最後の技術者たち:ポイ活難民編(2)
第二話 LINE役所と異例の口頭要請
約款の上に建った市役所
文・武智倫太郎
あらすじ
消えゆくIT伝統芸を記録するエッセイを書いていたはずだった。だが、電子マネーとポイントが日常を覆った瞬間、物語はホラー小説へ変わった。第一話では、元決済インフラ技術者の太田健二郎が、レジ横に並ぶ決済ロゴを「決済帝国の軍旗」と呼んだ。人々は得をしているつもりで、購買履歴、移動履歴、通院の影、検索語までを経済圏へ差し出していた。帰り際、太田のスマホに自治体からの通知が届く。「LINEで申請できます」。それは、次の戦場への招待状だった。
本文
『LINEで申請できます』
太田健二郎さんのスマホに表示されたその通知は、拍子抜けするほど明るかった。
緑色の吹き出し。丸みを帯びたボタン。親切そうな案内文。そこには、役所の硬さも、窓口の冷たさも、申請書の分厚さもなかった。
ただ、こう書かれていた。
『窓口に行かず、かんたん手続き』
簡単。
便利。
安心。
この三つが並んだ瞬間、太田さんは画面を二度見した。
行政DXの三元牌である。
【白】【白】【白】ポン。
白は、白紙の申請書を消す牌。
【發】【發】【發】ポン。
發は、通知を発行し続ける牌。
【中】【中】【中】ポン。
中は、中間持ち株会社と資本関係の奥へ沈んでいく牌。
『近未来麻雀:哭きの禿』の卓なら、この三枚が晒された瞬間、誰かが黙って牌を倒す。
役は大三元。
いや、行政DXの場合は大惨元である。
【簡単】
【便利】
【安心】
行政がこの三牌を哭くと、ポイ活に熱心な市民は、役満でも来るのかと期待する。
窓口へ行かなくていい。
紙を書かなくていい。
待たなくていい。
通知も届く。
本人確認もできる。
決済もできる。
申請状況も分かる。
完璧な配牌である。
だが、麻雀で本当に怖いのは、見えている牌ではない。
鳴かせた相手の手の内である。
市民は、自分でツモっているつもりだった。
だが実際には、役所と民間プラットフォームと決済経済圏が、すでに鳴いていた。
ポン。
チー。
カン。
友だち追加。
通知許可。
本人確認。
最後に市民が『同意する』を押した瞬間、卓の向こうで誰かが静かに言う。
「ロン」
太田さんは画面を見つめたまま、低く言った。
「来たな」
「何がですか」
「役所じゃ」
「役所からのお知らせですよね」
「違う。役所が、民間アプリの中へ引っ越してきたんじゃ」
この国では、支配は命令の形では来ない。
便利の形で来る。
強制ではなく、案内として来る。
逮捕状ではなく、通知として来る。
赤紙ではなく、緑色の吹き出しとして来る。
そして市民は、自分が鳴かされたことに気づかない。
なぜなら、画面にはこう書かれているからである。
『かんたん手続き』
哭いているのは禿ではない。
役所である。
いや、正確には、役所の背後で、民間約款と資本関係と認証基盤が、静かに哭いている。
かつて役所は建物だった。
駅から少し離れた場所にあり、玄関には自動ドアがあり、ロビーには番号札の発券機があり、壁には住民票、戸籍、税証明、国民健康保険、介護、子育て、福祉と書かれた案内板が並んでいた。
窓口の向こうには人間がいた。
態度の良い職員もいた。態度の悪い職員もいた。説明の上手い職員もいた。何を聞いても「担当が違います」と返す、役所の迷宮に棲む門番のような職員もいた。
それでも、そこには人間がいた。
それが、だんだんホームページになった。
検索窓になった。
PDFになった。
FAQになった。
チャットボットになった。
そして、ついにLINEになった。
役所は建物ではなくなった。
公式アカウントになったのである。
普通のDX賛美記事なら、ここで拍手喝采である。
市民は窓口へ行かなくても、スマホから行政手続きができるようになりました。
二十四時間いつでも申請できます。
職員の負担も減ります。
行政サービスの利便性が上がります。
すばらしい。
便利です。
未来です。
だが、週刊バブルウォッチの愛読者なら、ここで拍手を止める。
便利な役所がスマホに入ったのではない。
役所の入口が、民間プラットフォームの約款の上に移されたのである。
