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『世界は基準値でできている』を医療関係者が読んで、現場の感覚と重なった3つのこと:AI書評

あなたは「基準値を超えた」というニュースを見たとき、どんな気持ちになりますか?

「やっぱり危ない」「避けなきゃ」と、胸のあたりがざわっとする感覚、私には覚えがあります。医療の現場でも、数字は毎日のように飛び交います。血圧、血糖値、放射線量、感染者数。その数字が「基準値」を上回るたびに、患者さんも、時には私たちスタッフ自身も、なんとなく不安になる。でも正直に言えば、その数字がどうやって決まったのか、よくわからないまま使っていることが、ほとんどだったりするんです。

そんなもやもやを、この本はすっきりと言語化してくれました。


「基準値=安全の境界線」という思い込み


『世界は基準値でできている』(永井孝志 著、講談社ブルーバックス)を手に取ったのは、書店でたまたま目に留まったからです。タイトルからして挑発的で、「そんな大げさな」と思いながらページをめくったのですが、読み始めて数分で姿勢が変わりました。

本書が最初に問いかけるのは、シンプルだけど鋭い問いです。「基準値って、いったい何のために存在するのか」。

私たちはなんとなく、基準値を"安全と危険の境界線"だと思っています。基準値以下なら安全、超えたら危険。まるで崖の縁にラインが引かれているようなイメージを、無意識に持ってしまっている。でも本書はそのイメージを、丁寧に、そして少し容赦なく崩してきます。

たとえば放射線の線量限度。環境省の説明でも明示されていますが、これは「そこまで浴びてよい境界」でも「安全と危険の境界」でもない。リスクを最小化する努力とセットで機能するものであって、「1mSv以下なら絶対安全」という保証ではないのです。基準値は"ゼロリスクの証明書"ではない。この一点だけで、私の中にある数字の読み方がかなり揺らぎました。

コロナの「15分ルール」で起きたこと


本書で特に印象に残ったのが、コロナ禍の"濃厚接触者"の定義をめぐる章です。

「マスクなし、1メートル以内、15分以上」という条件を、当時は誰もが耳にしたと思います。私も職場でそれを使いながら、どこかで「15分って、なぜ15分なんだろう」と思っていました。

著者の永井さんがブログでも解説しているように、この15分という数字は、感染ゼロを保証する医学的境界ではなく、接触者追跡という"行政オペレーション"を成立させるための線引きだったのです。無限に接触者を追い続けることはできない。だから、どこかで切らなければならない。そのための数字が「15分」だった。

ところが現場では、その数字が独り歩きを始めます。本書が紹介する「給食14分ルール」がまさにその象徴です。14分で食べ終えれば濃厚接触者にならない、という解釈が生まれてしまった。

笑い話のようですが、医療の現場でも似たことは起きます。ある検査値の基準を「超えたか超えないか」で一喜一憂して、その数字が何を意味するのか、どんな前提で決められたのかは、誰も立ち止まって考えない。本書に引用された言葉が、刺さります。「基準というものは、考えるという行為を遠ざけさせてしまう格好の道具である」。

がん検診の章は、公認心理師として読んでも重かった


私は公認心理師の資格を持っていますが、現在はカウンセリング業務はしていません。ただ、心理を学んできた「意思決定」や「リスク認知」の観点から読むと、第8章のがん検診の話は特に重く感じました。

がん検診の目的は「がんを見つけること」ではなく、「死亡リスクを下げること」だと、国立がん研究センターも明示しています。この違いは、一見些細なようで大きい。なぜなら、検診には利益だけでなく不利益もあるからです。偽陽性、偽陰性、そして「過剰診断」。一生問題を起こさなかったかもしれないがんを見つけ、治療してしまうリスクがある。

甲状腺がんのスクリーニングについては、アメリカのUSPSTFという機関が、無症状の成人への検診を推奨しないと結論づけています。治療による害が、利益を上回ると判断されたからです。「早期発見が正義」という単純な物語では、医療の現実は追えない。


心理的に見ても、「あなたは異常値です」と告げられたときのストレスや、その後の精密検査への不安は、決して小さくありません。検診を受けることのコストには、数字に表れないものも含まれています。本書はそれを、丁寧に拾い上げてくれています。

現場の感覚と重なった3つのこと


読み終えて、私が「そうそう、これだ」と感じた点を3つにまとめます。

ひとつめは、「数字は目的と切り離せない」ということ。除去土壌の「100Bq/kg」と「8000Bq/kg」という2つの基準は、目的が違うから値が違う。同じ物質に対する数字でも、"何を守りたくて引いた線か"が違えば、意味が全く異なります。これは医療でも同じで、同じ血圧の数字でも、リスクが高い人に対して引く線と、元気な人に対して引く線は、本来違ってきます。

ふたつめは、「誰が負担を引き受けるか、という問いを外せない」ということ。原発処理水や防潮堤の高さを決めるとき、その便益を受ける人と、リスクを引き受ける人は、必ずしも同じではありません。基準値は数字ですが、その背後には「誰かが何かを受け入れている」という現実があります。医療倫理でもインフォームドコンセントが重視されるのは、まさにこの問いを患者さんに返すためです。

みっつめは、「更新されることが前提のはずなのに、権威化して動かなくなる」ということ。スポーツの性別規定が繰り返し改訂されているように、基準値は暫定的なものです。でも一度"お墨付き"がつくと、なかなか見直されない。本書が指摘する「一度決まると変更されにくい」という基準値の性質は、医療制度においても、臨床現場においても、確かに感じてきたことでした。

「超えた/超えない」より先に問うべきこと


本書の結論は明快です。基準値を見たとき、「超えたか超えないか」で止まらず、4つのことを問うべきだと著者は言います。この基準値は何のためか。どんな仮定で作られたか。誰が負担を引き受けているか。そして、更新できるのか。

これは、情報リテラシーの話ではなく、「社会の意思決定に参加する」ということだと私は受け取りました。

ニュースで「基準値の○倍が検出された」という見出しを見るたびに、以前の私は少し怖くなっていました。でも今は、「その基準値はどんな目的で引かれた線なのか」と、一度立ち止まれるようになった気がします。それだけでも、この本を読んだ価値は十分にあったと思っています。

医療の現場で働く身として、数字と人の間に立つことの難しさは日々感じています。でもだからこそ、数字の意味をきちんと問い続けることの大切さも、改めて実感しました。難しい本ではありません。むしろ読みやすく、各章が独立しているので、気になるテーマから読んでも楽しめます。ぜひ手に取ってみてください。

まとめ


「基準値=安全の境界線」ではなく、社会が引いた暫定的な線引きにすぎない。コロナの15分ルールは、感染ゼロの保証ではなく、接触者追跡のための運用上の数字だった。がん検診の目的は「がんを見つけること」ではなく「死亡リスクを下げること」であり、不利益とのバランスで評価すべきだ。基準値を見たとき、「超えた/超えない」で止まらず、「何のために、誰が、どんな仮定で引いた線か」を問うことが、数字に振り回されない第一歩になる。

健康情報が溢れる時代に、この視点を持てるかどうかは、日常の安心感に直結すると思います。あなたがこれから出会う「基準値」の見え方が、少しでも変わるといいなと思いながら、この記事を書きました。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。


#AI書評 #健康リテラシー #医療情報 #科学的思考 #基準値


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