【小説】キャットウォークの道標(みちしるべ)~おかあはいつもちょっと大変2~ 第8話
第8話
夕方過ぎの道を、帰路を急ぐ自転車が通り過ぎていく。
銀行を出た福蔵と融は、アイとリンが餌をやっていた川沿いの遊歩道から、依頼者の女性が餌をやる国道沿いの植え込みまでの道を辿ることにした。
二つの地点を結ぶ真ん中辺りで足を止め、福蔵がスマホの画面を開いた。ピンチインして地図を縮小する。
「この辺りを中心にして、少しだけ捜査範囲を広げてみるか……」
ノアのハンティングテリトリーを半径300メートルくらいと想定した上での判断だ。
「すみません、この辺りで、こういう猫を見かけませんでしたか」
バスを待っていた白髪の女性に声を掛け、福蔵がノアの絵を見せる。しかし女性は首を振るだけだった。
融は額を拭った。秋とはいえ、これだけ歩くと汗が噴き出てくる。
「なにか、手がかりがあれば……」
融が呟いた。せっかくつながりかけていた糸が断たれてみると、この野良猫探しという依頼が途方もなく困難なものであることに改めて気づかされる。
ノアに餌をあげていたという女子行員。あの時、支店長が一瞬だけ口を滑らせた「宇佐見」というのがその名前なのだろう。
『お恥ずかしながら連絡が取れない状況でして』
支店長の言葉を信じるなら、彼女は無断欠勤のまま連絡を絶っている。
「まさか……」
ノアを抱えてどこかへ去って行く女性。そんな場面が融の頭に浮かんだ。福蔵の目線を感じ、慌てて口を噤む。
ぐるりと住宅街を回って元の道へ戻ると、庭の草がぼうぼうの家の近くに出た。その隣の家の女性から聞いた話を思い出す。
『二年前にね、蛭田さんの奥さんが亡くなったの』
女性の息子が撮影した動画には、櫛も通していないようなボサボサ髪の太った男が若い女性を怒鳴りつけるところが映っていた。途中で警察がやってくると、男は急に大人しくなり、家に戻っていった。
『もともと蛭田さんのところは、奥さんと旦那さんと息子の三人で住んでいたのよ。それなのに、奥さんに先立たれちゃってねえ。残されたのは男二人。そしたら、あの通り庭は荒れ放題だし、近所づきあいもパッタリなくなってね』
隣家に住む者としては気がかりだろう。女性はずっと溜め込んでいた不安を吐露するように、福蔵と融に向かって話し続けた。
『最近は旦那さんの姿も見えなくなっちゃって、それも気になってるのよ。ひょっとしたら病院に入院しているのかもしれないけど、でもあの息子はそんなの聞ける状態じゃないし』
確かに、映像を見る限りこの息子と友好的に話が出来るようには思えなかった──。
「七時か」
福蔵が時計に目をやった。夕日はとうに沈み、辺りは暗くなっている。昨日の日中は近くの板金工場の音がうるさかったが、今はそれもやんでいる。
「動画に映っていた時間帯も、ちょうどこのくらいだろう」
福蔵の言うとおり、蛭田が若い女性を怒鳴っている動画は夜の風景だった。
「彼女はおそらく、銀行からの帰り道にここで猫に餌をやっていた」
アイや依頼者の女性の証言によると、ノアはかなり賢い猫のようだった。アイがリンを連れて保育園から帰る時間、そして依頼者の女性が介護中の夫を寝かしつけ終えた夜。それぞれの時間帯に合わせて現れ、餌をくれる相手の足音を聞き分けて姿を現す。
もしノアがこの辺りに姿を現すとしたら、この時間帯である可能性が高い。
反対側の歩道を、遠くから人影が近づいてきた。街灯の明かりはうすぼんやりとしていて、よく見えない。
「あっ」
融は左右を見渡し、車が来ないのを確認すると車道を渡った。やってきた人物に駆け寄る。
「あのっ、銀行の人ですよね」
融の問いに、その人物は両手で自分を庇うように身を引いた。
『わあ、いつもありがとうございます』
そう言ってパティスリーのロゴの入った袋を受け取った女性だ。
「ひょっとして、猫に餌をやりにきたんですか」
女性は困惑の表情を浮かべたまま、首を縮こめている。
「失礼しました」
後ろから福蔵が追いつき、融の前に立つと、女性に向かって微笑んだ。
「東央銀行に勤務していらっしゃいますか?」
「はい……」
女性は警戒心をあらわにしたまま、福蔵の問いに頷く。
「宇佐見さんとは、連絡が取れたのでしょうか」
福蔵が尋ねた。女性が目を瞠る。
「円香先輩のこと……知ってるんですか?」
女性は両手で口を覆うと、
「教えて下さい、円香先輩はどこにいるんですか?」
そう尋ね返した。福蔵は融にちらりと目を合わせる。
「私どもも、彼女を探しているところなのです」
福蔵の言葉に、
「そうですか……」
女性はしゅんと肩を落とした。
「宇佐見円香さんとは、いつから連絡が取れないのでしょうか?」
福蔵が尋ねる。彼女は小さく息をつくと、
「木曜日の夕方からです。あの日、円香先輩は急に体調を崩したと言って、早退したんです。それから出勤していないし、連絡も取れません」
「木曜日の夕方……」
融にも、福蔵が考えていることがわかった。ノアが姿を消したタイミングと一致する。
「彼女が姿を消したことに、なにか心当たりはありますか」
福蔵が尋ねた。女性は「さあ……」と呟き、じっとうつむく。
「例えばですが、借金をしていたとか、たちの悪い男に追いかけられていたとか、そういう話を聞いたことはありませんか」
「いえ、知らないです」
女性がうなだれたまま首を振った。
「もしよければ、彼女から連絡があった場合に、教えていただくことはできますか」
福蔵が名刺を取り出すと、
「……わかりました」
女性が受け取り、頷いた。「佐伯里奈」という名前を教えてもらう。
「もう一つ、教えて欲しいことがあるんです。彼女はこの近くで野良猫に餌をやっていたのですが、そのことについて、なにかご存じですか」
「野良猫……」
里奈がそう呟き、じっと考え込んだ。その頬にぴりっと震えが走る。
「実は……」
顔をこわばらせながら、彼女が口を開いた。
