サイボーグドラマに学ぶLGBTQ問題:『600万ドルの男』と『バイオニック・ジェミー』
読者さまより『バーボンと煙草と未来のサイボーグ猫:(AI倫理と何の関係があるのか?)』に『アンドロドと言えば『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』という作品もありましたね』とコメントをいただきました。
『バーボンと煙草と未来のサイボーグ猫』シリーズは、AI無知倫理学会の黒歴史と言われている失敗作で、『更に読まれない要素』として『麻雀小説』の要素を加え、連載が続いています。
一般雑誌などでは連載を続けたくても『出版社の大人の都合』により、『連載打切り』があり得ます。noteの良いところは、noteの都合により『連載打ち切り』になることを心配する必要がないところです。『創作意欲を無くしたクリエーターが先に潰れる』か、『ツイッターゴリ押したことが原因でnoteが潰れるか』の『デスバトル(読者が読む気の失せる魔法のキーワード)』です。
ところで、AI無知倫理学会は昨日『転生』して『飯山陽(いいやま・あかり)非公認ファンクラブ』になっているので、ストーリーに関係なく行き成り『飯山陽推し』を始めることがあります。テレビ番組でいきなりコマーシャルが入るのと同じと思えば、話の流れは気にする必要はありません。

筆者も『アカデミア』として、三浦瑠麗や松尾豊や茂木健一郎の論文を採点する企画をしていましたが、わざわざ採点しなくても、三浦瑠麗に関しては、飯山陽先生がすでに結論を出してくれていました。
松尾豊の論文は既にAI無知倫理学会で『はい論破!』(ひろゆき用語)状態ですが、問題なのは茂木健一郎の論文です。茂木健一郎を論破したくても、彼は論文を書かずにコメディアン活動に専念しているので、これでは査読対象になり得ません。
ここからが本題です
筆者は先日、エルゼビアという学術同人誌出版会社の同人誌に英語論文を提出しました。論文が通らなかったことがないので、論文が通らないということ自体が想定外です。AI研究の第一人者なら英語論文など朝飯前のはずですが『松尾ぐみ』では超難関といえるでしょう。
『松尾ぐみ』は、幼稚園のクラスの『さくらぐみ』、『ひまわりぐみ』のような幼稚なクラスなのか、漢字で『松尾組』と書いてしまうと、多数の広域指定暴力団松尾組からクレームがつくのでしょうか? 『組』という漢字が難し過ぎて読めない園児が多い可能性も否定できません。
松尾ぐみの論文の書き方:英語論文 | 松尾 豊
日本から投稿される情報系(特に人工知能、Web等の分野です)の論文は、主要な国際会議にほとんど通りません。研究者人口や研究費の額を考えると、国際コミュニティにおける日本人のプレゼンスは非常に低いです。この一番の理由は、論文の完成度の問題です。私の知る限り、ほとんどの論文が十分に完成度が上がらないまま投稿され、その結果として不採択になっています。一般的な国際会議では通ることがあっても、グレードの高い国際会議に完成度が低い論文が通ることはまずありません。完成度が上がらないこと、これが日本の情報系の論文が海外で通用しない最大の理由です。
(中略)
・[英文校正]
英文校正の業者に出します。
返ってきたのを最後にチェックします。おかしくなっているところは修正してください。
・[投稿]
投稿します。ビールを飲んで、満足感に浸ります。
『それって、単にあなたのレベルが低いだけですよね?』(ひろゆき風)
そもそも国際共著論文を書けば『英文校正業者』など使う必要はありません。言語学系のAI論文以外は、ポエムや文芸作品ではないので、論文の内容が良ければ、エルゼビアでも、シュプリンガーでも、IEEEでも、AAAIでも通ります。
それで、今回、筆者が執筆したエルゼビアの同人誌では、お名前を登録する際に『あなたの人種は以下のどれに相当しますか?』や『あなたの性別はどれに所属しますか?』の設問があり、どちらの設問にも『定義できない』と『分からない』と『答えたくない』の項目がありました。
人種に関しては、人種の定義自体が難しいのに加え、アジア人と、白人と、黒人のハーフや、クウォーターなど色々な組み合わせがあるので、『定義できない』と『分からない』があるのは理解できます。性別に関してはLGBTQに加えて『複数回変更している』という項目もありました。どれを選んでも間違いだったり、論文を落とす理由にはならないので、適当にクリックすれば、登録は終了します。
『600万ドルの男(原題:The Six Million Dollar Man)』と、『地上最強の美女バイオニック・ジェミー(原題:The Bionic Woman)』の関係
今回お題をいただいたコメントで良かったことは『600万ドルの男』ではなく『バイオニック・ジェミー』だったところです。
『バイオニック・ジェミー』は『600万ドルの男』のスピンオフ作品なので、筆者の年齢だと『600万ドルの男』と質問されると、『600万ドルの男(日本で放映されていたのは1974~75年頃)』の倫理上の問題のみ論じてしまい、『バイオニック・ジェミー(日本で放映されていたのは1977~78年頃)』を見落とすところでした。
放映当時からの謎だったのが『600万ドル』(当時のレートで18億円)で、カスタムメイドであれほどの性能のサイボーグが作れるのか?』と、子供なら当然に疑問に感じる部分でした。
近年においては、600万ドルをインフレ補正したり、そんなに直ぐにできるはずはないので、『予め作っておいた試作品を人体に実装する場合の研究開発費の適切な会計処理のあり方』や、『意識不明状態の患者や家族の同意なしに勝手に改造手術をしてしまう医療倫理問題』の方が寧ろ重要であり、エンターテイメント性などあまり気にならなくなりました。
更に『空想科学』的知見から『メカ部分と生体部分の接合部にどれほどの衝撃が掛かるのか?』や、『神経とメカ制御のインタフェースはどうなっているのか?』など、謎は深まるばかりです。
また、昨日発足した『飯山陽(いいやま・あかり)非公認ファンクラブ』としては『LGBTにQを加えるべきかどうか?』の観点から、原題の『The Six Million Dollar Man』と『The Bionic Woman』のジェンダー問題まで考慮すべき事項は増えるばかりです。
『The Six Million Dollar Transgender』や『The Bionic Questioning』が無いのは、明らかに性的マイノリティ差別であり許しがたい設定だと真面目に主張したい方は、主張する前に『飯山陽のいかりちゃんねる』をご視聴ください。
『飯山陽のいかりちゃんねる』の番組宣伝
【自認だけで女性トイレ使用OK?!】経産省トランスジェンダーがトイレ訴訟で勝利@最高裁!
