【小説】キャットウォークの道標(みちしるべ)~おかあはいつもちょっと大変2~ 第6話
第6話
赤信号で足を止めた福蔵と融の目の前を、大きなトラックが横切っていった。
「この道は交通量が多いな」
トラックの後輪が巻き上げる土埃から顔を背け、福蔵はスマホで現在地をチェックした。
アイとリンに礼を言って別れ、福蔵と融は昨日訪ねた依頼者の女性の餌やり場である、国道沿いの植え込みへ向かうことにした。
「野良猫のテリトリーは一般的に、ねぐらにしている場所から数十メートルからせいぜい100メートルほどらしい」
「えっ、でも」
融が目を瞠った。川沿いの遊歩道から国道近くの餌やり場までは、もっと距離がある。
「ただし、餌を探すためのハンティングテリトリーは半径200メートルから500メートルくらいだとも言われている」
福蔵がスマホの地図をピンチアウトした。
「アイさんとリンちゃんが餌をあげている川沿いの遊歩道から、依頼者が餌をやっていた国道沿いの植え込みまで、およそ300メートル」
福蔵につられて、融が道の先へ目をこらす。
「それがノアのハンティングテリトリーと重なるはずだ」
「行ってみましょう」
さっきのトラックが道の先を折れていくのが見えた。川沿いに板金工場のような建物がいくつか並んでいる。
金属を加工する音が響いてきた。近づくにつれて、音はどんどん大きくなる。作業服を着た従業員たちは、よく見ると防音のためのヘッドホンを装着していた。
「この辺りは、昔は工場しかないような場所だったが、今では稼働している工場が減っているようだな。代わりに宅地化が進んだようだ」
融が耳を近づけないと、福蔵の声がよく聞こえない。会話を諦め、無言のまま足を進める。融の頭にふと、さっき福蔵を待つ間に交わしたアイとの会話がよみがえった。
『その後、体調などに変化はないですか?』
一つ前の事件で、アイに捜査を手伝ってもらった。その時に、彼女に負担をかけてしまったことがあった。
『実は……大したことじゃないですけど……』
融の問いに、アイが言いにくそうに声を落とす。
『わたしの力、前より、ちょっとだけ変わったんです』
『力が……?』
アイには不思議な能力がある。嘘をついている人の顔を見ると、口が本来の場所から移動して見えるという。
相手を思いやるような優しい嘘や社交辞令、罪のないようなごまかしの嘘なら、口はほんの少し顎の方に移動し、ファニーフェイスになる。
しかし人を裏切るような酷い嘘をついていれば、アイが直視できないほどの恐ろしい顔になるらしい。
前の事件では、友達を欺き、死の原因を作ったにもかかわらず、まるで罪悪感もなく振る舞い続ける犯人をアイに暴いてもらった。
『この人、ウソをついています……!』
そう言ってうずくまってしまったアイを見て、融は彼女に相当の負担を強いてしまったことを悔やんだ。
『前は、嘘をついている人の口が動いて見えました。でもあの事件から……』
アイは言葉を探すようにじっと考えると、
『あの事件から、わたし、相手が黙っていても、その人が嘘つきだって、わかるようになったんです』
心配そうに眉をひそめた融に、アイが慌てて首を振る。
『大したことじゃないです』
笑顔でそう言うと、アイは遊歩道の花壇で虫をつかまえているリンのそばへ戻っていった──。
「あれっ、福蔵さん」
隣を歩いていたはずの福蔵の姿がない。見回すと、福蔵は通りの反対側の歩道へ渡っており、一軒の家の前で足を止めている。
慌てて車道を横切って追いかけると、福蔵が融をちらりと見てから、それまで注視していたものに目を戻した。
「これって……」
家を囲む柵に紙が貼り付けられている。
『野良猫に餌をやるな! 通報するぞ!』
書き殴ったような乱暴な文字からは、苛立ちが感じ取れた。
柵越しには、草がぼうぼうに生い茂った庭が見えた。古い家具や、使われなくなった植木鉢が放り出され、朽ちたままになっている。
外壁の一部は剥がれ、古い平屋の半分以上の窓は雨戸が閉めっぱなしだった。この張り紙がなければ、空き家に見えていただろう。
「すみません、ちょっといいですか」
ちょうどその時、テニスのラケットの入ったケースを肩に掛けた隣の家の住人が、門を開いて中に入ろうとしていた。
「このあたりに、野良猫がいるんですか?」
柵に貼られた張り紙を指しながら訪ねると、ちょうど融の母親くらいの女性は「ああ」と口を開き、
「なんかね、野良猫が居着いちゃったみたい。そこの石の上が暖かいみたいで、よくひなたぼっこしてるのよね」
ぼうぼうに生い茂った草の中に、大きな庭石が置かれている。
「その猫ちゃんが、人懐っこくてよく鳴くの。だからついつい、通りすがりの人が餌をやっちゃうのね」
「それは、この猫でしょうか」
福蔵がノアの似顔絵を差し出した。女性が手に取り、
「そうそう、こんな感じの猫ちゃん」
と頷く。融は思わず息を呑んだ。
「しかし、自分の家の庭で野良猫に餌をやられたら、住人は嫌がるでしょうね」
福蔵が苦笑いすると、
「そうなのよね。だから気持ちはすごくわかるんだけど」
女性も同じように目尻を下げる。
「とはいえ、通報というのは穏やかじゃありませんね」
福蔵が声を潜めて言うと、女性はきょろりと周囲を見回してから、
「この前ね、本当に警察沙汰になったのよ」
福蔵の耳に近づき、ささやいた。
「夕方の七時くらいだったかな、大きな怒鳴り声が聞こえてきて、ビックリしたわ。この家の息子さんが、若い女の子を怒鳴りつけて。息子さんっていっても、もうとっくにおじさんよ」
「その若い女性が、野良猫に餌をあげていたんですか?」
「そうみたい。でも警察に通報したのはその息子じゃなくて、近所の人らしいけどね。だって、その女の子が泣きながら謝ってるのに、しつこく怒鳴り続けるんだもの」
やはり、ノアに餌をやっていた人は他にもいたようだ。
「その女性のことを、詳しく知りたいのですが……」
福蔵がそう尋ねると、隣人の女性はとたんに不審そうな顔になり、福蔵と融をじろじろ見始めた。
「実はですね、その猫を探しているところなんです。数日前から姿が見えなくなってしまって」
福蔵はもう一度猫の絵を取り出し、しみじみと眺めると、
「どこかでさまよっていたり、お腹を空かせているのではないかと、心配で」
そう言って肩を落とす。隣人の女性も猫好きなのか、猫の似顔絵を熱心に眺める。
「しかし、今のお話をお伺いして、ひょっとしたらその女性が保護しているのではないかと……」
福蔵がそこで言葉を切り、口を噤んだ。隣人の女性はむしろ合点したように口元に手を当てると、
「実はわたし、あの女の子のこと、見たことあるの」
福蔵にぐっと近づき、さらに声を潜ませた。
「駅前の、東央銀行。あそこの受付で働いてる子だった」
東央銀行──福蔵の目がキラリと光った。
「ありがとうございます。さっそく、猫の行方を聞いてみたいと思うのですが、その女性のお名前は覚えていらっしゃいますか?」
隣人の女性が首を振る。
「ごめんなさい、名前まではちょっと……」
そう言いかけ、次の瞬間あっと小さく叫んだ。
「そうだったわ、あの日、息子が二階から動画を撮っていたの。警察が来て、ちょっとした騒ぎになったもんだから」
ちょっと待ってね、と女性はバタバタと家の中へ駆け込んでいった。
