葬式無用! 戒名不要!
私は、死んでも葬式などしてもらいたくない。
戒名なんてものも不要である。
日本仏教は、江戸期に入ってから葬式仏教に成り果てた。
どうしてそうなったのかは以前にブログで書いたのでここでは書かない。
ただ、日本仏教は釈迦の教えとは全然違うとだけ言っておこう。
寺院は、葬式や墓地経営などで儲けている。
しかも宗教団体なので無税である。
そんな坊さんたちに金儲けをさせたくない。
葬式を寺院でしてもらうこともあるだろうが、だいたいは葬儀屋を頼むだろう。
その際でも坊さんに「お礼」としてカネを渡さなくてはならない。
戒名などもらうとすれば、びっくりするようなカネを取られる。
冗談じゃない。
息子や娘にそんなカネを払わせる気はない。
だいたい日本仏教は釈迦の教えと関係ないのだから、「仏教」ではない。
中にはマトモな教義で信者の苦しみに寄り添ってくれるような宗派もあるが、だいたいは釈迦の教えではない大乗経典を持ち出し、「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」と唱えれば、極楽に行けるとか功徳がが受けられ金持ちになれるとか、そんなインチキで信者を騙す。
そんな“仏教”寺院の坊さんにお経を唱えてもらってもどうにもならない。
戒名なんて、誰が考え出したのか知らないが、そんなものがなぜ必要なのか?
神社や教会で葬式をしてもらおうとも思わない。
神道(しんとう)は日本の土俗信仰だが、明治政府が国教みたいにしたから、日本はおかしな方向に向かってしまった。
今も神道を信じる人には右翼が多い。
そんな物騒な神社で葬式をしてもらおうなんて考えもしない。
キリスト教だって、「愛」を説きながら信者たちは戦争したりしている。
天地創造や処女懐胎なんてあるわけがない。
そんな教会で葬られるのも嫌だ。
人間、死ねばそれで終わりである。
天国も地獄もないと思う。
ただ、あちらの世界に行くだけだ。
あちらの世界に行き、亡くなった愛犬アイルと早く会えればそれでいい。
それだけが私の望みだ。