これは似ているようで、まったく違う。
市役所の玄関に民間企業の利用規約が敷かれ、その上に行政手続きの受付カウンターが置かれる。住民はそこに靴を脱いで上がる。規約を読む者はいない。読んでも理解できない。理解しても交渉できない。交渉できないものに同意しなければ、次へ進めない。
それを現代では、ユーザー体験と呼ぶ。
昔は、役所の窓口で書類を書いた。
今は、アプリの中で同意ボタンを押す。
どちらも面倒である。
しかし、紙の書類にはまだ余白があった。間違えれば二重線を引けた。分からなければ職員に聞けた。読めなければ、読めないと言えた。
同意ボタンには、余白がない。
押すか、戻るか。
行政手続きの入口が、二択に変わる。
市民は、自分で選んだことにされる。
同意したことにされる。
理解したことにされる。
そして、あとで何かが起きると、こう言われる。
『お客様ご自身で同意されています』
これほど完成度の高い哭きはない。
鳴かされた側が、自分の意思で鳴いたと思い込んでいるからである。
市役所の玄関に民間企業の利用規約が敷かれ、その上に行政手続きの受付カウンターが置かれる。住民はそこに靴を脱いで上がる。規約を読む者はいない。読んでも理解できない。理解しても交渉できない。交渉できないものに同意しなければ、次へ進めない。
それを現代では、ユーザー体験と呼ぶ。
昔は、役所の窓口で書類を書いた。
今は、アプリの中で同意ボタンを押す。
どちらも面倒である。
しかし、紙の書類にはまだ余白があった。間違えれば二重線を引けた。分からなければ職員に聞けた。読めなければ、読めないと言えた。
同意ボタンには、余白がない。
押すか、戻るか。
行政手続きの入口が、二択に変わる。
翌日、私は太田さんとともに、通知を送ってきた自治体の庁舎へ向かった。
入口には、大きなポスターが貼られていた。
『もう並ばない市役所へ』
その下に、緑色のQRコードが印刷されていた。
『友だち追加で、各種手続きがもっと便利に』
行政と友だちになる。
この言葉は、よく考えると相当に気持ちが悪い。
国家は、友だちではない。
自治体も、友だちではない。
行政とは、権利と義務をめぐって、市民が時に頼り、時に疑い、時に争う相手である。住民票を出してくれる相手ではあるが、税金を取り立てる相手でもある。給付金を支給する相手ではあるが、差し押さえの通知を送る相手でもある。
それが、スマホの中では友だちになる。
しかも、こちらから追加する。
何という民主的自首。
庁舎の中には、もう一枚ポスターがあった。
『窓口に来る前に、まずLINEで確認』
その下に、小さな文字が続いていた。
『混雑緩和にご協力ください』
協力。
また美しい言葉が出てきた。
強制ではない。
命令でもない。
ただ、協力である。
協力しない人間は、違法ではない。
ただし、少しだけ迷惑になる。
この「少しだけ」が怖い。
『LINEで申請できます』は、最初は選択肢だった。
だが、しばらくすると言葉の重心が変わる。
LINEでも申請できます。
LINEなら早く申請できます。
LINEなら二十四時間申請できます。
LINEなら通知が届きます。
LINEなら不備もすぐ直せます。
LINEなら本人確認もできます。
LINEなら決済もできます。
LINEなら便利です。
そして最後に、窓口で紙を出す人間だけが、なぜか申し訳なさそうに椅子へ座らされる。
制度は言う。
「任意です」
任意とは、美しい言葉である。
それは、従わない自由があるという意味ではない。従わなかった場合の不便を、自己責任で引き受けるという意味である。
太田さんは番号札を取った。
発券機には二つのボタンがあった。
『LINE事前申請済みの方』
『その他の方』
その他。
人間は、こうして制度の外側へそっと置かれる。
太田さんは迷わず「その他」を押した。
番号札が出てきた。
E-113
私はその記号を見た。
「Eって何ですかね」
太田さんは笑わなかった。
「Exceptionじゃろ」
例外。
Errorではないのが、せめてもの救いだった。
いや、救いではない。
例外処理とは、コンピュータシステムでは「想定外だが処理しなければならないもの」である。通常の流れには乗らない。別のルーチンに送られる。ログに残る。場合によっては、担当者の確認が必要になる。
