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心理学者ダニングの研究で判明|専門家ほど"嘘の知識"を語る心理:論文紹介

「実はそれ、知っているんですよ」

そう言いかけて、ふと胸の奥がざわついた経験は、ありませんか。

会議で、雑談で、SNSで。誰かが話題にした言葉を、なんとなく「聞いたことがある気がする」と思って、つい知っているふりをしてしまう。誰にでもある、ささやかな見栄です。

私自身、医療の現場でこの「ちょっとした見栄」と何度も向き合ってきました。そしてある心理学の研究を読んだとき、思わず大きくうなずいてしまったのです。

「知識がある人ほど、知らないことを"知っている"と語ってしまう」――。

これは決して、性格の問題ではないようなのです。今日はその不思議な仕組みを、一緒にのぞいてみませんか。


「知ったかぶり」は、誰にでも起きる現象


まずお伝えしたいのは、知ったかぶりは特別な人がする悪いことではない、ということです。

2015年、コーネル大学のスタヴ・アティル博士たちが発表した研究があります。彼らは「人は本当に、自分が知っていることと知らないことを見分けられるのか?」という、とても素朴な問いを丁寧な実験で確かめました。

実験はシンプルです。参加者にお金に関する15個の用語を見せて、「どれくらい詳しいか」を答えてもらう。ただし、その15個のうち3つは、研究者がでっち上げた架空の用語でした。「事前格付け株式」のような、本物っぽい響きだけの、実在しない言葉です。

結果は驚くべきものでした。参加者の93%が、少なくとも1つの「存在しない用語」について「知っている」と答えてしまったのです。

多くの人が"知らないはずのこと"を、なんの悪気もなく「知っている」と語る。これが心理学の世界で「オーバークレーミング(過剰主張)」と呼ばれる現象です。

詳しい人ほど、なぜ"知らない"を"知っている"と言うのか


この研究のいちばん面白いところは、ここからです。

「自分はお金の知識が豊富だ」と感じている人ほど、架空の用語を「知っている」と答える傾向が強かったのです。しかも、実際の知識量を別のテストで測って差し引いても、この傾向は消えませんでした。

私が初めてこの結果を見たとき、診察室や勉強会の場面が次々と頭に浮かびました。経験を積んだ先輩ほど、新しい言葉や概念を「ああ、それね」と受け流す瞬間があります。一方でまだ若い後輩は「すみません、それ初めて聞きました」と率直に言える。

長く積み重ねてきた知識が、ときに「自分はもう知っている」という思い込みを生み、新しい情報をきちんと受け取る回路を細くしてしまう。

これは私自身、自分への戒めとして、いつも心に置いていることでもあります。

研究から見えてきた、3つの大切な視点


アティル博士たちは4つの実験を重ねて、この現象をさらに深く掘り下げました。なかでも私の心に強く残ったのは、次の3つです。

ひとつめは、領域特異性があるということ。生物学に詳しいと自認する人は、生物学の架空用語を多く語ります。けれど哲学の架空用語は語りません。つまり「私はこの分野に強い」という自己認識そのものが、その分野での知ったかぶりを引き起こしているのです。

ふたつめは、警告しても消えないということ。実験の中で「実はこの中にニセモノが混じっています」と事前に伝えても、自信のある人の過剰主張はほとんど減りませんでした。つまりこれは見栄や演技ではなく、本人にとっては"本当に知っている気がしている"のです。

みっつめは、自信は人為的に作られるということ。簡単な地理クイズで「あなたは地理に強い」と感じさせると、その直後に架空の地名まで「知っている」と答えるようになりました。つまり自信は事実ではなく、状況によって膨らんだり萎んだりする"気分"だったのです。

この3点は、専門家の端くれである私にとって、静かな警鐘のように響きました。

「知識の地図」というメタファーで考える


イメージで言うと、こんな感じです。

私たちはみな、頭の中に「自分が知っていることの地図」を持っています。詳しい分野ほど、その地図はきめ細かく描かれ、たくさんの地名が並んでいる。

ところが、地図が詳しくなればなるほど、たまに「実在しない地名」がまぎれ込んでも見分けがつきにくくなる。それどころか「これだけ詳しい自分が知っているのだから、本物だろう」と、無意識のうちに正当化してしまう。

地図が空白だらけの分野では、「あ、知らない」と素直に言えます。でも地図が埋まっている分野では、空白を埋めようとする力が働いて、ありもしない地名まで書き込んでしまう。

「知らない」が言えるのは、実は地図に空白が見えているうちだけ。これは、けっこう怖い話だと私は思うのです。

私が現場で自分に問いかけている3つのこと


では、知識の幻想に飲み込まれず、自分の認識を整えるために、何ができるのか。

私は医療や勉強会の場面で、自分にこんな問いを投げかけるようにしています。

ひとつめは、「説明できるか?」という問い。聞き慣れた言葉でも、自分の口で、専門外の人に5分でかみくだいて説明できないなら、それは"知っている気がしているだけ"かもしれない。これは「説明深度の錯覚」と呼ばれる別の研究テーマとも深く重なる視点です。

ふたつめは、「どこで初めて知ったか思い出せるか?」という問い。確かな知識ほど、出会った文脈や本、人の顔が一緒に思い出されます。逆にどこで仕入れたか思い出せない情報は、雰囲気で覚えているだけのことが多いのです。

みっつめは、「知らないと言ったら、何が失われるか?」という問い。たいていの場合、答えは「ほぼ何もない」です。むしろ「知らないので教えてください」と言える人のほうが、長い目で見れば信頼を積み重ねていきます。

これは「がまん」ではなく、知的なチャレンジだと私は思っています。

「知らない」と言えるのは、強さ


「理解を妨げる最大の障害は、無知ではなく、知っているという錯覚である」

アメリカの歴史家ダニエル・ブースティン(1914-2004)の言葉です。今回紹介したアティル博士たちの研究は、まさにこの一文を、データで静かに裏付けたものだといえるかもしれません。

知らないことを知らないと認めるのは、弱さではなく、知性です。

自信があるほど自分の認識を歪めやすいという、人間のちょっと切ない仕組み。でもそれは同時に、「気づけば対処できる」という希望のメッセージでもあるのです。

専門分野ほど慎重に立ち止まる。これは、医療の現場で日々患者さんと向き合うなかで、私が痛感していることでもあります。

まとめ


最後に、今日お伝えしたかったことを、もう一度整理させてください。

ひとつ、知ったかぶりは特別な人の悪癖ではなく、誰にでも起きる心の働きであること。

ふたつ、しかも自分が「詳しい」と感じている分野でこそ、それは静かに起きやすいということ。

みっつ、警告や注意だけでは、この現象はなかなか消えないということ。

よっつ、対処するには「説明できるか」「どこで知ったか」「知らないと言って何が失われるか」と、自分に問い直す習慣が役に立つということ。

そして最後に、「知らない」と言えることは、知性の弱さではなく、むしろ知性の証であるということ。

あなたの周りには、頼られる人ほど「知らないので教えてください」とさらりと言える人がいませんか。あの落ち着きは天性のものではなく、自分の認識をやさしく疑う習慣の積み重ねから生まれているのだと、私は思います。

知識の幻想に振り回されず、地に足のついた知性を育てていく。その小さな一歩は、今日からいつでも始められます。あなたは、その変化をきちんと起こせる人です。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。

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