AI倫理や科学技術倫理問題
合意と個人の自由:600万ドル・スティーブ・オースチン(男)と、バイオニック・ジェミー・ソマーズ(女)は、それぞれの事故で重傷を負い、その結果、バイオニック技術を使用してTHEY(近年のアメリカでは、heやsheと言うと性差別になるのでTHEYを使いましょう)の体が強化されました。しかし、これらの手術がTHEYの明確な同意を得て行われたかどうかは不明確であり、それが個人の自由や意志に対する侵害している可能性が極めて高いです。2014年のロボコップのリメイク版では、『事故で意識を喪失しているマーフィ刑事の妻クララから改造手術の同意を得られるかどうか?』が重要なテーマになっています。
プライバシー:スティーブとジェミーはそれぞれ政府の秘密機関によって改造され、THEYの体は基本的に監視と制御の対象となりました。これはプライバシーと個人の自主性に対する大問題です。
機械と人間の区別:人間の体を機械的に改良するという概念は、人間と機械、またはAIとの境界についての問題を提起します。何が人間を人間たらしめるのか、そしてAIやバイオニック技術が進化するにつれて、我々はどこに人間と非人間の線を引くべきなのかという問いを投げかけます。イーロン・マスクの『脳埋め込みチップ』に関しては、マスク自身が自分に埋め込みたいと主張しています。マスクがマスクの脳埋め込みチップを実装すると、マスクがサイコパスに特有の経営ミスをした際に、経営ミスをした時点のマスクの責任能力(心神喪失者の行為)が問われるのか、あるいは、バグのある脳内チップを開発させた過去のマスクの経営責任が問われるのかという、訳の分からない話になってしまいます。
アクセスと公正性:バイオニック技術へのアクセスは、限られた数の人々にしか提供されていません。これは、一部の人々だけが利益を受ける可能性があるという公正性の問題を提起します。バイオニック技術が一般的になると、一部の金持ちだけが利益を享受できるという新たな格差問題が生まれます。これは銀河鉄道999で金持ちだけが機械の体で永遠の命を獲得できるのは不公平なので、銀河鉄道999に乗ってタダで機械の体を手に入れようとする虫のいい話と同じテーマです。
LGBTQ+擁護者的視点に立った問題点
二元的な性別表現:両シリーズは従来の男性と女性の役割を固定化しています。スティーブ・オースチンとジェミー・ソマーズは、双方とも1970年代の一般的な性別規範に従って描かれています。性別の多様性と表現の自由を軽視した、このような二元的な描写は許されるべきことではありません。(アメリカだと本気で、こんな主張をする人がいます。なぜ、アメリカかというと、筆者は日本のことをあまり知らないからです。細かい話をすると、アメリアでは州や市ごとに世論は大きく異なり、一般的に民主党が圧勝する州ではこの傾向が強いです。メディアも以下のような感じで分かれています)
LGBTQ+の表現の欠如:LGBTQ+のキャラクターが不在です。これにより、テレビ番組が社会の全ての人々を適切に表現していません。他にも黒人やヒスパニックやアジアやアラブ系の主要キャラクターが登場していないことを問題視する人権擁護団体もかなりあります。一方で、多様なキャラクターを登場させると、それぞれのキャラクターがステレオタイプの偏見を助長していると非難されるので、キャラクターが登場してもしなくても批判されることには変わりません。つまり、ヒット作品を出してしまうと、どのみち叩かれるので、AI無知倫理学会のように『如何にして読まれないようにするか』という努力がクリエイターには必要です。
ステレオタイプと性別の役割:シリーズが従来の性別ステレオタイプや性別の役割に沿ったキャラクターを描くことにより、性の二元性の観念が強化され、性別の多様性や流動性が否定されています。そのため、筆者のようにBL(ホーイズ・ラブ)や、ツンデロイド(見た目はマチルダなので少女ですが、AIに性別があるかどうかはわからないので、Questioningです)をバランスよく作品に描く『表現の不自由』が重要なのです。
