『フェイクニュースを科学する』 ― 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ 笹原 和俊著 2021年: AI書評
『フェイクニュースを科学する』:計算社会科学が解き明かす情報拡散の構造と未来への提言
まえがき:進化する「情報生態系」と計算社会科学の羅針盤
2016年、米国大統領選挙を契機に、虚偽の情報が社会を分断し混乱させる現象が世界的な注目を集め、この年が「フェイクニュース元年」と称されるようになりました 1。それから数年を経た2020年には、新型コロナウイルスのパンデミックが全世界を襲い、公衆衛生に関わるデマや陰謀論が爆発的に拡散する「インフォデミック」という新たな段階へと情報環境は進化しました 1。このような急速に変貌する情報生態系において、なぜ偽情報が事実を凌駕し、社会に大きな影響力を持つのかを理解することは、現代を生きる上で不可欠な課題となっています。
本書『フェイクニュースを科学する: 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ』は、この複雑怪奇な現象に対し、単なる社会評論や倫理的議論に留まることなく、データと科学的アプローチを用いて構造的に解明しようとする画期的な試みです 1。著者の笹原和俊氏は、東京大学大学院で計算社会科学を専門とする研究者であり、人工知能(AI)技術を社会問題の分析に応用するアプローチで知られています 2。本書は、この「計算社会科学」という新たな武器を駆使し、SNS上に飛び交う膨大なビッグデータを分析することで、フェイクニュースがなぜ、どのように拡散するのかという根源的な問いに、客観的かつ定量的な視点から迫っています 1。
本レポートは、本書が提示する分析フレームワークを深く掘り下げ、フェイクニュースの拡散を司る構造的な要因と、それに対する「処方箋」の有効性や限界を詳細に解説します。さらに、多くの読者に特に響いたとされる核心的な文章を抽出・分析することで、本書の最も重要なメッセージを浮き彫りにし、情報過多の時代を生き抜くための羅針盤としての価値を提示します。
フェイクニュースを「科学」する視点:問題の定義とアプローチ
本書の議論は、フェイクニュースを単一の現象として捉えるのではなく、その多層的な性質を科学的に定義するところから始まります 3。フェイクニュースは、単なる「誤報」や「不正確な情報」だけでなく、政治的プロパガンダ、広告収入目的のクリックベイト、さらには面白半分で創作されたものなど、その作成や拡散の動機が多岐にわたる複雑な現象として捉えられています 2。この包括的な定義が、問題の全体像を捉えるための強固な出発点となっています。
従来の社会学やジャーナリズム論が、フェイクニュースを主に定性的な視点から分析してきたのに対し、本書は「計算社会科学」というアプローチを前面に打ち出しています 1。この学術領域は、社会現象をビッグデータや数理モデル、エージェント・シミュレーションなどの手法を用いて定量的に分析する学際的な分野です 6。著者の笹原氏のこれまでの研究テーマを見ると、「Twitterデータを用いた新型コロナ禍における転売現象の分析」や「ソーシャルメディアにおける道徳的分断」など、現実の膨大なデータを扱った研究が多数見られます 5。これは、本書の議論が抽象的なものではなく、実際の情報流通データを基盤とした堅牢な分析の上に成り立っていることの証左であり、議論に圧倒的な説得力を与えています。このデータ駆動型の分析こそが、本書が「科学」を冠する所以であり、感情的な議論に陥りがちなテーマに客観的な視点をもたらす重要な貢献と言えます。
偽情報が拡散する三つのメカニズム:構造的な要因分析
本書の核心は、フェイクニュースの拡散を促進する三つの構造的な要因を解明した点にあります。これらは、個人の「意志」や「良識」だけでは解決が困難な、より根深いシステム的な問題を浮き彫りにしています 4。
認知の偏り:見たいものだけを見る私たち
人間が情報を処理する際に無意識に働く心理的特性が、偽情報を受け入れやすくする最初のメカニズムです。本書は、以下の概念を詳細に解説しています。
確証バイアス: 人は無意識のうちに、自分の既存の意見や信念を裏付ける情報を優先的に探し、反証する情報を無視する傾向があります 4。この認知の偏りが、特定の信念を持つ人々が偽情報を信じ込む第一歩となります。
利用可能性ヒューリスティック: 特定の情報が繰り返し報道されたり、SNS上で何度も目にしたりすると、その情報が正しいという認識が強化されてしまう傾向を指します 10。この繰り返しが、情報の「真実らしさ」を錯覚させ、真偽の検証を怠らせる要因となります。
バックファイアー効果: 自分の世界観に反する確固たる信念に反する情報に出会ったとき、かえって自分の信念に固執し、より強固なものとしてしまう逆説的な心理現象です 10。これは、単純に真実を提示するファクトチェックが、特定の層には逆効果をもたらす可能性があることを示唆しています。
