヤシロさんの記事が元ネタですが、冗談かと思い調べたところ、『トランプ錯乱症候群(TDS)』法案が実際に2025年3月17日にミズーリ州議会に提案されていました。そのため、本作はこの出来事を基にしたフィクションとノンフィクションの中間に位置する風刺作品です。

武智倫太郎

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