見出し画像

日本“仏教”の今後(宗教団体も税金を払え)

4月8日は釈迦の誕生日らしい。

釈迦がいつ生まれたのか学者の中でも定説がないのに、誕生日が4月8日だと、誰が言いはじめたのか不思議だけど。

宗教、特に仏教について私は何度も書いてきた。

釈迦の死後4百年から千年以上も経ってからできた大乗経典は釈迦の教えではない、それら大乗経典を依りどころにしている“仏教”は仏教ではないと。

釈迦の時代、インドには文字がなかった。

彼の死後、百年くらいして文字が使われるようになった。

そのとき釈迦の孫弟子やひ孫弟子たちが「第一回結集(けつじゅう)」を開き、釈迦の教え(声。「経」は声を意味する)をまとめた。

それが後に小乗経典と呼ばれるようになる仏典である。

雑阿含経とも呼ばれる。


〈雑阿含経〉


そこに書かれている釈迦の「声」は、厳しい修行の果てに「悟達して苦を克服しろ」という内容だ。

インドでは紀元前13世紀からカースト制度という厳しい身分制度があった。

バラモン(祭司)、クシャトリヤ(武士)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(奴隷)に分けられていた。

釈迦の時代(紀元前5世紀ころ)、インドでは苦行をして生きる苦しみから逃れようとする人たちがたくさんいた。

〈自分の体をわざと痛めつけ、苦しい姿勢を続けるなどの「苦行」〉

その多くは、シュードラ階級の人たちだったのではないかと思う。

シュードラの階級の人たちは、それほど苦しんでいたのではないか。

釈迦は今のネパールの釈迦族の王族出身と言われているが、それは怪しいなと私は思っている。

けれど、シュードラの出身ではないことは確かなようだ。

釈迦がどの階級だったかはわからないが、苦しみから解放されるにはどうしたらいいか知りたいために、出家して今のインド初めは苦行をした。

しかし「こんなことをしても無駄だ」と気付き、苦行をやめ、すべての欲を遠ざけ、瞑想するようになった。

それであるとき、世の中のすべては移ろうもので実態はない、であればそれにとらわれる必要はないと悟った

すべての欲からも完全に解放され、人間の最高の境地をつかんだ。

〈釈迦は菩提樹の下で悟達した/手塚治虫の「ブッダ」より〉
〈悟達した釈迦はすべての欲から解放された/手塚治虫の「ブッダ」より〉


そんな釈迦を人々はブッダ(悟った人の意味)と呼んだ。

この「ブッダ」を中国人が「仏陀」と表記し、そこから「仏」という言葉が生まれた。

だから釈迦の教えは「仏教」と呼ばれるようになった。

ちなみに英語圏の人は仏教徒を「ブッディスト」(Buddhist)と言う。

話がそれたので戻す。

釈迦厳しい戒律を自分にも弟子たちにも課したのは、苦行を経験したことと無縁ではないと思うのだ。

釈迦は苦行をしても苦しみから解放されないと思ったのだが、移ろうものに心をとらわれたり欲に身を任せたりしたら、厳しい修行の妨げになると考え、苦行にも似た厳しい戒律を守る生き方を選んだのだと思う。

それを弟子たちにも強いたのだろう。

それで初期仏教は戒律をやかましく言った。

そうすれば「悟達」できて苦しみから解放されると信じて弟子たちは努めた。

ところが、あらゆる煩悩を遠ざけて「悟達」できるなんて人はまずいない。

「そんな教えでは広めていけない」と後世の弟子たちは考えたのだろう。

それで、経典を誦んで仏像を拝めば即身成仏できるとか、前世の罪悪を消滅できるとか、ご利益が得られるとか、死んだら成仏するとか、釈迦が聞いたら唖然とするような内容の経典をでっち上げた

成仏とは仏という人間になるのではなく、あらゆる煩悩を退けて悟達の境地に至ることをいう)