人間が、例外処理になる。
それが、LINE役所の入口だった。
待合スペースのモニターには、通常番号とLINE事前申請番号が別々に表示されていた。
A-045
A-046
A-047
その横で、E番号は静かに止まっていた。
E-109
動かない。
LINE事前申請の人々は、短い確認だけで呼ばれていく。スマホ画面を見せ、職員が端末を確認し、書類が出る。早い。実に早い。文句のつけようがないほど便利である。
一方、「その他」の椅子には、紙の封筒を抱えた人々が座っていた。
誰も怒っていない。
誰も抗議していない。
ただ、待っている。
これが現代の包囲網である。
怒鳴られない。拒否されない。違法扱いもされない。ただ、待たされる。説明される。もう一度来るよう言われる。書類を追加される。本人確認を求められる。スマホがあれば早いですよと、親切に勧められる。
それでも拒否すれば、次からは自分の選択になる。
太田さんの番号が呼ばれるまで、五十分かかった。
窓口に座っていたのは、若い職員だった。丁寧だった。感じも良かった。こちらに敵意などない。むしろ親切である。
だから、余計に怖い。
「LINEでの事前申請はお済みですか」
「しとらん」
「では、次回からLINEをご利用いただくと、待ち時間が短くなります」
「次回がある前提なんじゃな」
職員は一瞬だけ困った顔をした。
「いえ、必要な場合は、という意味です」
「必要は、誰が決めるんじゃ」
職員は答えなかった。
それは意地悪な質問だった。若い職員に答えられるはずがない。彼女は制度を作った人間ではない。ただ、制度の窓口に配置されているだけである。
太田さんは続けた。
「このLINE役所は、安全なんか」
「セキュリティには十分配慮しております」
「十分配慮、という言葉は便利じゃな」
「個人情報の取り扱いについては、規約をご確認いただけます」
「役所の窓口で、民間企業の規約を読めと言われる時代が来たか」
職員は黙った。
その沈黙は、彼女の敗北ではない。
この国の仕様書の敗北である。
庁舎の入口には、緑色のQRコードが貼られている。
その下の地下深くには、資本関係図が埋まっている。
Aホールディングス。
ソフトバンク。
NAVER。
LINEヤフー。
業務委託。
共通認証基盤。
行政指導。
個人情報保護委員会。
通信の秘密。
異例の口頭要請。
市民が押す「友だち追加」の下には、聞き慣れない名詞が何層にも積もっていた。
普通の市民は、住民票が欲しいだけである。
粗大ごみを出したいだけである。
防災情報を受け取りたいだけである。
子育て支援の案内を見たいだけである。
給付金の通知を見逃したくないだけである。
だが、QRコードの向こう側には、行政サービスだけがあるわけではない。
約款がある。
委託先がある。
認証基盤がある。
親会社がある。
海外資本がある。
監督官庁がある。
行政指導がある。
株主がいる。
市場がある。
そして、それらの全部を理解しないまま、市民は『同意する』を押す。
理解していないから無責任なのではない。
理解できるように作られていないのである。
そのころ、画面の向こうでは別の会議が開かれていた。
会議室のテーブルには、図が置かれている。
上には、二つの箱。
片方は日本の巨大通信企業。
もう片方は韓国のネット企業。
そこから二本の矢印が下へ伸びる。
五十パーセント。
五十パーセント。
その下に、中間持ち株会社。
さらに下に、LINEヤフー。
そしてその下に、九千万人を超える利用者。
さらにその下に、地方自治体。
さらにその下に、友だち追加した住民。
図だけ見れば、ただの資本関係である。
だが、ホラー小説では、こういう図がいちばん怖い。
幽霊は出てこない。
血も流れない。
ただ、矢印が下へ向かっている。
その矢印の一番下で、市民はスマホを持っている。
『LINEで申請できます』
総務省が行政指導を出す。
個人情報保護委員会が勧告を出す。
親会社のセキュリティガバナンスまで問題になる。
資本的な支配関係の見直しという言葉が飛び出す。
