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Netflix感想文:なぜ日本ではパンティのことをショーツと呼ぶのか?

『HK/変態仮面』シリーズの解説と感想

文・武智倫太郎(カルト映画評論家)

Netflixで久しぶりに、心の底からこう思った。
これは本当にひどい。
そして、ひどいほどに美しい。

『HK/変態仮面』を単なる出オチ映画として片付けるのは、あまりに雑な見方だと思う。もちろん出オチである。パンティを被った筋肉男が正義を執行する時点で、出オチでないはずがない。だが、この作品の異常さは、そこで終わらない。本体はその先にある。

主演の鈴木亮平は、この荒唐無稽な設定を、ふざけることで成立させているのではない。逆だ。本気でやることでしか成立しない狂気として、真正面から演じ切っている。その血の滲むようなパンプアップによって獲得された彫刻的リアリズムが、原作の低俗さとヒロイズムの危うい均衡を、スクリーンの上で奇跡的に成立させているのだ。

1.興行における『カルト的熱狂』の連鎖

2013年の第1作公開時、本作はわずか12スクリーンという小規模公開だった。にもかかわらず、初週から異様なアベレージを叩き出し、最終的には興収1億円を突破する。

ここで重要なのは、この作品が『笑われる映画』ではなく、語られる映画だったという点だ。

人は、説明不能なものに出会うと、それを誰かに話したくなる。しかも『よかった』『感動した』では済まない作品ほど、言語化の欲望を刺激する。何なんだあれは。なぜ成立しているのか。なぜあんなにくだらないのに、妙に熱いのか。そうした問いが、そのまま口コミになる。

つまり『変態仮面』とは、構造的にバズるよう設計された異常性の装置だったのである。

SNS時代以前の邦画界において、ここまで明確に『違和感そのものが宣伝になる』構造を持った作品は、そう多くない。笑って終わるのではない。見たあとに説明したくなる。その一点において、本作は非常に強い。

2.越境する『HENTAI』

国際映画祭におけるパラダイムシフト

続編『アブノーマル・クライシス』を含め、本作がプチョン国際ファンタスティック映画祭などで熱狂的に支持された事実も軽視できない。

ハリウッドのスーパーヒーローは、基本的には倫理と正義の物語である。力をどう制御するか。責任をどう引き受けるか。社会のために何を守るか。そこにあるのは、近代的なヒーロー観だ。

だが『変態仮面』は、その枠組みを最初から崩している。
本作のヒーローは、倫理ではなく衝動で駆動する。
正義の前に、性癖がある。
使命の前に、変態性がある。

そして奇妙なことに、その倒錯が、作品全体を崩壊させるどころか、逆に独特の純度を生み出している。

ここにあるのは、ポストモダン的解体などという生ぬるいものではない。これは、文明が長く隠蔽してきた身体そのものの反乱である。

言語が通じなくとも、筋肉は通じる。
理屈が破綻していても、ポーズは成立する。
思想がなくとも、広背筋は雄弁である。

本作が海外で受容された理由は、実に単純だ。
意味ではなく、物質そのもので観客をねじ伏せているからである。

日本文化を文脈で説明する必要がない。パンティを被った男が異様な説得力を持って立っている。その事実だけで、すでに映画になっている。近年の日本映画で、ここまで肉体だけで国境を越えた作品は、かなり珍しい。

3.総評:鈴木亮平という『生身の特撮』

特筆すべきは、CGに頼り切らない鈴木亮平のフィジカル・パフォーマンスである。広背筋の広がり、腹直筋のセパレーション、そのすべてが『作られた映像』ではなく、『現実の肉体』としてそこに存在している。

それはもはや演技ではない。
人体そのものが特殊効果と化している状態だ。

この作品の恐ろしいところは、変態という社会的タブーを、鍛え抜かれた肉体の美によって浄化してしまう点にある。ふつうなら下品にしかならない設定が、ある瞬間から妙に神々しく見えてくる。馬鹿馬鹿しさが、肉体の本気によって押し切られてしまう。

この倒錯したカタルシスこそが、本作を単なる悪ふざけから『映画』へと押し上げている核心だ。
鈴木亮平は、役を演じているのではない。
役が成立するだけの肉体的現実を、自分の身体で先に作ってしまっている。

