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人間は屯すると、すぐに文壇を作る

文・武智倫太郎(壇上避難行動研究家)

文壇という言葉には、古い座布団の匂いがする。

誰かが長く座っていた跡があり、その席に座る資格のある人と、座ってはいけない人がいる。座った人は急に声が低くなり、座れなかった人は入口のあたりで立ったまま、ありがたい話を聞かされる。

私は、文壇というものをそういう場所として想像している。

もっとも、文壇には建物がない。看板も会員証もなく、「文壇入口」と書かれた門もない。だから、それが本当に存在したのか、それとも古い人たちが懐かしそうに語っているだけの共同幻想なのか、外からは分かりにくい。

目に見えるのは、文壇そのものではなく、文壇が残した制度である。芥川賞や直木賞、文芸誌、書評欄、選考委員、出版社、作家同士の関係。そういう骨格だけは今も残っているので、「文壇はまだある」と言う人もいる。

制度としては、たしかに残っている。

しかし、制度が残っていることと、文化が生きていることは別である。歌舞伎座があるから江戸時代が続いているわけではないし、相撲協会があるから江戸の町人文化がそのまま残っているわけでもない。文壇も同じである。

かつては、神保町や神田、銀座の片隅に、作家や編集者や評論家が夜ごと集まる場所があった。いわゆる文壇バーである。戦後から高度成長期、そしてバブルの終わり頃まで、そうした店は文学の裏口のような役割を果たしていた。原稿は出版社に出す。噂は酒場で流れる。評価は誌面に載る前に、灰皿とグラスのあいだで温まる。いま考えると、実に不健康で、実に文学的である。

一九九〇年代に入ると、その空気は急速に薄くなっていった。バブルが崩れ、出版社の余裕が痩せ、夜の店で文学を発酵させるような時代も終わりに向かった。文壇バーが一斉に消えたわけではない。だが、そこに集まることで文学が動くという感覚は、少しずつ昔話になっていった。

私は、日本の文壇そのものも、二〇〇〇年代から二〇一〇年代にかけて、静かに役割を終えたのだと思っている。葬式も解散式もなかった。誰かが終了を宣言したわけでもない。ただ、そこにあったはずのものが、気がついた時には機能しなくなっていた。

では、文壇とは何だったのか。

それは、作家、編集者、評論家、新聞、文芸誌、文学賞が作っていた閉じた共同体である。新人は文芸誌に投稿し、編集者が読み、先輩作家が認め、評論家が語り、新聞や文芸誌が価値を保証する。読者は、その評価を手がかりに本を買う。

古い仕組みである。だが、書店が文化の入口で、新聞の書評欄に力があり、文芸誌が作家を育てていた時代には、古いなりに役割があった。

そこには権威も、嫉妬も、派閥もあった。人間関係の泥もあった。だが、泥があるから沼は沼なのである。文学という湿地帯では、作品は腐りもしたし、発酵もした。

インターネットは、その湿地帯を干上がらせた。

作家は出版社を通さず読者に届くようになり、読者は評論家を通さず作品を評価できるようになった。文芸誌に載らなくても、作品はSNSで広がる。評価権そのものが分散したのである。

読者は文学から離れたのではない。漫画、アニメ、ゲーム、Web小説、動画、SNSへと、物語のある場所に移動しただけである。

文壇は、自分たちが文学そのものだと思っていた。しかし実際には、文学を流通させる一つの仕組みにすぎなかった。仕組みが古くなれば、別の仕組みに置き換えられる。

その変化が見えやすい形で現れたのが、二〇〇四年の芥川賞だったのではないか。

綿矢りさ『蹴りたい背中』と、金原ひとみ『蛇にピアス』。十九歳と二十歳の同時受賞である。

二人の才能を否定する話ではない。問題は作家の側ではなく、文壇の側にあった。あの時、文壇は若さにすがった。「若い女性作家」「史上最年少」「同時受賞」「時代の空気」。文学賞は、文学の選別装置から、出版業界の販促装置へ変わりつつあった。

かつて文壇は、読者に「これが文学である」と差し出していた。いつの間にか、「これは話題になります」と差し出すようになった。この差は大きい。

若さ、美しさ、異色の経歴、過激な題材、家族や性、貧困や病や炎上。どれも文学になりうる。しかし、文学になる前に売り文句にされる。ここで文壇は深く壊れた。作家を守る場所ではなく、作家を商品棚に並べる場所になったからである。

ここで、吉本ばななと林真理子を並べると、現代日本文学がどこで発酵し、どこで腐敗したのかが見えやすくなる。

一人は国際的作家であり、もう一人は国内的成功者である。吉本ばななは、『キッチン』で海外にも読者を持ち、現代日本文学を外へ運んだ作家の一人だった。林真理子は、週刊誌、女性誌、テレビ、文学賞、文化行政、大学理事長職までを渡り歩き、日本語メディア圏の中で巨大化した作家だった。

