事実を突きつけても相手は変わらなかった。答えは『情報』ではなく『つながり』にあった
「あの人、なんであんな嘘を信じるんだろう」と、首を傾げた経験はありませんか?
正しい情報を見せても変わらない。データを示しても「それはフェイクだ」と言われる。丁寧に説明すればするほど、むしろ溝が深まる気がする——。
そんな経験が、あなたにも一度や二度ではないはずです。
実は私も、臨床の現場で似たような壁にぶつかってきました。今日はそのもどかしさの正体と、意外な「出口」について話してみようと思います。
情報で人は変わらない、という不都合な真実
政治学者のSamuel Baggが2025年に発表した論考には、率直に言ってかなり衝撃を受けました。「民主主義が揺らいでいるのは認識論的な問題だが、解決策は認識論的なものではない」というタイトルで、要約すると「フェイクニュース対策・ファクトチェック・メディアリテラシー教育だけでは、問題の根を断ち切ることはできない」という主張です。
読み始めて最初は「そうは言っても、正しい情報を届けることは大事でしょ」と思っていました。でも読み進めるうちに、自分の臨床経験と照らし合わせて「あ、これはそうかもしれない」という感覚が積み重なっていったんです。
人は「事実」だけで動くわけではない。これは認知心理学の世界では何十年も前から言われてきたことです。でも、民主主義のレベルで、社会全体の問題として語られると、また違う重さがあります。
「動機づけられた推論」は全員に起きている
ここで少し心理学の話をさせてください。
「動機づけられた推論(Motivated Reasoning)」という言葉があります。人は結論を先に決めて、それを支持する証拠だけを集める傾向がある、というものです。自分に都合の良い情報は信じやすく、都合の悪い情報は「信頼性が低い」と判断しやすい。
「でも自分は違う」と思いましたよね。正直に言うと、私もそう思っていました。でも研究はそうは言っていない。Baggの論考が引用しているデータによれば、この傾向は教育レベルが高い人でも、専門的なトレーニングを積んだ人でも、「理性的」だと自認する人でも、同じように観察されています。
むしろ、知識が豊富であればあるほど、自分の信念を守るための「反論の材料」を上手に見つけてしまうとも言われています。これを「高度化されたバイアス」と呼ぶ研究者もいます。医療者としてちょっと耳が痛い話ですが、これは私たちも例外ではない。
私たちが信じるのは「情報」ではなく「仲間が言うこと」
では、人はどうやって情報の真偽を判断しているのか。
Baggの主張で核心となるのが「社会的アイデンティティ」という概念です。私たちは、自分が帰属していると感じる集団——職業、地域、信仰、政治的立場、ライフスタイルなど——を通じて、どの情報源を信頼するかを決めている、というのです。
比喩を使うなら、人間の認知は「フィルター付きのアンテナ」のようなものだと思っています。情報は電波のように飛び交っているけれど、受け取るかどうかは「どの局に合わせているか」で決まる。そしてその局を選んでいるのは、理性ではなく、「自分が何者か」という感覚なんです。
これは決して「愚かな人がやること」ではありません。現代社会には、自分で直接検証できない情報が無限にあります。私たちは日常的に「誰かを信じる」ことで世界を理解している。問題は、その「誰か」を選ぶ基準が、しばしばデータの質ではなく、仲間かどうかで決まってしまうことです。
ファクトチェックが効かない理由、やっとわかった
臨床の場で、似たような経験をした方は多いのではないでしょうか。
たとえば、健康に良くない習慣を続けている方に「データ上、こういうリスクがあります」と説明しても、なかなか伝わらないことがある。でも、信頼している同僚や家族が「やめた方がいい」と言った瞬間に変わることがある。情報の内容よりも、誰が言ったかの方が、行動変容に影響することがある。
これはサボっているわけでも、非合理なわけでもない。人間として、とても自然な反応なんです。
Baggの論考はそのことを、民主主義の文脈で指摘しています。人々がフェイクニュースを信じるのは、情報リテラシーが低いからではなく、信頼できると感じる社会集団が、誤った情報を流す側にいるからだ、と。そして、その集団との結びつきを断ち切らない限り、どれだけ正確な情報を届けても、受け取られない可能性が高い、と。
じゃあ、どうすれば変わるのか
ここからが、Baggの主張で私が一番「なるほど」と思った部分です。
解決策は「より良い情報」でも「より多くの討論の機会」でもなく、「社会的アイデンティティの再構築」だと彼は言います。人が「自分は何者か」という感覚を変えることが、最終的には情報の受け取り方を変える、と。
具体的には、顔を合わせた継続的な関係の中で、政治とは直接関係のない共通の目的を持って協力する経験が、アイデンティティを変える最も信頼性の高い方法だとされています。労働組合、地域コミュニティ、宗教団体、スポーツチーム——どれも「政治的な討論の場」ではなく、「一緒に何かをやる場」であることに注目してください。
これも、私が感じていることと重なります。人の認知や行動が変わるのは、情報を受け取った瞬間よりも、信頼できる関係の中で何かを一緒に経験した後であることが多い。「対話」の前に「関係」があるんです。
おわりに:「変わらない人」にイライラするより、先にすること
まとめると、この論考から私が学んだことは3つです。
ひとつ目は、「事実を提示すれば人は変わる」という前提を手放すことです。それは希望的観測であって、認知科学のエビデンスとは一致していません。ふたつ目は、「誰が言っているか」が「何を言っているか」よりも強い影響を持つ場合があることを、支援者として意識しておくことです。そして三つ目は、長期的に人が変わる条件として、情報よりもまず「関係」が必要だということです。
これは民主主義論の話として読んでも面白いし、支援職・医療者が日々の仕事を振り返るきっかけとしても使えると思います。
「あの人、なんで変わらないんだろう」と感じるとき、もしかしたらアプローチすべき場所は情報の質ではなく、もっと手前にある何かかもしれない。そう気づくだけでも、少し楽になれるのではないでしょうか。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。
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