「家内」「女房」「奥さん」「夫人」「主人」「亭主」「旦那」の呼称はやめたほうがいいのでは?
以前、通所していた障害者就労継続支援B型事業所で、私とほぼ同年齢の60歳代の仲間の男性が「俺の妻が…」と口にしたのを聞いて新鮮な印象を受けた。
私は、結婚していたときは妻のことを「うちの女房は…」というように「女房」と言っていた。
「うちの妻は」と言ったことはない。
それで新鮮に感じたのだ。
それ以来、今の時代は「女房」とかではなく「妻」と呼ぶべきなのではないかと思うようになった。
普通、結婚した女性のことを「奥さん」「夫人」と呼ぶ。
男は自分の妻を他人に「家内」とか「女房」と言う。
対して結婚した男性は「主人」とか「亭主」とか「旦那」とその相手から呼ばれる。
変ではないか。
男性優位の時代に作られた呼称をそのまま使っているからだ。
「奥さん」は昔、武将の妻が「奥」と呼ばれるところで暮らしていた名残だろう。
「夫人」は夫の人という意味だと思う。
専業主婦が当たり前で収入がなかった女性のことで、今なら差別語になるかもしれない。
「家内」なんて文字通り結婚した女性を差別する呼称だ。
「主人」や「亭主」も昔、夫の権力が大きく、妻の力が弱く、夫が妻を養っていたという習慣からそう呼ばれるようになったと思われる。
しかし、今は男女平等である。
なのに今もみんな「奥さん」「家内」「夫人」「主人」「亭主」と呼ぶ。
「女房」という言葉もやめたほうがいいかもしれない。
女房とは、平安時代から江戸時代ころまでの貴族社会において、朝廷や貴顕の人々に仕えた奥向きの女官もしくは女性使用人の呼称だった。
女房の名称は、仕える宮廷や貴族の邸宅で彼女らにあてがわれた専用の部屋に由来するという。
とすると、見下げる言葉のような気がするのだ。
それが今の時代にいたっても使われている。
最後に「旦那」。
これは妻が自分の夫のことを他人にいうときの呼称だが、「旦那」には別の意味もある。
召使いが主人を呼ぶ言葉、妾や囲い者の呼称、商人・芸人などの得意客に対する呼称、目上の男性に対する呼称などだ。
「旦那」で思い出したことがある。
明治初期に熊本で起きた神風連の乱のとき、鎮西鎮台司令官・種田政明少尉が襲われた。
神風連の乱に似たような騒ぎは各地で起きた。
明治維新によって身分制を廃止したことで武士の身分が消失し、廃藩置県によってそれまで藩からもらっていた給料はなくなり、さらに苗字帯刀という武士の特権も失った。
「これでは、何のために幕末の戊辰戦争を命がけで戦ったのか?」
という不平不満が武士の間に上がるのは当然で、各地で反乱が起こったのだ。
神風連の乱もそのひとつである。
襲われた種田政明少尉のお妾さんだった小浪が一通の電報を東京に住む自分の母親に送った。
その電報が有名なのだ。
「ダンナハイケナイワタシハテキズ」
つまり、「『旦那=種田』は『いけない=もうダメ』、私は『手傷=怪我を負った』」ということである。
以上は余計なことのように思われるかもしれないが、「旦那」がこう使われていたひとつの証拠として書いた。
これらの意味合いがあるのだから、「旦那」という呼称も今の時代に合ってはいないのではと思う。
結婚している女性は「妻」、結婚している男性は「夫」と呼ぶのが最も自然ではないだろうか。
あるいは、今の時代に合う新しい呼称を考えてもいいかもしれない。
かといって、友達が自分の妻を呼ぶとき「妻さん」とは呼びにくいし、自分の夫を呼ぶとき「夫くん」とも呼びにくい。
とりあえずは、自分の妻や夫を相手に話すときに「うちの妻は」とか「うちの夫は」と言うようにしたい。
「うち」という言葉も「外」に対する変な日本語なのであまり使うべきではないと思うが、しばらくは仕方ないかなと思う。
