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シュレーディンガーのヘアゴム

『シュレーディンガーのヘアゴム』は、量子力学の『重ね合わせ』の概念を、唯物論と唯心論の対立を考察するための思考実験としてnoteで提唱されたものであり、まだ誰にも検証されていないものです。

#なんのはなしですか

 この思考実験を理解するためには、まず、量子の重ね合わせという量子物理学の基本的な概念を理解する必要があります。この状態は、観察対象が観察されるまで物理的な状態が複数の可能性を同時に持っているという考え方です。『シュレーディンガーの猫』と呼ばれる猫の実験が有名です。しかし、この思考実験は、猫を使った残酷な実験として動物愛護家の間で顰蹙を買っています。しかも、猫が死んでいるか生きているかの二者択一しかできないのです。

 そこで、この猫の実験を改良したものが『シュレーディンガーのヘアゴム』です。この思考実験では、消耗品である『私の頭の外のヘアゴム』を使います。私は男性ですが、ロバート秋山のようなロン毛なので、ヘアゴムは欠かせないものです。

 LGBTQに関係なく、ヘアゴムを使う人は、朝、ヘアゴムを頭につけた記憶があり、途中で外したかもしれないという曖昧な記憶を持つことがよくあります。つまり、ヘアゴムが現在どこにあるのかは、確認するまで確定しないのです。

 唯物論的視点では、『私の頭の外のヘアゴム』は物理的な物であり、観察されるまでどこか特定の場所に存在しています。ヘアゴムが頭にあるか、手にあるか、バッグの中にあるか、それ自体は確認されるまで確定しないだけで、物理的にはどこかに存在しているのです。

 一方で、唯心論的視点に立つと、ヘアゴムはあなたの意識の中にあり、意識がその存在をどう捉えるかによって決定します。あなたが『ヘアゴムは頭の外にある』と意識すれば、それは頭の外に存在し、逆に『頭の中にある』と感じれば、そうなるのです。つまり、ヘアゴムの存在そのものが、観測者の意識に依存しているという考え方です。

 ここでヘアゴムは、量子の重ね合わせのように『頭の内にも外にも同時に存在している』と言える状態です。観測されるまでは、ヘアゴムはどちらの場所にも存在している可能性があり、意識がどう認識するかで確定するまで曖昧なままです。

 実験者がヘアゴムを手で確認する瞬間、その『位置』が唯物論的に確定します。それまでは、『私の頭の外のヘアゴム』は同時に『頭の中』と『頭の外』にある『シュレーディンガーのヘアゴム』の状態で存在しているのです。

 この実験は、ヘアゴムの存在が物理的(唯物論)か精神的(唯心論)かという問いが、観測者の意識によって決定されるまで、複数の状態が存在するのです。この思考実験の奥深いところは、ヘアゴムそのものを観測するのではなく、思考実験をする人が唯物論者なのか唯心論者なのかという、実験者の哲学的立場によって解答が定まらない、という現実社会における不毛な論争を揶揄している点にあります。

#どうかしているとしか

 勿論、観測者が懐疑主義者であることも考えられます。この場合、懐疑論者は『ヘアゴム』の存在自体を疑います。しかし、懐疑論者が『ヘアゴム』の存在を疑い始めると、この思考実験はさらに白熱し、支離滅裂なのか、何かの答えを導こうとしているのか混沌とした状態に陥り、現実の哲学界により近いものになります。

 懐疑論者にとっては、『私の頭の外のヘアゴム』が頭の中にあるか、外にあるか、あるいは存在するかどうかすらも確信できません。ヘアゴムは単なる幻想かもしれませんし、記憶が不確かである以上、そもそもヘアゴムを使ったという事実さえも怪しいものになります。ここで問題となるのは、『ヘアゴムの存在は一体何によって証明されるのか?』という問いです。

 懐疑論的な視点からすると、物質世界のどんなものも絶対的に信じることはできません。唯物論者の『ヘアゴムはどこかに存在する』という確信や、唯心論者の『意識によってヘアゴムの存在が決定される』という見解さえも、彼らにとっては一時的な仮説にすぎないのです。ヘアゴムの存在そのものが、もしかすると観察する者の錯覚に過ぎないのかもしれません。

 つまり『シュレーディンガーのヘアゴム』の思考実験は、単に物理的存在と意識の関係を探るだけでなく、存在そのものに対する人間の根本的な疑念を表現するものにもなります。ヘアゴムのような日常的で些細な対象を通じて、我々が現実をどのように知覚し、どこまで信じることができるのかという深い哲学的問題にまで到達することができるのです。

 さらに、この実験が示すのは、現実は一つの絶対的な解答を持たないという点です。唯物論者、唯心論者、懐疑論者、それぞれが自分の立場から見た『真実』を持っていますが、それらの真実は一様に正しいとも間違っているとも言えません。この曖昧さこそが、『シュレーディンガーのヘアゴム』の本質であり、我々が日常的に直面する現実認識の不確かさを描き出しているのです。

 この実験を通して、私たちは『ヘアゴム』という小さな存在を通じて、物理的現実と意識の狭間に存在する曖昧さ、そして人間が持つ認識の限界について、思索を深めることができるのです。

武智倫太郎

#下書き再生工場

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