情報環境の偏り:見たいものしか見えない空間
現代の情報流通の中心であるソーシャルメディアの技術的・社会的な構造自体が、偽情報の拡散を助長する第二の要因です。
エコーチェンバー現象: SNS上で似たような意見を持つ人々がコミュニティを形成することで、同じ意見が内部で共鳴し、増幅される現象です 7。この環境下では、たとえ情報に疑問を抱いても「友だちがリツイートしているなら真実だろう」と考えるようになり、情報の検証が省略される傾向があります 8。
フィルターバブル: プラットフォームのアルゴリズムが、ユーザーの過去の行動や嗜好に基づいて、興味のある情報や意見を優先的に表示することで、異なる視点や意見が視界から排除され、情報が偏ってしまう現象を指します 2。
認知の限界:無限の情報と有限な注意
情報過多(インフォデミック)がフェイクニュース問題に与える影響は、無視できない第三の要因です。現代社会では、人間が処理できる注意力(アテンション)は有限である一方、SNSを通じて膨大な情報が日々流入しています 4。この情報過多な状況では、人々はすべての情報の真偽を深く検証することが困難になります。その結果、感情に訴えかける、あるいはセンセーショナルな偽情報が、人々の限られた注意力を獲得し、真実よりも優位に立ちやすいという状況が生まれます。
本書の分析の深みは、これら三つの要因を独立したものとしてではなく、複合的かつ相互に作用するシステムとして捉えている点にあります。個人の認知バイアス(確証バイアス)は、ソーシャルメディアのアルゴリズム(フィルターバブル)によって技術的に強化され、同じ情報が繰り返し流れることで(エコーチェンバー)、その「真実らしさ」が錯覚的に高まります(利用可能性ヒューリスティック)。この一連の悪循環は、真偽を検証する時間と注意力が不足している情報過多の環境下でさらに加速します。この複雑なフィードバックループこそが、フェイクニュースが「事実よりも遠く、深く、早く、幅広く拡散する」という、データに基づく結論の根本原因であると本書は示唆しています 4。
表:フェイクニュース拡散の三つの要因と関連概念

フェイクニュースへの「処方箋」:有効性と限界
本書は、偽情報が構造的な要因によって拡散する現実を踏まえつつ、それに対抗するための「処方箋」を提示しています。
偽情報を見抜くためのメディアリテラシー教育
本書は、個人が情報を見抜くための最も重要な「心構え」として、「情報には常に偏りやフェイクが含まれる可能性がある」という前提を持つことの重要性を説いています 12。これは、無批判に情報を受け入れるのではなく、一歩引いた冷静な態度で接することの必要性を示唆しています。具体例として、日本財団ジャーナルが紹介した、楽しみながらメディアリテラシーやファクトチェック能力を学べるゲーム形式の教育プログラム「レイのブログ」が挙げられており、座学に留まらない実践的な学習の重要性を強調しています 13。このプログラムは、「疑う」「調べる」「判断する」という三つのステップを通じて、ユーザーが能動的に情報を検証するスキルを身につけることを目指しています 13。
ファクトチェックの役割と課題
社会に広まった情報の真実性・正確性を検証し、その結果を共有する営みとしての「ファクトチェック」は、重要な対抗手段の一つです 12。しかし、本書はファクトチェックの重要性を認めつつも、その有効性には限界があることを冷静に指摘しています。書評の記述によると、データ分析によって「誤情報は事実よりも遠く、深く、早く、幅広く拡散する」という結論が導き出されています 4。これは、ファクトチェックが常に「後追い」にならざるを得ないという構造的な限界を明確に示しています。真実が訂正される頃には、虚偽情報はすでに広範囲に浸透し、人々の認識を形成してしまっている可能性が高いのです。さらに、前述の「バックファイアー効果」は、ファクトチェックという真実の提示が、特定の信念を持つ人々にとって、かえって誤った信念を強化する逆効果を生む可能性があることを示唆しており、単純な「真実の提示」だけでは問題は解決しないという、より複雑な現実を提示しています。
法的・インフラ的アプローチの可能性
個人のリテラシー向上や民間によるファクトチェックだけでは限界があるため、本書は、プラットフォームのアルゴリズムや情報流通のあり方自体を見直す、より構造的なアプローチの必要性を示唆しています 7。書評には「法による規制」が処方箋の一つとして挙げられており、個人の「意志」に頼るだけでは解決が困難な問題に対して、社会全体としての仕組み作りが不可欠であるという、本書の重要なメッセージと整合しています 7。
文庫版の「追補」:インフォデミックの時代へ
本書の文庫版は、2018年12月に刊行された単行本に加筆・修正が加えられ、特に2018年以降の重要な動向をまとめた「追補 インフォデミックの時代へ」が追加収録されています 1。この追補は、フェイクニュース問題の性質が急速に変化・深化している現状を克明に描いています。
