天皇を担ぐ奴等は国賊
「忠孝」という言葉を最近聞いた。
「忠」は主君や国家への忠義や誠実な奉仕、「孝」は親への孝行や誠心誠意の奉仕のことである。
中国の思想で、それが日本に持ち込まれた。
日本では、特に武士道において「忠」が「孝」よりも重要視される時期があった。
しかし、水戸学派では、君主への忠義と親への孝行は、誠を尽くすという点で根本的に同じである「忠孝一本」という考え方を提唱した。
幕府を倒した薩長土は天皇への忠誠を第一に掲げた。
彼らが建てた明治政権では天皇を元首にし、国民は天皇のために忠誠を誓えと教育した。
さらに親、特に父親には絶対的に「孝」を尽くせと教えた。
しかし天皇は実体的には象徴的存在で、実際の政治は薩長土の元武士たちが務めた。
これは鎌倉時代からのやり方と同じである。
いや、それ以前も天皇は象徴的存在だった。
古代は天皇が実権を握って政治を行っていたが、藤原氏の台頭によって天皇は神輿(みこし)になり、政治は藤原氏が行った。
その「藤原氏」が、武家が幕府を開くと「源氏」や「北条氏」や「足利氏」や「徳川氏」に代わっていった。
ただし、足利尊氏を除いて、武士が幕府を開いても天皇に取って代わろうとはしなかった。
天皇を敬ってのことではなく、天皇を倒せば民衆の支持を得られないと思っていたからだろう。
明治政権も同じで、天皇を頂点に置いたものの、前述したように実権は元武士の政治家が握り、しかし国民には天皇への忠誠を求めた。
それが終話前期の敗戦まで続いた。
日中戦争から太平洋戦争までの時期には、「天皇陛下のために死ね」と教えられ、多くの日本兵が死地に飛び込んでいった。

敗戦で新しい憲法が作られ天皇は象徴と明記されると、天皇のために死ぬと考える日本人はいなくなったたが、「忠孝」の思想は日本人から抜けなかった。
今でも多くの日本人が「忠孝」を大切にしているように感じる。
年配の人の中には、会社に忠誠を誓って会社のために自分を殺して尽くす人が今でもいる。
それだけならそんなに悪いことではないと思うが、その思いが天皇に向かったら危ない。
今の憲法では天皇は象徴にすぎず、主権は国民にある。
というのは建前で、実際の権力を握っているのは大物政治家たちである。
具体的にいうと自民党議員であり、さらにいえば、総裁であり首相でもある高市早苗である。

自民党議員のほとんどは、日本最凶右翼である「日本会議」のメンバーである。
「日本会議」は憲法改正を声高に叫んでいる。
彼らが作った憲法改正案では、天皇を元首にしている。

さらに、国民に愛国心を植え付ける教育を強化し、国民の基本的人権を大幅に制限する内容になっている。
(「国民に愛国心を植え付ける教育」で天皇のために死ねとでも教えるのかもしれない)
自衛隊を「国軍」という軍隊にするとも書いてある。
同性愛や女系天皇を認めないなどの条項もある。
まるで戦前までの大日本帝国憲法(明治憲法)である。
「日本会議」のメンバーは、「昭和十年代が日本で一番良かった時代だ」と言う。
「日本会議」は日本を戦前に戻すべく憲法改正を進めようとしているのだ。
もしもそんな憲法に変えられたら、天皇を担ぐ連中が、また「天皇のために死ね」と言い出す恐れがある。
自民党がその憲法改正案を支持するのは、右翼的思想を持っているからでもあろうが、それと同時に、「日本会議」のメンバーに日本の大企業のトップがずらりと並んでいるからだと思う。
彼ら財界トップとつながっていれば、献金をしてもらえるし票を入れてももらえる。
この「日本会議」をマスコミは糾弾しない。
それは「日本会議」のメンバーに大企業のトップが大勢いるからだ。
「日本会議」を批判したりすれば、彼らの企業からの広告がもらえなくなる。
だからマスコミは黙っているしかない。

それをいいことに、「日本会議」も自民党も憲法を改正しようとしている。
憲法改正と彼らは言うが、その内容を見ると“改正”ではなく“改悪”である。
恐ろしい憲法改正案を作った「日本会議」とそれを支持する自民党を排斥しなければならない。
彼らは日本を滅ぼす国賊である。
