「わかりやすく伝えたい」という善意が、デマの共犯者を量産している
「わかりやすく説明できる人って、頭がいいよね」
こんな言葉、どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。私も長い間、そう思っていました。複雑な話をシンプルにまとめてくれる人、難しいニュースをひとことで整理してくれるコンテンツ。それはたしかに、ありがたい存在です。
でも、医療現場で働き、公認心理師として情報処理のメカニズムを学ぶうちに、少しずつ気になることが出てきました。「わかりやすい」と感じるとき、私たちは何かを受け取っているのと同時に、何かを手放してしまっているのではないかと。
今日は、その「わかりやすさという諸刃の剣」について、一緒に考えてみたいと思います。
「シンプルな話」に惹かれてしまうのは、あなたのせいではない
まず、はっきりお伝えしたいことがあります。「わかりやすい話に引き込まれやすい」のは、あなたが特別に不注意なわけでも、知識が足りないわけでもありません。それは人間の脳が、もともとそういうふうに設計されているからです。
情報処理の研究では、人間の認知にはふたつのモードがあることが知られています。ひとつは、時間をかけて論理的に考える「じっくり思考」。もうひとつは、感情や印象でパッと判断する「直感的思考」です。ノーベル賞経済学者のダニエル・カーネマンが「ファスト&スロー」として広く紹介したあの概念です。
問題は、現代のSNSやニュースサイトが設計されているのは、「直感的思考」を刺激するほうだということです。なぜなら、考えさせるより感じさせるほうが、人は反応しやすいから。「いいね」も「シェア」も、じっくり考えた末の行動より、感情的な反応として起きることのほうがずっと多い。
これが「アテンション・エコノミー(関心経済)」と呼ばれる構造の本質です。あなたの注意力は、今や希少資源として扱われています。そして、その注意を引くために最適化された情報は、センセーショナルで、感情的で、何より「わかりやすい」ものになっていきます。つまり、あなたの脳は最初から、狙われているのです。
「雑な単純化」という罠――伝わりやすさと引き換えに削ぎ落とされるもの
ここで、私が「雑な単純化」と呼んでいる現象について話させてください。
たとえば、ある社会問題があるとします。その背景には歴史的な経緯があり、複数の利害関係者がいて、統計データも解釈によって意味が変わってくる。現実とは、そういうものです。
でも、SNSで目につくのは「○○が悪い」「✕✕のせいだ」という単純な断言です。複雑な現実が、ひとつの「悪者」に収斂されていく。そしてそれは、とても伝わりやすい。
ここで重要なのは、「伝わりやすいこと」と「正しいこと」は、まったく別のことだという点です。むしろデマは、正確な情報よりも構造的に「わかりやすく」できています。嘘は現実の複雑さに縛られないので、聴衆が受け取りやすい形に自由に加工できる。正確な情報はそうはいきません。
医療情報を扱う現場にいると、これを痛感します。「○○を食べれば癌が治る」という情報は広がりやすい。でも「現時点では有意な差が認められなかった」という正確な表現は、どうしても伝わりにくい。わかりやすさと正確さは、しばしばトレードオフの関係にある。これは、メディアリテラシーを考えるうえで、もっとも根本的な問題だと思っています。
広告とデマには、じつは同じ手法が使われている
これは少し不快な話かもしれませんが、大切なことなので続けます。
心理学には「精緻化見込みモデル(ELM)」という理論があります。ざっくり言うと、人が情報を処理するルートにはふたつあって、ひとつは内容をじっくり検討する「中心ルート」、もうひとつは感情的な刺激や周辺的な手がかり——権威、見た目、人気——で判断する「末梢ルート」です。
広告の設計は、長らく末梢ルートを活用してきました。論理ではなく感情を動かす。理由ではなくイメージで納得させる。そしてデマもまた、まったく同じ手法を使います。
