公認心理師が読み解く、人がフェイクニュースを信じてしまう理由:論文紹介
最近、家族や友人がどう見ても怪しい情報を信じ込んでいて、ちょっと戸惑った経験はありませんか?
私自身、医療の現場で「ネットで見たんですけど」とSNS発の健康情報を持参される患者さんに、丁寧に説明し直す場面が増えてきました。これほど情報があふれる時代に、なぜ人はフェイクニュースや誤った情報をすんなり受け入れてしまうのか。
先日、ヘルマン真実子氏による研究ノート「フェイクニュース・誤情報・偽情報に対する社会脆弱性と広報」(『広報研究』第30号)を読み、その問いに対するヒントが詰まっていました。公認心理師として学んだ知識とも結びつく内容が多く、皆さんと共有したくなったので、今日はその話をさせてください。
まず押さえておきたいのが、フェイクニュース、誤情報、偽情報をまとめて「悪情報(mal information)」と総称されている点です。
ヘルマン氏の論文では、この悪情報が社会に与える影響を二つの階層で捉えていました。一つは「個人レベル」、もう一つは「集合レベル」、つまり社会全体の話です。
注:厳密に言うと、
Misinformation(ミスインフォメーション:誤情報)
Malinformation(マルインフォメーション:悪意のある情報)
Disinformation(ディスインフォメーション:偽情報)「嘘」であり、かつ「悪意がある」情報(プロパガンダや意図的な捏造など)
に分類することもあります。
なぜ人は誤った情報を信じてしまうのか
公認心理師の勉強をしていたころ、強く印象に残った概念が二つあります。「選択的露出(selective exposure)」と「動機づけられた推論(motivated reasoning)」です。
選択的露出というのは、簡単に言えば、人は自分の好みに合う情報ばかりを目にしようとする傾向のこと。動機づけられた推論は、自分の信じたい結論に向かって、情報の解釈を都合よく曲げていく心の働きです。
たとえば、ある食品が体に悪いと信じている人は、その食品の害を訴える記事ばかり目にとまります。逆に、その食品が好きな人は、害を訴える記事を見ても「これは陰謀だ」と退ける。同じ情報を見ても、結論が180度違ってくるんですね。
さらに厄介なのが、Green & Donahue(2018)が指摘するように、特に物語形式で提示された情報は、たとえ後から訂正されても、最初に入った情報のまま頭に残ってしまうという特性です。これを「持続的影響効果」と呼びます。
医療の現場でも、よく似た現象を見かけます。「テレビでこの薬は危ないって言ってましたよね」と、後から訂正報道があっても、最初の印象だけが残り続ける。私たちの脳は、思いのほか頑固なんです。
ここで強調したいのは、「悪情報に騙される人=頭が悪い人」ではないということ。選択的露出も動機づけられた推論も、人類みんなの脳に標準装備された機能です。むしろ「自分は大丈夫」と思っている人ほど、知らぬ間に動かされているかもしれません。
個人の問題で終わらない、社会としての"弱さ"
ヘルマン氏の論文で私が興味深いと感じたのは、ここから先の議論でした。誤情報を信じる人が増えると、それは個人の認知の問題を超え、社会全体に影響を及ぼしていくという視点です。
Weeks(2018)は、個人の誤認識が集合レベルへ展開する流れを4ステップで整理しています。「悪情報への曝露 → 既存メディアによる増幅 → 偏った情報処理 → 民主主義への影響」という連鎖です。
注目したいのは、2番目の「既存メディアによる増幅」。SNSで発信された怪しい情報も、テレビや新聞が話題として取り上げないと、なかなか大衆には届きません。逆に、既存メディアが取り上げた瞬間、信ぴょう性のオーラが付加されてしまう。
これはとても示唆的だと感じました。私たちはつい「SNSが悪い」と単純化しがちですが、構造的に見ると、悪情報の影響力は既存メディアと組み合わさって初めて大きくなる、ということ。Tucker et al.(2018)も、フェイクニュースが大衆に届くには既存メディアによる増幅が不可欠だと述べています。
つまり、悪情報問題はSNS単体の問題ではなく、メディア環境全体の構造の問題なのです。
メディアシステム論というレンズ
ヘルマン氏が分析に用いた枠組みが、Hallin & Mancini(2004)による「メディアシステム論」です。世界各国のメディアは、それぞれの歴史的経緯によって、おおむね三つのタイプに分類されるといいます。