だから観客は笑いながらも、どこかで認めざるを得ない。
これは確かに、ひどい。
だが、確かに映画でもある。

4.そして、誰もショーツの意味を説明できなくなった

さて、本作ではパンティは、あくまでパンティと呼ばれる。
これは実は、かなり重要なことである。

なぜならこの語は、英語圏でも比較的そのまま通じる、わりとまともなカタカナ英語だからだ。少なくとも、日本語独自の謎進化を遂げた語ではない。

ところが、日本社会に目を転じると、奇妙な現象が観測される。

パンティは、なぜか、レディース・ショーツと呼ばれる。

ここで一度、冷静になろう。

英語の shorts は何か。
本来は、短いズボンである。

つまり日本語の『ショーツ』とは、本来の意味からすれば、下半身の布全般をぼんやり包み込む、謎の緩衝語なのである。

さらに奇妙なのは、ブラである。
英語では bra なのに、日本語では今なお『ブラジャー』が健在だ。

この国は、セレブリティをセレブに縮める。
コンビニエンスストアをコンビニに縮める。
リモートコントロールをリモコンに縮める。
パーソナルコンピューターをパソコンに縮める。
デパートメントストアをデパートに縮める。
スマートフォンをスマホにまで削る。

なのに、ブラは伸びる。

この時点で、もう分かる。
日本のカタカナ語は、合理性では決まっていない。
意味の正確さでも決まっていない。
語源への忠誠心など、最初からない。

あるのは、語感と空気と、売り場での収まりだけである。

ここまでは、まだいい。まだ『略語』の顔をしている。
だが問題はここからだ。

ワープロ。
クレーム。
サラリーマン。
ノートパソコン。
OL。
マンション。
ペーパードライバー。
ベビーカー。
マイカー。

このあたりになると、英語は徐々に原型を失い、日本国内で独自進化した別種の言語生物へと変異する。借用語ではない。半ば接収である。

そして極めつけが、テレビだ。

テレビ。
この言葉こそ、カタカナ英語の代表的成功例のように見えて、実はかなり奇妙な存在である。

英語圏で『テレビ』と言っても、ほぼ通じない。彼らは TV あるいは television と言う。つまり日本語の『テレビ』は、英語を借りているようでいて、実際には英語のど真ん中から微妙にズレた独立語彙なのだ。

しかも日本では、テレビは単なる家電ではない。
メディアであり、文化装置であり、世代の記憶であり、ときには人生そのものですらある。
だがそのまま外へ持ち出すと、『何か略したっぽい音』として空中分解する。

この現象は偶然ではない。

ハラスメントは、パワハラ、セクハラ、モラハラへと増殖する。
パンツはズボンであり、同時に下着でもある。
この国では、下半身の概念すら曖昧なのだ。

そしてその曖昧さは、怠慢ではない。
それどころか一種の洗練である。
日本語は、正確に言うためではなく、ちょうどよくぼかすために進化してきた節がある。

パンティと言い切るには生々しい。
下着と言うには味気ない。
ショーツなら、何となく上品で、何となく売り場に置きやすく、何となく恥ずかしさが薄まる。

この『何となく』が強い。
日本語はしばしば、定義ではなく空気によって回っている。
だからショーツは成立する。
成立するどころか、ほとんど誰も疑問に思わない。

疑問に思うのは、変態仮面を見たあとに、なぜかパンティという語の健全性について考え始めた人間だけである。

5.結論:ショーツとは何か

ショーツとは、英語ではない。
翻訳でもない。
正確さとも無関係である。

それは、日本語が恥を処理するために編み出した、言語的フィルターである。

パンティと言い切るには生々しい。
下着と言うには素っ気ない。
その中間に漂う、意味の曖昧な安全地帯。
それがショーツだ。

つまり日本のカタカナ英語とは、英語ではない。翻訳でもない。借用ですらない。
英語という素材を使って、日本語が勝手に再設計した第二の母語である。

文法は日本語。
語感も日本語。
見た目だけが英語。

これは言語というより、文化的インターフェースだ。
しかもそのインターフェースは、正確さよりも、恥の回避と、場の空気と、なんとなくそれっぽい感じを優先して最適化されている。

パンティはショーツになり、
ズボンはパンツになり、
テレビは通じず、
それでも誰も困らない。

なぜならこの言語は、外に向けて作られていないからだ。
最初から最後まで、日本人同士がちょうどよく誤解し合うために設計されている。

ここに一貫した法則はない。
あるのはただ一つ。
なんとなく恥ずかしいものを、なんとなくぼかす文化的力学だけである。

ちなみに『勝負下着』という概念も、英語に訳した瞬間にかなり危うくなる。
そこに入っているのは、機能でも用途でもない。
期待であり、幻想であり、自己暗示である。

つまり日本語とは、物を隠すための言語ではない。
感情を包むための言語なのである。

そして今日もまた、誰かが静かに言い換える。
パンティではない。
ショーツである、と。

ショーツとは、英語ではない。
空気である。

しかもその空気は、人がほんの少しだけ楽に生きるために作られている。

日本語とは、誤解を正確に共有するための言語である。

こういう『説明できないのに、なぜか気になってしまうもの』を、これからも拾っていきたい。

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