単行本が主に扱った2016年時点のフェイクニュースが、政治的なプロパガンダや広告収入目的のクリックベイトが中心であったのに対し、追補では、2020年の新型コロナ・パンデミックに端を発した「インフォデミック」の事例を詳述しています。公衆衛生に関わる偽情報(例:「お湯を飲むとウイルスが死滅する」)や、ワクチン忌避を煽る陰謀論(例:「ビル・ゲイツがワクチンに監視用のマイクロチップを埋め込む」)が世界的に拡散し、人々の生命や安全に直接影響を及ぼす事態が発生しました 1。
さらに、2020年の米国大統領選挙をめぐる陰謀論、特にQアノンが、トランプ氏の敗北後も消滅せず、独自のコミュニティで「メディアが伝えない真実」を追い続けている現状を解説しています 1。これは、フェイクニュースの問題が特定の政治イベントに留まらず、社会のあらゆる側面に浸透し、特定の層にとっては「事実」として認識される、より根深い信仰体系へと進化していることを示しています。この文庫版のアップデートは、問題の性質がより多様化し、解決が困難になっているという警告的なメッセージを読み取ることができ、本書の現代的意義をさらに高めています。
多くの人がハイライトした洞察と重要概念
本書が提示する分析は、多くの読者の心を強く揺さぶりました。以下に、特にハイライトされた核心的な文章と、その背景にある深い洞察を解説します。
読者の心を掴んだ核心的な文章
「誤情報は事実よりも遠く、深く、早く、幅広く拡散する」 4
この文章は、本書のデータに基づく分析の結論を端的に示しています。フェイクニュースが持つ拡散力が、個人の認知の偏りや情報環境の構造によって圧倒的に優位に立っているという、現代の情報社会の現実を突きつける衝撃的なメッセージです。真偽にかかわらず、虚偽情報が持つセンセーショナルさや感情的な訴求力は、真実が持つ地味な事実性を凌駕します。
「意志では何ともならないことを前提に考えることが肝要」 4
このメッセージは、個人の「善意」や「努力」に頼る対策の限界を指摘する、本書の最も重要なメッセージの一つです。人間の認知バイアスや情報環境の構造は、個人の意志力だけで克服することは非常に困難です。そのため、問題解決には、個人のリテラシー向上だけでなく、プラットフォームのアルゴリズムや法的・制度的な枠組みの整備といった、より根本的な構造的アプローチが必要であることを示唆しています。
「ウワサの拡散量=話題の重要性×状況のあいまいさ」 4
これは、いわゆる「ウワサの公式」を引用したもので、フェイクニュースの拡散が、その内容の真偽だけでなく、社会的な文脈(特に状況のあいまいさ)に強く依存していることを示しています。経済的・政治的な不確実性や社会的な不安が高まっている状況は、人々が根拠のない情報に飛びつきやすくなる土壌を作り出します。これは、フェイクニュース対策が、単なる真偽判定だけでなく、社会的な不確実性や不安をどう管理するかという、より広範な課題と密接に関わっていることを示唆しています。
示唆に富む重要概念の抽出と解説

まとめと今後の情報生態系:冷静な現実認識と次の一歩
本書『フェイクニュースを科学する』は、フェイクニュース問題に対する感情的な議論から一歩踏み出し、認知、情報環境、そして注意力の限界という三つの科学的な側面から構造を解明した点で、極めて重要な貢献を果たしています。特に、「意志だけではどうにもならない」という冷静な現実認識は、現代社会における情報問題の根本を理解する上で最も重要な出発点となります。
文庫版の「追補」が示すように、フェイクニュースは特定の政治的イベントから、公衆衛生や陰謀論へとその形を変え、社会のあらゆる側面に浸透し続けています。この問題の多様化と深化に直面する我々には、単に個人のメディアリテラシー向上を呼びかけるだけでなく、本書の分析を踏まえた、より大きなスケールでの構造的アプローチが不可欠であることが示唆されます。プラットフォーム側のアルゴリズムの透明化、ファクトチェックの効率化、そして偽情報への耐性を持つ社会システムを構築することが、今後の重要な課題となるでしょう。本書は、その複雑な課題に立ち向かうための、科学的な羅針盤を我々に提供していると言えます。
引用文献
フェイクニュースを科学する: 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダ ..., 8月 30, 2025にアクセス、 https://bookwalker.jp/series/381193/
SNSの中で“つくられる真実”と“対立する正しさ”, 8月 30, 2025にアクセス、 https://psych.or.jp/publication/world098/pw05/
フェイクニュースを科学する - 株式会社 化学同人, 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.kagakudojin.co.jp/book/b583487.html