それが大乗経典である。

インドで生まれた釈迦仏教はすたれ、後世の弟子たちはインドやシルクロードで大乗経典をこしらえた。

そこで釈迦仏教は第一次の大変化をしたわけだ。

それが中国に渡ると第二次の変化をした。

仏壇をこしらえてその中に仏像を安置し、線香を焚いて鈴(りん)や木魚を鳴らしてお経を上げる形になった。

遣隋使船遣唐使船に乗って中国に渡った僧たちは、中国語に翻訳された経典を書き写して持ち帰り、また中国の僧たちの行う修行方法も持ち帰った。

日本に持ち込まれた最初の経典は小乗だった。

それらは奈良の寺々で研究され、僧たちは戒律の多い小乗的な修行をするようになった。

その後、大乗経典が持ち込まれると、日本天台宗や真言宗ができた。

当時は天皇が国を治めていた。

天変地異が続々と起こって天皇は頭を悩ませていた。

日本天台宗真言宗ができたのはそんなときだった。

天台宗最澄が中国の天台山から持ち込んだ宗教で、もともと大乗経典の中では法華経が最も優れていると見ていた最澄は、その法華経こそが釈迦の真実の教えであると考える中国天台宗に学びに行きたかったのが実現したわけだ。

もっとも最長が中国にいたのはわずかな期間で、その間に弟子たちとともに経典を大急ぎで書き写しただけのようなものだった。

真言宗空海が創始した宗教で、その依りどころとしている大日経は最も遅く作られた大乗経典である。

それは釈迦の教えとはまったく関係なく、インドのバラモン教やヒンズー経の教義や儀式を取り入れたものになっている。

紙に絵を描いた曼荼羅を拝んだり、護摩を焚いて祈祷するという、釈迦仏教はもちろん、正統な中国仏教ともまるで違っていた。


〈護摩を焚いて祈祷する真言宗の僧〉


どちらも即身成仏が可能だという教義を持っていた。

現生利益を得られるとも説いていた。

天皇は日本天台宗と真言宗に目をつけた。

それら“仏教”が国家鎮護の宗教になると思ったわけだ。

特に真言宗は、加持祈祷によって雨を降らせたりやませたりすることができると説いていると知り、それこそが日本を救うものだと天皇は飛びついた。

こうして日本天台宗と真言宗は日本の“仏教”の総本山的な存在になった。

しかし、それら宗教は国家のためのものであり、民衆のものにはなっていなかった。

鎌倉時代になると、民衆のための“仏教”が続々と輩出した。

浄土宗、日蓮宗、禅宗などがそれだ。

浄土宗大乗経典の阿弥陀経を依りどころとする宗教で、南無阿弥陀仏と唱えていれば死ねば極楽に行けるという教義を持つ。

日蓮宗は天台宗と同じく法華経を第一とする宗教で、その教義は他の仏典を信じてはいけないという激しいものだ。

日蓮宗は南無妙法蓮華経と称えれば即身成仏でき、多くの現生利益に恵まれると説いた。

「妙法蓮華経」「法華経」と同じ経典を漢訳したものだ。「法華経」と名づけたのは三蔵法師として有名な玄奘三蔵、「妙法蓮華経」と名づけたのは鳩摩羅什というインド人である。「南無」とは「帰依する」「命を預けるの」の意味)

禅宗は「不立(ふりゅう)文字」を訴え、経典に依らないで禅を組んで悟達を目指すものだった。

それら宗教はいくつかに分かれ、浄土宗から浄土真宗が生まれたり、日蓮宗から多くの宗派が生まれたりした。

禅宗はもともといくつかの宗派があった(臨済宗や曹洞宗など)。

中国に渡った何人かの僧が、それぞれ別の禅宗を名乗った。

この中で禅宗は釈迦の教えに近い

悟達を目指すものだったからだ。

しかし、江戸期になって檀家制度が始まって国民がみなどこかの寺の信者にされると、寺は信徒たちの葬式を行ったりするようになる。

それで禅宗の僧たちも信徒のために葬式などを行うようになり、経典を誦むようになった。

他の日本“仏教”もそうで、みな葬式仏教に成り果てていった。

寺々は墓地まで作るようになり、そのため信徒に金を払わせて墓石を立てるようになった。

それ以前は人が死んでもその遺骨や死体を寺が引き取るということはあまりなかった。

街の郊外に死体を捨てたりしていたようだ。

墓なんて、そのへんの石ころを置く程度だったのではないか。

釈迦の時代ともなると、死んだら焼いて遺骨を川に捨てるのが普通だったようである。

だからなのか、釈迦の墓など存在しない

あるとしても、どこにあるのか誰も知らない。

人が死んでも葬式をするということもなかったようだ。

まして信徒から金を取るなどということはなかった。

釈迦は言っている。

「よく戒律を守っている者だけが布施を受ける資格がある」と(小乗経典)。

戒律とは、女性と交わったり盗みをしたり嘘を付いたり殺生したり楽しむことなどをしてはならないという厳しい内容である。

むろん妻帯して家庭を持つことなど許されなかった。

日本“仏教”で初めて妻帯したのは親鸞である。


〈親鸞〉


親鸞は浄土真宗を建てた僧で、公然と妻を娶った。

(ちなみに親鸞は「弟子一人ももたず候」と書き残していて、教団を作ることを否定していた。これは立派である。しかし弟子たちはいくつもの派に分かれて教団を作った)

