コミケ108の電波は、毎回ゼロからつくり直されている
今年の夏コミは8月15日と16日。もう準備を始めている人も多いと思う。
例年と違うところがいくつもある回だ。東京ビッグサイトの大規模改修で、東4〜6ホールが一年間使えない。そのぶんサークルは東1〜3と7ホール、西1〜2ホール、南1〜2ホールに散り、企業ブースは西3〜4ホールと南3〜4ホールに入る。申込サークル数はコロナ禍後で最多の三万数千。開場時刻も、10時から10時30分に繰り下がっている。
このへんは公式でも各所でも案内されているので、知っている人は多いと思う。
私が気になったのは、そこから先だった。
会場の形が変われば、待機列の場所も変わる。そして待機列の場所が変わると、その二日間の電波も、まるごと作り直しになる。
調べていったら、思っていたより手のかかったことが行われていた。
一台の基地局に、二か月かかっている

これは以前、平日にビッグサイトへ行ったときに撮った写真だ。何の変哲もない。人が歩いているだけの、ふだんの景色である。
そして、この景色の上に、あの二日間だけ、いくつもの層が組み上がる。
ふだん、基地局は動かない。ビルの屋上や鉄塔にあって、何年も同じ場所で同じ方向を向いている。
でもコミケの二日間だけは違う。あの日あの場所の電波は、かなりの部分が臨時の編成でできている。
2025年末のコミケ107のとき、ドコモは東待機列に移動基地局車を三台入れている。うち一台は同社初だという「三セクタMMU車両」で、指向性のアンテナを三方向に向けて、これまでより広い範囲をカバーできるものらしい。西待機列のほうには、センタープロムナードの列に向けて臨時の基地局を一台立てた。
この一台の話が、いちばん心に残った。
担当者が約二か月かけて交渉を重ねて、ようやく設置の許可が取れたものだという。
二か月かけて、一台。
しかも当日、それが役に立ったかどうかは、たぶん誰にも褒められない。列に並んだ人はスマホを見て、動画が普通に再生されて、それで終わりだからだ。
これはドコモだけの話でもなかった。ソフトバンクも自社の記事で、コミケの電波対策は「動き始めは2カ月以上も前から」だと書いている。二か月というのは、どこか一社の事情ではなく、この仕事の標準の長さらしい。
さらに驚いたのは、電波を増やすだけではないところだった。会場まわりの平常時の基地局には、対策エリアで電波を掴ませないように調整をかけている。増援を呼んでおいて、近所の常備軍には黙っていろ、と言う。電波は足せば足すほど良くなるものではなくて、下手に重なるとお互い干渉してしまうからだ。
りんかい線の国際展示場駅にある基地局も、混んでいる方向に電波が集中するよう、向きを変えられている。あの駅のアンテナは、その二日間だけ、いつもと違う方角を向いている。
言われてみれば当たり前なのだけれど、私はずっと「人が多いから繋がりにくいんだろうな」くらいにしか思っていなかった。
実際は逆だった。繋がっているほうが、はるかに作り込まれている。