DOJIN選書 フェイクニュースを科学する―拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ - 紀伊國屋書店, 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784759816792
Computational Social Science Lab - Publications - 笹原和俊, 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.colorlessgreen.info/publications
笹原 和俊 (Kazutoshi Sasahara) - マイポータル - researchmap, 8月 30, 2025にアクセス、 https://researchmap.jp/colorlessgreen
フェイクニュースを科学する 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ DOJIN選書 : 笹原和俊, 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.hmv.co.jp/artist_%E7%AC%B9%E5%8E%9F%E5%92%8C%E4%BF%8A_000000000778832/item_%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%92%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B-%E6%8B%A1%E6%95%A3%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%87%E3%83%9E%E3%80%81%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AB%96%E3%80%81%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AE%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%BF-DOJIN%E9%81%B8%E6%9B%B8_9307873
なぜ急速に拡散する? フェイクニュースの科学 | 夢ナビ講義, 8月 30, 2025にアクセス、 https://yumenavi.info/vue/lecture.html?gnkcd=g009050
Fujio Toriumi - 鳥海研究室, 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.torilab.net/people/tori/
フェイクニュースはなぜ拡散するのか?, 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.miraitosyokan.jp/future_lib/symposium/6th/lib_and_post_truth2.pdf
急増する情報とメディア空間の ゆがみ, 8月 30, 2025にアクセス、 https://rikkyo.repo.nii.ac.jp/record/22762/files/AA11837343_21_07.pdf
ファクトチェックと情報リテラシー ~事実を確かめるための基礎知識と心構え~ - YouTube, 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.youtube.com/watch?v=WvzVXW0U6j4
フェイクニュースを見抜く力を! ゲーム形式で学べる「レイのブログ」 | 日本財団ジャーナル, 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2025/112408/education
Computational Social Science Lab - fakenews, 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.colorlessgreen.info/fakenews
フェイクニュースを科学する: 拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ (DOJIN文庫), 8月 30, 2025にアクセス、 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-1319834
(Gemini 2.5 pro Deep Research とClaude Sonnet 4.5を使用して作成しています)
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