一つ目が「分極的多元主義モデル」(地中海モデル)。フランス、イタリア、スペインなど。メディアと政党が密接で、商業メディアの発達は比較的弱い。
二つ目が「民主的コーポラティズムモデル」(北欧モデル)。ドイツや北欧諸国です。商業メディアと組織化された社会団体が共存し、国家の役割は積極的でありつつ法的に制限されています。
三つ目が「自由主義モデル」(北大西洋モデル)。アメリカやイギリスなど。市場メカニズムが優位で、商業メディアが主役を担っています。
この分類を聞くと「日本はどこに当てはまるの?」と思いますよね。論文は西欧諸国を中心に議論していますが、私たちが暮らす日本もこの枠組みで考えてみる価値は十分あると思います。
論文を読んでいて、私が特に「なるほど」と思ったのは次の指摘でした。米国や英国で偽情報が政治分極化と結びついて広がっているからといって、その対策がそのまま日本に当てはまるわけではない。社会の脆弱性は国によって異なるからこそ、処方箋も国ごとに変わってくる。
これは医療と似ています。同じ症状でも、年齢や体質、生活環境によって治療方針が変わるように、社会の「症状」にも個別性があるんですね。
偽情報は"メディアの問題"ではなく"政治現象"
論文の中盤で紹介されていたTörnberg & Chueri(2025)の研究には、思わず姿勢を正されました。欧州26ヶ国の政治家8198人のツイートを6年間にわたって分析した結果、偽情報を発信する決定的な要因は「極右ポピュリズム」だったというのです。
著者らは「偽情報はメディア現象ではなく、政治現象として捉えるべきだ」と結論づけています。フェイクニュースは、極右ポピュリスト政党が既存の政党や民主的機構を攻撃し、その信頼を損ない、票を得るための戦術として使われている、と。
この視点は、私たちが「フェイクニュース問題」を考えるときの前提を、少し動かしてくれます。技術の問題でも、メディアリテラシーだけの問題でもない。政治のあり方そのものと深く結びついている。
人間の認知の癖だけを責めても、メディアプラットフォームだけを批判しても、問題の半分しか見えていないということです。
既存メディアへの信頼という鍵
ヘルマン氏の論文が補論として強調していたのが、「既存メディアへの信頼」の重要性です。Hameleers et al.(2022)らの欧州10カ国比較調査によれば、メディアへの信頼度が低く腐敗度が高い国々(東欧および南欧諸国)では、市民は誤情報と偽情報を区別する能力が低く、受容度も高かったと指摘されています。
医療の世界で「医療不信」が広がると、エビデンスのない代替療法に人が流れがちになります。これと似た構造が、社会全体のメディア認識でも起きているわけです。
私たち市民にできることは少ないようで、実はあります。信頼に値する既存メディアを「支える」こと。具体的には、まともな報道機関の記事に対価を払うこと、安易に「マスゴミ」と切り捨てないこと。完璧なメディアなんて存在しませんが、いま既存メディアが持つ専門性と検証機能を失ってしまえば、その先には、もっと不確かな情報の海が広がることになります。
これは、メディアを擁護したいというより、「自分たちの情報環境を自分たちで守る」という当たり前の話だと、私は思うのです。
おわりに
長い論文を読み解いてきましたが、最後に大事なポイントを3つにまとめます。
1つ目。悪情報に騙されやすいのは、頭が悪いからではありません。選択的露出と動機づけられた推論は、誰の脳にも標準装備された心理メカニズムです。
2つ目。悪情報の影響は個人の認知だけで完結せず、メディアシステムや政治制度と結びついて社会全体に広がっていきます。SNSだけの問題ではなく、構造の問題です。
3つ目。日本に合った対策を考えるには、海外の研究結果をそのまま輸入するのではなく、私たちの社会固有の脆弱性を見極める必要があります。
公認心理師として日々学び、医療の現場で人と向き合う中で、私はこう感じています。情報過多の時代に必要なのは、「正しい情報を選ぶ力」だけでなく、「自分の心がどう動かされているかに気づく力」ではないか、と。
完璧でなくていいんです。「あ、いま自分は気に入った情報だけを選んでいたかもしれない」と立ち止まる瞬間こそが、いちばん大切な防御線になります。あなたが今日この記事を読んでくれたこと、それ自体がもう、立派な一歩です。
長文にもかかわらず、最後までお付き合いくださりありがとうございます。これからも、いい意味で"ちょっとだけマニアックな"情報を届けていけたらと思います。l
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