怒られた翌年に、全部やり直している
もうひとつ、いい話を見つけた。
2023年の夏コミでは、5Gの整備が間に合わなかった。会場が広く、人が多く、電波が足りなかった。来場者からは厳しい意見が多数寄せられたと、ドコモ自身が振り返っている。
その翌年、彼らは会場の全基地局の工事を終わらせて、全面5G化を実現した。
一年である。
大きな設備の話だから、予算も工期も交渉も要ったはずだ。それを、たった一度の夏の不満に対して、一年でやり切っている。しかも「ご迷惑をおかけしました」で終わらせずに、翌年ちゃんと結果で返している。
中身を読むと、もう少し具体的になる。臨時基地局の設備改修にあてられる時間は、夏コミと冬コミのあいだの約四か月しかない。異例のスピードが求められ、本番の直前まで作業が続いたという。東待機列では、移動基地局車と数十メートル先の小型基地局をケーブルで繋いで、臨時の基地局を等間隔に並べる方法まで採っている。
私はこの手の仕事をしたことがあるので分かるのだけれど、こういうのはかなり大変だ。効果が出ても新聞には載らない。載るのは失敗したときだけだ。
そして当日も、置いて終わりではない。ドコモはコミケの期間中もSNSを監視して、通信環境についての投稿を分析している。特定の場所についてのコメントが多く集まると、現地の担当者が実際にそこまで行って、設備を点検するのだという。
会場のどこかで誰かが「ここ、繋がらない」と書き込む。それを読んでいる人がいて、その足で走っている。二日間、ずっとそれをやっている。
だから、列の場所が変わる年は大変だ
今回、一般参加の待機場所は東地区が東駐車場、西南地区がシンボルプロムナード公園。入場チケットも東と西南で分かれている。
準備会の会報を読んでいたら、この西南側について、公園の一部を東京ドリームパークの開業関連イベントが使っていて、六月の時点でまだ調整中だと書かれていた。東側についても、東6ホールと7ホールのあいだを直接行き来できなくなった影響で、東駐車場からの入場運用が今までとかなり違う、とある。
つまり、誰がどこに何時間並ぶのかが、直前まで完全には固まらない。
基地局を一台立てるのに二か月かかる世界から見ると、これはなかなか厳しい条件だと思う。列が百メートル動けば、車を停める場所も、アンテナの角度も変わる。去年と同じところに停めておけばいい、という話ではなくなる。
今年はたぶん、いつもより難しい年だ。
そう思って見ると、当日ふつうに繋がったとしたら、それはけっこうな達成なのだと思う。
担いでいるのは、基地局ではない
会場で、機材を背負った人とすれ違ったことがある人もいると思う。私も何度か見ている。最初は搬入か何かだと思っていた。
あれは基地局ではない。
KDDIが「人間Wi-Fi」と呼んでいるもので、小型のWi-Fiアクセスポイントを装備したスタッフが会場を歩き回る。ひとりでだいたい100端末くらいを収容できるらしい。イベントによってはコスプレをすることもあるという。ドコモも考え方は同じで、会場でd Wi-Fiを使えるようにしている。
なぜ基地局のほうを担がないかというと、担げないからだ。
基地局が使う周波数には無線局の免許が要る。国から割り当てられた帯域で、勝手に増やせないし、周りとの干渉も調整しないといけない。だから二か月の交渉になる。いっぽうWi-Fiが使う2.4GHzや5GHzの帯域は、免許がいらない。誰でも、その日のうちに使える。
車が入れない場所、建物のちょっとした死角、列の先頭あたり。固定の設備では埋めきれない穴を、人が歩いて埋めている。
つまり、あの人は「いちばん困っている人がどこにいるか」を探しながら歩いている。設備で埋められないところに、人間が自分の足で行く。技術の話をしていたはずが、最後は人が担いで歩くところに着地するのが、なんだかいいなと思った。
しかも、コスプレをすることもあるらしい。真面目な仕事なのに、楽しませにきている。
逆方向に振り切った例もある。去年の夏コミでは、ソフトバンクがStarlink Businessを使ってWi-Fi環境を整えた。衛星である。地上の回線を引くのが難しいところへは、空から持ってくる。
人が担いで歩く一方で、衛星から引いてくる。同じ二日間のために、両端まで手を伸ばしている。
当日、やっておくといいこと
せっかくなので、こちらから受け取りやすくする方法を書いておく。向こうが用意してくれているものを、こちらの設定ひとつで受け取り損ねるのは、もったいない。
① 5Gの設定をオンにしておく
対応している人はSAのオプションも。5G SAは通信が5Gだけで完結するので、混雑した4Gの影響を受けにくい。コミケ107で媒体が同じ場所で測ったところ、5G NSAが下り125.0Mbpsだったのに対して、5G SAは249.2Mbpsだった。ドコモも公式に「期間中だけでもオンにしてほしい」と呼びかけている。
用意されている速いほうの道を、設定ひとつで使える。
② キャリアのWi-Fiは、家で設定を済ませておく
現地で設定しようとすると、その設定作業自体に通信が要る。繋がらないから設定したいのに、繋がらないと設定できない、という順番になりやすい。
自分の回線がどれかによって名前が違う。ドコモならd Wi-Fi、auならau Wi-Fi、ソフトバンクならソフトバンクWi-Fiスポットが、それぞれの公衆無線LANにあたる。多くの場合、専用のアプリを入れて、接続用のプロファイルという設定ファイルをインストールするところまでやって、はじめて自動で繋がるようになる。契約プランによっては、先に申し込みが要ることもある。
手順は各社で違うので、細かいところは公式の案内を見てほしい。ただ、ソフトバンクの説明ページにはこう書いてある。設定はモバイルネットワークに接続した状態で行ってください、と。
つまり、家でやっておけということだ。
歩いている人が運んでくれている電波は、受け取る準備をしておいた人にだけ届く。
③ 現金を持っていく
決済の仕事をしている人間としていちばん言いたいのはここだ。いまサークルのキャッシュレスはSquareやAirペイが主流だけれど、あれは要するにスマホがネットに繋がっていれば決済できる、という仕組みだ。裏を返すと、繋がらなければ売れないし、買えない。一瞬詰まっただけで、その卓はしばらく現金しか受けられなくなる。
売り手側も同じで、キャッシュレス対応のサークルほど、現金の釣り銭を用意しておいたほうがいい。せっかく作ったものが、電波の都合で買えないのはさびしい。
④ バッテリーと暑さ
電波の弱い場所では、端末が電波を探し続けて発熱するし、電池も食う。今年は熱中症対策で、開会前の東8ホールが東駐車場の待機列に並ぶ人向けの臨時休憩所として開放されるくらいの暑さなので、本体が熱を持つとそれだけで動きが鈍る。
ちなみにこの臨時休憩所は、去年の夏と同じ扱いだ。ホールが三つ使えなくなって場所のやりくりが大変な年に、休むところはちゃんと残している。

最後に
当日ふつうに繋がったとしたら、たぶん誰も何にも気づかない。移動基地局車が三台停まっていても、視界には入らない。列に並んでSNSを見て、そのまま入場して終わる。
でもそれは、失敗ではなくて、成功だ。この仕事は、うまくいくほど見えなくなるようにできている。
私は今年、ちょっとだけ探してみようと思っている。背負って歩いている人がどのへんにいるか、車がどっちを向いているか、二か月かけて許可を取った一台がどこに立っているか。見つけたところで話しかけたりはしないけれど、気づいている人間がひとりいる、というだけでいい気がする。
それに、こちらが何か書けば、たぶん誰かが読んでいる。
繋がったなら、それは誰かが二か月前から準備していた、ということだ。
その電波の上で、今年もたくさんの本が売れて、たくさんの人が推しに会う。
暑いので、水を持っていきましょう。
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