祖母の他界、葬儀の打ち合わせ
4月19日(土)、大好きだった母方の祖母が息を引き取った。
97歳だった。
いろいろ落ち着いてからnoteに記そうかとも思ったのだけど、わたしが記録しておきたいことや、残しておきたい感情を、その都度書いていかないと日に日に取りこぼしていきそうな気がするので、
できる限り日記として書いていこうと思う。
祖母の状態は、3週間前から良くなかった。
かなり高齢だったのでまわりも覚悟し始めていて、わたしも実は今日、4月20日に祖母の顔を見に帰省する予定だったのだ。
本当はもっと早く、春休み中に会いに行く予定だったのがいろんなアクシデントが重なり、延期に次ぐ延期で、今日、ということになっていた。
こんなことなら、ちょっと無理をしてでも平日に会いに行けばよかった、と後悔した。
最後に会話をしたのは昨年末だった。
ああ、と少し納得したのは、祖母が亡くなる前に母と、母の弟家族が5人で祖母に会いに行っていた、ということ。
きっと、大好きな家族の声が聞けて、安心したのかな。
みんなが帰った1時間後に一報が入ったそうだ。
母から連絡をもらって、まず『間に合わなかった』と、もっと早くに会いに行けばよかった、と思ったと同時に
電話の向こうで泣いている母のことが心配になった。
祖母は“サービス付き高齢者向け住宅”に入居していたのだが、週2回以上は母が様子を見に行っていた。
コロナ禍の変化はありつつ、そんな生活を6年半続けていた母。
「本当は家でみてあげられたらいいんやけど…」
と、この6年の間に何度も母の口から聞いた。
祖母は10年以上前から認知症を患い、自宅で転倒したことをきっかけに、母の自宅近くの今のサ高住に移った。
祖母と母が一緒に暮らすのは、いろんな困難が容易に想像できたし、
親子が一緒に暮らして、何から何まで世話をすることだけが最大級の親孝行というわけではない、
というのがわたしの自論なので、母の言葉を聞く度に「週2回通うだけでも十分じゃない?」と話していた。
常に祖母のために自分ができることを精一杯考え、できる限りサポートしていた母。
昔から祖母のことで気を揉むことも多かった。
しかも、祖母が亡くなる前、その当日の朝から体調を崩しているという。
祖父が5年前に他界した時、初めて間近で“遺された者の動き”を見た。見た、というよりリアルタイムで話を聞いていた。
一報を受け、雪が降る中、高速道路で車を走らせ祖父宅に向かい、夜遅くまで対応に追われていた母。
葬儀の段取り、お寺の手配、何から何まで初めてで不慣れな中(多くの人はそうなのだろう)、叔父と二人三脚でそれこそ感傷に浸る間もなく次から次へと、やることに追われ、落ち着いた頃にはゲッソリと痩せていた母がいた。
そんなことも過去にあったため、体調不良の母がことさら心配になった。
叔父もいるので、本来ならわたしが行く必要はないのだが、もともと祖母に会う予定をしていた日曜日、葬儀の打ち合わせがあると言うので、母に付き添うことにした。
打ち合わせの前に、祖母がいる安置室へ通してもらった。
顔を見たら涙が込み上げてきた。
3週間、ほぼ水しか口に出来ておらず、すっかり痩せて小さくなった祖母がいた。
大きな口を開けてよく笑う祖母だった。
祖母と会話をするのが楽しかった。
美味しいものをたくさん食べさせてくれた。
豪快に焼き海苔がぐるっと巻かれた塩まみれのしょっぱい祖母のおにぎりが大好きだった。
最後におばあちゃんのおにぎり食べたのいつだっけな…と思った。
『最後』は『最後』の認識がなく終わってしまうことが多い。
悲しい。
何年も前からもうあのおにぎりは食べられないと分かっていたけど、本当にもう、食べられない。
声も聞けない。
納棺されたら好きに触れない、と思い
顔を撫で、お疲れ様、と身体をさすった。
高齢でも、分かっていても、好きな人との別れはつらい。
ひんやりした部屋を出て、葬儀の打ち合わせに入った。
祖父の時と同じ方がコーディネーターとしてついてくださって、母も叔父も安心していた。
一度お世話になっているので、話はスムーズに進んだ方なのだろう。
それでも決めなければいけない細かい点がいくつもあり、すんなり決まる部分もあれば、すったもんだする部分もあった。
そもそも地域や家柄、宗派によっていろんなスタイルがあると思うので、なにが一般的か、と言うのは難しい話だとは思うのだが、一例として記しておく。
(葬儀の打ち合わせに出たのは始めてで、大変勉強になる部分がたくさんあった)
まず、一般葬か、家族葬か、参列者の範囲を決める。
次に、通夜と葬儀の日時。
明日は“友引”なのだが、最近は葬儀の場合でも重要視しなくなってきている、との話を聞いた。
家族葬をされる方が増えてきて、語呂合わせである『友を引く』の意味がなくなってきている、とのこと。
なるほど、と思った。
そもそも通夜は問題ない、とされているらしいので日程は明日、時間はわたしの姉一家が遠方から来るのを配慮した時間に決めた。
葬儀の日は、火葬場の予約状況と合わせて時間を決めていく。
そうそう、火葬場は死亡届を出した後に渡される『火葬許可証』がないと予約出来ない、というのをわたしは初めて知った。
叔母が段取りよく動いてくれて、スムーズに予約が出来た。
あとは、祭壇やお花、返礼品、食事をどうするかなど、細かいところの決定。
そして、いちばん時間がかかったのが遺影写真の選定だった。
母がある程度ピックアップしていたのだが、意見が分かれたのだ。
結局、いちばん最近の(と言っても数年前)穏やかに微笑んでいる写真に決まった。
このやり取りの時に、元気なうちに自分の遺影写真を決めておくのがいいな、と思った。
1年ごとに更新するのもいい。
また、祖父の時はぎりぎりコロナ前だったこともあり、それ以降変わった点が随分あった、と教えてくださった。
初七日法要も合わせてしてもらうことになっているのだが、今は葬儀の後すぐ、火葬前にすることも多い、と聞いた。
それだと葬儀場と火葬場を行ったり来たりしなくていい。
これもコロナ前後で変わったことらしい。
だいたいこんな感じで打ち合わせ終了。
コーディネーターさん、尊敬します。
亡くなったらあとは委ねるしかないので、希望の形があるなら生前にはっきり意志を残しておくことが必要だし、
決める手間を取らせない、という意味でも書き記しておくのはとてもいいな、エンディングノートやらなきゃな、と感じた。
悲しみが溢れてきても、やらなければいけない、決めなければいけないことが多いと、気持ちが置いていかれてしまう気がした。
こどもたちのことを想うと、生きてるうちにできる限りのことはしておきたいと思う。