ここから日本“仏教”の堕落が激しくなった。

室町時代の禅僧である一休は、女犯(にょぼん)の戒だけでなく肉食や飲酒までし、自分の草庵に連れ込んだ女性に子どもを産ませたと伝えられている。

「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む」

などという歌まで詠んだ。

アニメの一休さんからは想像もできない破戒僧だったのだ。

堕落した日本仏教を批判・風刺したとも言う人がいる。

そうだとしても、ほかに方法があったのではないか。

一休は、女性の愛液にまみれることに無上の幸福を感じるというようなことも言い残しているようなので、スケベなただの破戒僧だと言っていいと思う。

〈一休〉


今では、ほとんどの日本“仏教”の僧たちは妻帯を許されているのではないか。

女性と交わることのできなかった昔の僧たちは、寺の稚児を相手に性欲を発散させていた。

昔は同性愛(特に男性の場合)が大目に見られていたから、僧たちも当たり前のように男相手に性行動をしていたのだろう。

本当は女性と恋もしたいし結婚もしたいと思っている僧にしてみれば、この戒律が一番きつかったのではないか。

その戒律から解放された。

女性と交わってはならないという戒律は、キリスト教などの他の宗教にもある。

そういう世間欲を捨てなければ本当の修行ができず、また人々の尊敬を集められないので教団を存続させることが危うくなる。

それで僧たちは我慢して戒律を守ってきたのだろう。

けれど、戒律がいったん破られると、崖崩れのようにも教義はもろくも崩れ去る。

親鸞が妻帯すると他の日本“仏教”の僧たちも妻帯するようになり、江戸期になって日本人がみな仏教徒になると日本“仏教”はこぞって葬式仏教になり、死人に戒名を付けて金を取り、葬式でお経を誦んで金を出させ、墓を買わせてまた金を出させる。

(こんな坊さん連中に金を出すなんてアホらしいし、葬式をしてもらっても無駄だと思うので、私は「遺書」「葬式無用、戒名不要」と書いた)

こうして寺々は金で潤うようになり、するともっと潤いたくなり、僧たちは信徒に対して「もっと布施を」と求めるようになっていく。

中には寺の中でギターを弾いて歌ったりと、音楽を楽しむ僧まで現れた。

〈ギターを弾く僧〉


音楽はその字の通り「楽」しむものなので、これも仏教の戒律を破っている。

『ビルマの竪琴』という昔の映画は太平洋戦争中の物語では、ビルマ(現ミャンマー)の小乗仏教の僧が竪琴を弾く(若いころの中井貴一がその僧を演じている)。

〈『ビルマの竪琴』〉


小乗仏教は戒律が厳しいので、音楽を楽しむことは許されていなかったはずだ。

もし本当の話なら、その僧は破戒僧だっただろう。

宗教団体の中には、幼稚園や大学などの教育機関を経営していたり、出版社を経営していたりしているところも多い。

そして、それらはみな無税である。

宗教団体がなぜ無税になるのか不思議である。

誰がなぜそんなふうにしたのか?

ボランティアばかりするのなら無税でもいい。

しかし多くの宗教団体は金儲けをしている。

それが無税でいいわけがないと思う。

宗教団体からもちゃんと税金を取るべきだ。

無税なのをいいことに、いよいよ儲けることばかり考えている僧や宗教団体もい(あ)る。

大乗経典を信じているので彼らの宗教は仏教とは呼べないが、彼ら僧たちが釈迦の弟子だと思っているなら、「よく戒律を守っている者だけが布施を受ける資格がある」という釈迦の言葉を思い出して自分を戒めるべきだ。

しかし、釈迦仏教は現代では広まらないだろう。

悟達を目指そうと考える人が少ないだろうし、目指してもまず無理だろう。

そう考えると、日本“仏教”の僧たちは仏教を名乗らずに、新しい宗教として出発し直せばいいと思う。

ただし、現生利益とか功徳とか即身成仏だとか死ぬと仏になるとか極楽に行けるとか、釈迦が聞けば卒倒するような、いや冷静な頭で科学的に考える人間が「おかしい」と思うような教義は捨て去らないといけない。

そんなエサで信徒を釣るのは詐欺である。