どちらが偉いという話ではない。二人を比べると、日本の「壇」の作り方が見えてくる。

吉本ばななは、文壇がまだ辛うじて文学を守っていた時代に、国際的な作家になった。しかし、文壇が消えた後の現在、noteの上では一人の発信者として読者に向き合っている。本人のnoteには「noteは私の最前線」とあり、「ひとり文芸誌」という言葉もある。

この言葉は重い。

本来、文芸誌は一人で作るものではなかった。編集者がいて、校閲がいて、批評家がいて、出版社があり、書店があり、読者がいた。作品を文学として受け止めるための面倒な装置があった。

その装置が壊れた後、世界的作家が自分で文芸誌を名乗り、自分で売り、自分で燃える。これが二十一世紀の文学である。

吉本ばななの有料note騒動は、単なる一家の内情暴露として片づけられない。むしろ、文壇が存在しなくなったことの証左として読める。

日本固有の文壇という制度がまだ機能していたなら、吉本ばななほどの作家が、あのようにむき出しの場所で苦労する必要はなかったはずだ。編集者が止め、文芸誌が受け、批評家が文脈を作り、先輩作家が煙に巻く。良い制度だったとは言わない。それでも、そこには緩衝材があった。

その緩衝材は、いつの間にか撤去されていた。撤去費用を誰が払ったのかは知らないが、作家だけが裸で風を受けている。

作家が書いてnoteに置き、読者が支払い、SNSが燃やす。文学の周辺にあった装置が消えた後、作家と読者と炎上だけが直結している。

作家の通帳を覗き込む趣味はない。しかし、読者の前に現れた絵は残酷である。国際的に読まれた作家が、貧困の影をまとって読まれかねない状況の中で、身内の恥まで商品にしているように見える。それが実際の貧困なのか、象徴としての貧困なのかは分からない。ただ、文学の国際通貨を持っていたはずの作家が、日本語プラットフォームの小銭決済に立たされている光景は、見ていて苦い。

一方、林真理子は別の道を通った。

彼女は、海外文学市場で吉本ばななのように読まれた作家ではない。少なくとも、国際翻訳文学の棚で世界的読者を獲得したタイプではない。林真理子の戦場は、日本語の週刊誌であり、女性誌であり、テレビであり、直木賞であり、文藝春秋であり、日大であり、文化行政であった。

彼女は自分の俗を売った。

見栄、欲望、上昇志向、嫉妬、女同士の値踏み、消費社会のいやらしさ、成功したいという匂い、褒められたいという湿度。そういうものを隠さなかった。そこが強かった。

林真理子は、身内の恥を売ったのではない。自分の俗を売った。そして、日本国内ではそれが金になった。連載になり、ドラマになり、賞になり、文化人の席になり、大学理事長の椅子にまでつながった。

ここに日本のガラパゴス的病巣がある。

国際的に読まれた作家が、文壇消滅後の荒野でむき出しになる。国内メディア圏で俗を反復販売した作家が、制度の椅子に座る。この対比は、作家個人の善悪ではなく、日本社会の評価システムの問題である。

外へ届いた文学より、内側で回る話題が強い。作品の国際性より、国内メディアでの接触回数が強い。文学的達成より、週刊誌的持続力が強い。批評より、顔が売れていることが強い。

こうして文壇は腐る。編集も腐る。マスメディアも腐る。

編集者は、本来なら自分で読む人間だった。この作家は危ない、この原稿は出せる、これは止めるべきだ、これは今出すべきではない、これは文学になる、これは単なる暴露で終わる。そういう判断を、身体で引き受ける仕事だった。

ところがSNSが評価の代行業者になると、編集者も自分で考えなくなる。SNSで火がついた話をネットメディアが記事にし、記事になったことでSNSがまた騒ぎ、テレビが拾い、切り抜きが流れ、さらに燃える。この循環の中で、誰も最初の判断をしていない。

ただ、燃えているものを燃えていると報じる。報じられたものが、さらに燃える。火事を取材している顔で、薪をくべている。

これが現在のマスコミである。マスメディアではない。マスゴミである。呼ばれたくなければ、自分で見て、自分で考え、自分で責任を取ればよい。それをしないから、自分でゴミ箱へ入っていく。

文壇は、文学を守るふりをして作家を商品にした。編集者は、判断するふりをしてSNSの後追いをした。マスメディアは、報道するふりをして炎上の回覧板になった。

この構造は、文学だけに限らない。

日本では、何でもすぐに「壇」になる。文壇や画壇、楽壇、歌壇、俳壇、評壇、そして学壇まで、分野が変わっても構造はあまり変わらない。

壇とは、一段高い場所である。一段高い場所を作ると、そこに上がる人間と、下から見上げる人間が生まれる。最初は、それでよかったのだろう。作品を選び、技を磨き、研究を鍛え、批評を交わすための場として、壇は必要だった。