それでも、庁舎の入口には今日も緑色のQRコードが貼られている。
これが一番怖い。
情報漏えいがあったから、使われなくなるのではない。
行政指導があったから、入口から消えるのでもない。
不安は、便利に負ける。
いや、違う。
不安は、便利に包まれると、不安に見えなくなる。
ネット民は、すでに煮え立っていた。
韓国に抜かれている。
北朝鮮にも流れるかもしれない。
中国も見ているに違いない。
ソドムバンクのAIが全部食っている。
家畜人ヤプーが検索履歴と決済履歴を混ぜて、日本人の生活を丸裸にしている。
もちろん、その全部が事実とは限らない。
いや、全部が事実であるなら、それはホラー小説ではなく、危機管理報告書である。
だが、風評とは無から生まれない。
共通認証基盤。
業務委託。
海外事業者。
監視ログ。
行政指導。
資本関係見直し。
通信の秘密。
これだけの言葉が並べば、ネット民の脳内では、韓国と北朝鮮とサイバー部隊とソドムバンクAIが、一つの黒い鍋で煮込まれる。
その鍋の名は、データ主権不信である。
データ主権とは、難しい言葉ではない。
自分たちの情報を、誰が、どこで、どの法律の下で、どの権限で、どの程度まで扱っているのか。
それを自分たちで把握し、管理し、説明できるかという話である。
ところが、市民の画面には、そんな言葉は出てこない。
出てくるのは、こちらである。
『かんたん手続き』
『本人確認を開始』
『通知を許可』
『同意する』
データ主権は、画面の外に追い出される。
画面の中には、ボタンだけが残る。
窓口手続きを終えたあと、庁舎横の喫茶店で山崎奨さんと合流した。
七十三歳。かつて自治体の住民情報システム、税務システム、窓口端末、電子申請基盤の設計に関わった技術者である。
山崎さんは、紙ナプキンに線を引いた。
窓口。
電話。
郵送。
ホームページ。
電子申請。
アプリ。
LINE。
「最初は、入口を増やしたつもりだった」
山崎さんは言った。
「だが、入口を増やすと、やがて一番安い入口へ誘導される。人手のかかる入口は残るが、歓迎されなくなる。電話は混み合っていますと言われる。窓口は予約制になる。郵送は時間がかかる。ホームページは検索できない。結局、アプリかLINEへ行く」
「強制ではない」
「強制ではない。だから厄介なんだ」
山崎さんは、紙ナプキンに大きく『任意』と書いた。
「任意という言葉は、システム側から見ると便利だ。強制していないのだから、文句を言われにくい。だが、利用者側から見ると違う。任意とは、標準ルートから外れる責任を本人に戻す言葉になる」
LINEを使わない自由。
窓口で待つ自由。
電話がつながらない自由。
郵送で遅れる自由。
紙で不備を出す自由。
本人確認でつまずく自由。
通知を見逃す自由。
給付が遅れる自由。
自由という言葉が、これほど陰惨に見えたことはない。
「市民は選べる」
山崎さんは言った。
「だが、選択肢には傾斜がついている。便利な方へ転がるように作られている」
そのとき、太田さんのスマホが震えた。
また緑色の通知だった。
『本日のご来庁ありがとうございました』
まだ庁舎を出て、二十分も経っていない。
通知には、続きがあった。
『次回からはLINE事前申請をご利用いただくと、よりスムーズにお手続きいただけます』
太田さんは、画面を見たまま黙っていた。
山崎さんが言った。
「見ているな」
「何を」
「行動だ」
もちろん、これは怪談ではない。
誰かが窓からこちらを覗いているわけではない。尾行されているわけでもない。庁舎の職員が双眼鏡で追跡しているわけでもない。
ただ、手続きが終わった。
窓口利用者として記録された。
LINE通知対象だった。
だから案内が来た。
それだけである。
それだけ、という言葉は便利だ。
決済履歴も、それだけ。
位置情報も、それだけ。
通知開封も、それだけ。
申請状況も、それだけ。
本人確認の有無も、それだけ。
未登録状態も、それだけ。
人間の生活は、「それだけ」の集積でできている。
そしてAIは、それだけを読む。
山崎さんはさらに恐ろしいことを言った。
「内容は見ていない、と説明される」
「実際、見ていない場合も多いでしょう」
