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731部隊の狂気の人体実験

関東軍731部隊による人体実験があったのを私が知ったのは23歳ころである。

森村誠一の『悪魔の飽食』を読んでのことだ。

それに衝撃を受け、731部隊関連の書を何冊読んだか覚えていない。

石井四郎中将率いる関東軍731部隊は、大日本帝国陸軍の総軍のひとつである。

「関東」は日本の関東地方のことではない。

中国の函谷関の関の東の満州地方に置かれたから「関東軍」と称したのかもしれない。

この731部隊は防疫給水を任務にしていた。

防疫給水とは、疫病対策を目的とした医務、ならびに浄水を代表するライフライン確保である。

石井四郎は「石井式濾水機」という、汚水を飲み水に変える装置を作ったので、防衛給水としての任務もしていたようだ。

〈石井四郎〉


しかし実際は防疫給水だけでなく、ペスト菌・腸チフス菌・コレラ菌・流行性出血熱菌・炭疽菌等を用いた細菌兵器の開発を行い、その効果を中国人やロシア人で人体実験していた。

人体実験とは、細菌に感染した人間を生体解剖したり、監禁して彼らが死ぬまでの様子を記録したりすることである。

実験して効果があった場合は中国各地に細菌兵器をばらまいた

最初に使われたのはノモンハン事件に際してだった。

リーダーの石井四郎はエリート医学者を部隊に集め、それらの細菌兵器開発をさせた。

部隊の軍人の多くは医者や医療関係者だったのだ。

〈旧731部隊員の一部〉


彼らは、戦争という狂気が渦巻く環境と軍という特殊な環境に置かれていたことにより、それら細菌兵器の開発にそれほとどの疑問を感じなかったようだ。

人体実験で死んだ中国人やロシア人を、彼らは「マルタ(丸太)」と呼んだ。

これらのことは、731部隊の生き残りの複数の人間が戦後に証言している。

〈旧日本軍731部隊の元隊員。「300人の生体解剖をおこなった」と自白〉

1945年 8月のソ連の参戦直後、本部施設を破壊し、人体実験用「マルタ」を殺害のうえ、幹部全員が日本に脱出した。

〈今も残る旧731部隊施設の残骸〉


占領軍(GHQ)は、細菌兵器開発技術の提供と引き換えにアメリカは石井らの罪を問わなかった

731部隊が開発した生物兵器の技術は、戦後、アメリカに受け継がれ、朝鮮戦争の際に使われたようだ。

細菌兵器の開発は日本国内でも行われていた。

東京にあった陸軍登戸研究所で毒ガス兵器の研究開発を行っていたのだ。

催涙性ガスやしゃみ性・嘔吐性ガス、糜爛(びらん)性ガス等が作られた。

それらもノモンハン事変から日中戦争まで実際に使われた

戦後数年して、東京で「帝国銀行事件」が起きた。

東京都の腕章をした中年の男が椎名町の帝国銀行を訪れ、「近所で赤痢菌が発生したので、この薬を飲んでください」と言い、自分がまずその液体を飲んでみせ、行員全員にそれを飲ませた

その液体はふたつで、医療用スポイトで湯呑み茶碗に次々と順番に入れられた

男はごく普通の態度で何十人もの行員の前でその行為をたんたんと続けた

その手先は「慣れているようだった」と、生き残った人たちが証言している。

湯呑みから液体を飲んだ行員たちは数分後から苦しみだし、多くの人が死んだ

警察はその液体を青酸化合物だとみた。

しかし青酸カリではないと当初は考えていた。

青酸カリなら、飲んですぐ苦しみだしてすぐ死ぬ。

しかし行員たちが苦しみだしたのは飲んで数分経ってからで、青酸カリならそれはあり得ないと考えたからだ。

実は陸軍登戸研究所などで、そういう特殊な青酸化合物が作られていた

犯人は、まず最初にその液体を飲んでみせた

なのに彼は苦しみもせず死にもしなかった

なぜなら、液体は2種類で、まず第一の液体をスポイトで湯呑みに入れ、次に第二液をスポイトで湯呑みに入れた

生き残った行員は、湯呑みからはガソリンのような匂いがし、湯呑みの中の液体が二層に分かれていたと証言している。

たぶん犯人は、青酸化合物とともに、それより比重の軽いガソリン等の液体を用意し、それの二種類の液体を湯呑みに入れたのだ。

飲んでみせて平気だったのは、比重が軽くて上の層にあったガソリンのような液体だけを飲んだからだろう。

これは同じような行為を習慣的に行っていた人間でなければできることではない

陸軍は、飲んですぐ苦しみだす青酸カリではなく、飲んでから数分してから苦しみだす特殊な青酸化合物を開発していた。

数人にそれを飲ませる場合、初めに飲んで人が苦しみだしたら、他の人は驚いて飲むのをやめる

それを防ぐために、効果が遅く出る青酸化合物を開発していたのだ。

それで警察の目は、旧登戸研究所出身者や旧731部隊出身者に向けられた

どちらも細菌兵器や毒ガスを開発していたからだ。

ところが警察は、途中で捜査方針を転換させた。

そして、医療器具のスポイトを使ったこともなく持ったこともなく、まして青酸化合物のことなど何も知らない一介の画家だった平沢貞通を逮捕して死ぬまで刑務所に入れた。

警察が途中で方向転換したのは、GHQから横槍が入ったからだろうと、作家の故松本清張は推測している。

〈松本清張は『日本の黒い霧』の中で帝銀事件についても推理している〉


私もそう思う。

前述したようにアメリカは旧731部隊員を罰することなく、市井に放っている

彼らの多くは、医院を設立したり薬剤師になったり医療関係の会社に入ったりした。

「薬害エイズ事件」を起こしたのは「ミドリ十字」という製薬会社である。

「ミドリ十字」が作って販売した血液製剤が多くの血友病患者をエイズに感染させた

この「ミドリ十字」の創業者は、旧731部隊の中枢にいた陸軍軍医学校教官の内藤良一なのである。

〈内藤良一は、どういう理由によるのか千葉県市原市で銅像になっている〉


しかも「ミドリ十字」には多くの旧731部隊員が就職していた。

旧731部隊員や旧登戸研究所出身者の多くは医者や大学医学部の研究者にもなっている。

彼らの中には、人体実験を続けるうちに人間として必要な倫理観を捨て去った者もいたろう。

そういう連中が患者を診察し、投薬し、手術をし、それに必要な物や技術の研究開発をしていたのだ。

医療被害に遭ったのは、「薬害エイズ事件」で被害に遭った方たちだけではないと思われる。

いくら戦争時代のこととはいえ、人間を実験台として使うなどというのは絶対に許されることではない