「○○人は怖い」「△△業界は腐っている」といった言説は、論理的な検証を促す前に感情を刺激します。怒りや不安が高まると、私たちの脳は「じっくり思考」のスイッチを切り、「直感的思考」だけで判断を下してしまう。そしてシェアボタンを押す。
公認心理師として認知バイアスを学ぶなかで気づいたのは、「騙される人」と「騙されない人」の差は知識量よりも、「今自分は感情的になっていないか」という自覚にある、ということです。怒りや恐怖が高ぶっているとき、人は最も情報に対して無防備になる。これは、私自身にとっても耳が痛い話です。
あなたの「シェア」が持つ、思いがけない重み
「自分が拡散したくらいで、大勢には影響しないだろう」
そう思っている方が多いかもしれません。私も以前はそうでした。でも、これが積み重なることで何が起きるのかを考えると、やはり立ち止まらずにはいられません。
デマや偏見の拡散を研究する人たちは、「大きな主語の情報」こそが社会の分断を生むと指摘しています。「日本人は」「男は」「若者は」「医療者は」——こういった主語でひとくくりにされた情報は、個人の多様性を消し去り、「私たち」と「あいつら」を可視化させます。逆に言えば、デマを弱めるのは「個別の事実を積み重ねる、主語の小さな情報」です。
あなたが情報をシェアするとき、実はふたつの選択をしていることになります。ひとつは「この情報を信頼できる」という判断。もうひとつは「この情報を他者に届けることに同意する」という行動です。
この二段階が意識されないまま、感情的な反応だけでシェアが行われる。そのワンクリックが積み重なって、社会の「共通の現実認識」が少しずつ歪んでいく。これは、誰かひとりの話ではありません。私たち全員の話です。
複雑さを愛するために――「知的忍耐力」のすすめ
では、私たちはどうすればいいのでしょうか。「SNSを使うな」という答えは非現実的ですし、「すべての情報を疑え」も、精神的な疲弊を招くだけです。
私が提案したいのは、「知的忍耐力」という考え方です。これは、複雑な現実を「複雑なまま」受け入れる力のことです。
「この問題には、賛否がある」「まだ結論が出ていない」「私にはよくわからない」——こうした宙吊りの状態を、不安なく保持できるかどうか。心理学では「曖昧さへの耐性(アンビギュイティ・トレランス)」とも呼ばれます。結論を急かされても「まだわからない」と言える、その強さのことです。
天文学者のカール・セーガンはかつてこう言いました。「並外れた主張には、並外れた証拠が必要だ」。これは現代の情報環境においても、ひとつの羅針盤になる言葉だと思います。「すごい話だ」と感じた瞬間が、シェアする前に一度立ち止まるサインになる。
私自身、医療の現場にいて思うのです。「確実なこと」は驚くほど少ない。でも、そのわからなさを抱えたまま、患者と向き合い続けることが、誠実な姿勢だと感じています。情報との関わり方も、きっと同じではないでしょうか。
「わかりやすい答え」が見つからないとき。モヤモヤするとき。それはあなたが、現実の複雑さと正面から向き合っている証拠です。その感覚を、どうか大切にしてください。
まとめ
デマは本質的に「わかりやすく」設計されており、正確な情報との間には構造的なトレードオフがある
アテンション・エコノミーの中で、私たちの注意力は「直感的思考」を刺激するコンテンツに操作されやすくなっている
広告とデマは同じ「末梢ルート」を使い、感情を動かすことで論理的な検証を迂回させる
シェアやいいねの積み重ねが「大きな主語」の情報を拡散させ、社会の共通認識を少しずつ歪めていく
「知的忍耐力」——複雑さを複雑なまま受け入れ、宙吊りの状態に耐える力——こそが、現代の情報リテラシーの核心である
わかりやすさを求めること自体は、決して悪いことではありません。でも、「わかりやすい」と感じた瞬間に少し立ち止まる習慣を持てたら。その一息が、あなた自身と、あなたの周りの人たちを守る小さな盾になると、私は信じています。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。
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