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そして誰も返済してもらえなかった:孫の伝説II

 借りたものは返す。
 そんな当たり前すら、もう過去の遺物になりつつある。

 この物語は孫正義がたどり着いた、資本主義の限界点...…いや、資本主義そのものを超越した領域を描く。

 20兆円が消えた。だが誰も怒らなかった。なぜなら、返済という概念そのものが、帳簿から、そして世界から、静かに消し去られていたからだ。

 これはフィクションである。だが、もしかすると、遠くない未来のノンフィクションなのかもしれない。

『そして誰も返済してもらえなかった』

 狂気と幻想の狭間へようこそ。

そして誰も返済してもらえなかった


……帳簿の彼方に召された20兆円

第一章:元本より信用のほうが重い
『返済の概念、それ自体を見直すべきだと思うんです』

 孫正義の2027年新年講演会、冒頭の第一声だった。

 債券市場はどよめいた。
 いや、正確にはどよめくことさえできず、ただ沈黙していた。

 なぜなら、SBGは社債の返済そのものを思想的に否定する段階に入っていたからだ。

『借りたのではない。未来を前借りしただけだ』

 孫は静かに、しかし確信に満ちて言い放った。

 その瞬間、金融というゲームのルールブックは、音もなく焼却された。

第二章:償還ゼロのバベル債
 SBGは新たな金融商品を発表した。

 その名は、Vision Redemption-Free Bond(VRFB)。
 通称、バベル債。

 主な特徴は次のとおりである。
 償還期限は未来永劫、利払いはAIが算出する感情的満足度で相殺、担保は世界に対する信頼。

 もはや債券と呼べるかすら怪しかった。

 だが、信じられないことに、バベル債は飛ぶように売れた。
 なぜなら、同時にこう告げられたからである。

 バベル債購入特典として、Vision AI 3.5による『未来の人生設計PDF』をプレゼント。さらに抽選で、孫正義の著書『帳簿を超えて』(未刊行)のサイン入りがもらえる。

 未来を前借りする者たちのために、未来そのものが販売されたのである。

第三章:消えた債権者たち
 半年後。初回利払いの時期が訪れた。

 債権者たちは口座を開き、愕然とした。残高は、どこにもなかった。

 代わりにログイン画面にはこう表示されていた。

『あなたのアカウントはメタ償還済です』
『Vision AIによるポジティブ財務感情が確認されました』

 受け取るべきものは、感情で完結していた。

 誰も、一円たりとも返済してもらえなかった。だが、誰一人としてクレームを出せなかった。なぜなら、債務も債権も感情も、すべてがAIによって認定される時代だったからだ。

第四章:FASBの沈黙、そしてIMFの土下座
 国際会計基準審議会(IASB)と米国会計基準審議会(FASB)は、この処理をめぐり混乱した。

 一部の若手委員は絶叫した。

『いや、これは返済詐欺だろ!』

 だが、すでにIMFから密使が孫のもとを訪れて、私室で深々と頭を下げ、こう言ったという。

『あなたが破綻すると、世界の金融感情が冷えます。我々も困るのです。どうか、返済したことにしていただけませんか』

 孫は微笑み、頷いた。

『理解ある監督機関には、敬意を表しますよ』

 この瞬間、世界の帳簿は、感じた者勝ちのルールに書き換えられた。

第五章:そして誰も帳簿を読まなくなった
 翌年、SBGの財務諸表は、ついに芸術へと昇華した。

 もはや数字を並べた無機質な表ではなかった。
 そこには、静かに、そしてどこか優雅に、詩が編み込まれていた。

 連結貸借対照表と題されたセクションには、こんな文言が踊っていた。

資産とは、ひと夜の夢
負債とは、交わした約束の残り香
純資産とは、誰かが記憶した幻影

 投資家たちは帳簿を読み解くために集まったのではない。
 まるでかつての廃頽の貴族たちが、失われゆく詩を手に取るように、儚い数字の断片を、そっと愉しみに訪れていた。

 そこにはもう、検証も、監査も、冷たい計算も存在しなかった。
 ただ、帳簿という名の一篇の詩を、名残惜しく口ずさむ者たちだけが残されていた。

最終章:伝説の終わり、幻想の始まり
 その後、SBGの株主総会は講演型アートイベントへと変貌した。社債ホルダーたちは、メタ債権体験者として舞台に招待された。

 返済は、一度も行われていない。だが、誰も怒らなかった。
 なぜなら、返済という概念そのものが、世界から丁寧に消し去られていたからだ。

 孫は最後にこう語った。

『私は世界を変えたのではない。支払いという言葉の意味を再定義しただけだ』

エピローグ:SBGを卒業した男
 2035年。AI監査が支配する世界で、SBGの財務モデルは哲学科の教科書に載った。……そこにはこう記されている。

『近代資本主義における信用の芸術──孫の理論』

 そして、最後の一行。

 帳簿において、最も偉大なのは、記載されなかった数字である。

 そして誰も返済してもらえなかった。

武智倫太郎

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武智倫太郎

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