ところが壇は、すぐに祭壇になる。

作品を置く場所だったはずが、人間を拝ませる場所になる。作品や研究が問われるはずの場で、いつの間にか誰の弟子か、どの結社か、どの大学か、どの学会か、どの査読圏かが幅を利かせる。壇上にいる人間は、作品より先に自分を守り始める。

私は武道や格闘技についても書くので、YouTubeの武術動画を見ることがある。伝統空手、極真カラテ、合気道、截拳道、忍術、古武術、護身術。ジャンルはいろいろあるが、閉じた共同体の匂いはよく似ている。

先生が技をかけ、弟子が気持ちよく飛び、周囲が感心し、別の先生が褒める。コメント欄には「達人の世界だ」「現代格闘技では説明できない」といった言葉が並ぶ。

まことに文壇的である。

文芸誌が「この新人は凄い」と言い、評論家が「これは文学だ」と言い、選考委員が「新しい才能だ」と言い、読者がよく分からないままありがたがる構造と、よく似ている。原稿用紙がYouTubeなっただけで、共同体の甘さは変わらない。

文学なら、読者に届いているか。

武術なら、抵抗する相手に通用するか。

研究なら、反論に耐えられるか。

報道なら、事実に耐えられるか。

そこを問わなければならない。

ところが、壇は検証を嫌う。検証は痛い。恥をかくし、負けるし、言い訳が効かない。だから、人間は壇に逃げる。壇上なら負けにくい。褒めてもらえる。外の声を雑音として処理できる。

文壇も、武術村も、学壇も、腐る仕組みは同じである。

批評が礼儀に負ける。検証が序列に負ける。実力が空気に負ける。異論が「失礼」と呼ばれる。そうして、壇上の人間だけが無傷で残る。

そこへ、たいへん都合よくAIが運ばれてくる。

AIは、この腐敗を正すために来るのではない。使い方を間違えれば、腐敗を見えにくくするために使われる。人間が引き受けるべき判断を、きれいな文章と要約とリスク判定の中へ溶かしてくれるからである。

AIは文章の体裁を整える。要約もする。構成も作る。炎上しにくい言い回しを探し、批評のような顔をした文章まで差し出してくる。

これからの編集者は、AIに下読みをさせるだろう。編集会議の前にAIの要約を読み、炎上リスクを見させ、類似作品を探させ、売れそうな見出しまで出させる。編集者が読まなくても、会議は進む。誰も読んでいないのに、全員が読んだ顔をできる。たいへん編集会議向きである。

文壇が腐り、編集が腐り、マスメディアが腐ったところへAIが来た。

順番としては、なかなか味わい深い。

腐った台所に、最新式の包丁が届いたようなものである。刃は鋭い。だが、冷蔵庫の中身が腐っていれば、皿に盛られるのは腐敗の薄切りである。

AI時代の作家に残るのは、文章を生成する能力ではない。

文責である。

何を見たのか。何に腹を立てたのか。何を疑い、どこまでを自分の名前で引き受けるのか。読者に殴り返されても、その一文の前に立っていられるのか。

この判断を放棄した瞬間、署名だけが残り、筆跡が消える。

AIは恥をかかず、胃も痛めず、親戚関係もこじらせない。編集者に止められて不貞腐れることもなければ、炎上した夜に眠れなくなることもない。

作家は、そういう面倒なものを背負って文章を書く。

その胃の痛みの名義人が、作家である。

壇上に上がれば、拍手は聞こえる。SNSの火事場に立てば、熱は感じる。AIの後ろに隠れれば、文章は整う。

しかし、拍手も、熱も、整った文章も、自分の文章の前に立つことの代わりにはならない。

文壇がなくなった時代に、作家が最後に戻る場所は、自分の文章の前である。

ここで話は、吉本ばななと林真理子に戻ってくる。

吉本ばななは、文壇が消えた後の作家が、どれほどむき出しで文章の前に立たされるかを見せている。林真理子は、文壇が腐り始めた時代に、国内メディアを使って壇上へ上がった作家である。

一人は、文壇がないためにむき出しになった。もう一人は、文壇が弱ったために権力を得た。この二人を並べると、日本文学の悲しい地図が見えてくる。

外へ出た文学は守られない。

内で回った俗は権力になる。

これが日本のガラパゴスである。

そして、そのガラパゴスの湿地に、文壇、画壇、楽壇、歌壇、俳壇、評壇、学壇が、今日も静かに繁殖している。

人間は屯すると、すぐに文壇を作る。

作家は、その文壇から逃げ出すために書くのである。

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