「そうだ。だから説明としては正しい。だが、内容を見なくても、輪郭は見える」
どの公式アカウントを登録したか。
どの通知を受け取ったか。
どの通知を開いたか。
どの申請を途中でやめたか。
どの手続きで窓口に戻ったか。
どの時間帯にアクセスしたか。
どの端末を使ったか。
本人確認を完了したか。
口座を連携したか。
電子決済を選んだか。
紙を選んだか。
「本文を読まなくても、人間は読める」
山崎さんは、紙ナプキンを折り畳んだ。
「通信が暗号化されていることと、人間が読まれていないことは、別の話だ」
庁舎の外では、スマホ相談会が開かれていた。
「ここを押してください」
「はい」
「次に、同意するを押してください」
「はい」
「通知をオンにしてください」
「はい」
「友だち追加してください」
「はい」
その声は穏やかだった。
誰も脅していない。
誰も怒鳴っていない。
誰も命令していない。
それなのに、列に並んだ人々は、一つずつ、自分の生活の扉を開けていた。
通知を許可する。
位置情報を許可する。
カメラを許可する。
本人確認を許可する。
行政からのお知らせを受け取る。
健康情報を連携する。
決済方法を登録する。
ポイントを受け取る。
許可。
また美しい言葉である。
人間は、拒否されたくない。
だから、許可する。
帰り道、太田さんはぽつりと言った。
「役所は、昔から人間を番号で見ておった」
住民番号。
世帯番号。
納税者番号。
保険者番号。
被保険者番号。
整理番号。
受付番号。
「それは今も同じでは」
「違う」
太田さんは首を振った。
「昔の番号は、人間を探すための番号じゃった。今の番号は、人間を動かすための番号になりつつある」
探すための番号。
動かすための番号。
その差は大きい。
探すだけなら、台帳である。
動かすなら、制御である。
私は、第一部の最初に見たファジー制御の図を思い出した。温度、湿度、揺らぎ、誤差。入力を見て、出力を決める。
いま、行政アプリと決済アプリとポイントアプリと健康アプリがやろうとしていることは、それに似ていた。
入力は、人間の行動。
出力は、通知。
もう少し歩いてください。
まだ申請していません。
ポイントが失効します。
本人確認を完了してください。
この制度の対象かもしれません。
この商品がおすすめです。
この保険を検討しませんか。
この病院を予約できます。
この手続きを忘れていませんか。
人間は、自分で選んでいると思っている。
だが、その前に、選択肢を並べられている。
そして、選択肢を並べる側は、選択そのものを設計できる。
太田さんのスマホがまた震えた。
今度は、行政ではなかった。
検索アプリからの通知だった。
『LINE申請が不安な方へ。かんたん解説』
私は寒気がした。
まだ検索していない。
いや、違う。
していないつもりだっただけかもしれない。
庁舎の場所を検索した。制度名を検索した。喫茶店を検索した。スマホ相談会のポスターを撮った。何かの広告を踏んだ。通知を開いた。位置情報を使った。決済した。
どれか一つではない。
全部が、少しずつつながっていく。
家畜人ヤプーという名の検索エンジンは、まだ姿を見せていなかった。
だが、餌箱だけは、もう目の前に置かれていた。
夜になり、庁舎の窓に灯りが残っていた。
窓口は閉まっている。
だが、LINE役所は閉まらない。
二十四時間、緑色の入口が開いている。
市民は、好きな時間に申請できる。
好きな時間に通知を受け取れる。
好きな時間に同意できる。
好きな時間に自分を登録できる。
これほど自由な檻が、かつてあっただろうか。
第二話、LINE役所と異例の口頭要請。
それは、行政が便利になった物語ではありません。
行政の玄関が、民間プラットフォームの約款の上に建てられていく物語です。
現金を使う者は、犯罪者ではありません。
LINEを使わない者も、反行政分子ではありません。
マイナ連携しない者も、制度上は不利益を受けません。
制度上は。
その四文字が、夜の庁舎よりも暗かった。
次回、第三話。
家畜人ヤプーと検索される生活。
人間は、検索しているつもりだった。
だが、検索窓の向こう側では、人間の方が読まれ始めていた。
