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「失敗しても「成功」になる——ロシア影の戦争の常識外れなロジック

「戦争」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか。戦車が大地を走り、ミサイルが空を裂く光景でしょうか。でも、もしそれとはまったく別の形の戦争が、今この瞬間もヨーロッパの街角で、海底ケーブルの上で、あなたのスマホのSNSフィードの中で進行しているとしたら? ロシアが仕掛ける「シャドウ・ウォー(影の戦争)」は、爆弾ではなく放火で、宣戦布告ではなくサイバー攻撃で、軍隊ではなく犯罪者の雇用で遂行されています。そしてこの戦争には、私たちが普通に想像する「勝ち」と「負け」の概念がほとんど通用しません。今回はCEPA(欧州政策分析センター)が2025年11月に発表した最新レポートをもとに、この「終わりなき戦争」の構造を、公認心理師の視点も交えながらお伝えしていきます。


「影の戦争」とは何か——まず全体像をつかむ


海底ケーブルの切断。航空システムの妨害。放火。破壊工作。暗殺。潜入工作。これらはすべて、ロシアが現在ヨーロッパで展開している「シャドウ・ウォー」の手口です。

私がこのレポートを読んで最初に衝撃を受けたのは、この影の戦争が「戦略」ではなく「システム」であるという指摘でした。つまり、誰かが上から「今日はこの国を攻撃しよう」と計画して始まるのではなく、ロシアという国家の統治構造そのものが、自動的に攻撃を生み出し続ける仕組みになっている、という話なんです。

もう少しわかりやすく言いますね。普通、私たちは「攻撃には目的がある」と考えます。領土を奪うため、経済的利益のため、あるいは報復のため。しかしロシアの影の戦争は、レポートの著者たちの分析によれば、ネオ・スターリン主義的な脅威認識に根ざしています。彼らの世界観では、戦争は例外状態ではなく、国家の「通常状態」なんです。

3つの情報機関、3つの企業文化


ロシアの影の戦争を担うのは、主にFSB(連邦保安庁)、GRU(軍事情報総局)、SVR(対外情報庁)の3つの機関です。そしてこの3つは、それぞれ驚くほど異なる「企業文化」を持っています。ここが私にとっていちばん面白かった部分です。

SVR(対外情報庁)は、いわば「エリートサラリーマン型」のスパイ組織です。冷戦時代から、西側諸国での海外赴任は情報将校にとって最大の特権で、赴任先の国を怒らせて追放されることを何より恐れていました。家族ぐるみで何世代にもわたって情報部門に勤める文化があり、ヨーロッパでの生活を大切にする穏健さがあったんですね。2022年の侵攻直前、モスクワのトップ大学の学生に対するSVRのリクルーターとの会話記録が入手されているのですが、学生が「この仕事で殺される危険はありますか?」と聞くと、リクルーターは「まさか。最悪でも国外追放されるだけですよ」と答えています。政治的見解についても「以前は反体制的な活動も可能でしたが、今は厳しく取り締まられています。とても残念なことですが」と漏らしたそうです。2022年以前のSVRには、ある種の自由な思考の余地がまだ残っていたということですね。

一方、FSBは「体制防衛の番犬」そのものです。ソ連崩壊とKGB解体というトラウマを深く抱えており、政治的安定の維持——つまり現政権の存続——が至上命題になっています。あらゆる反体制活動を、それが実際にどれほどの力を持っていようと、革命の芽として叩き潰す。彼らの論理では「政治的変化→革命→大量の犠牲者と国家崩壊」という等式が成り立っているんです。

そしてGRUは、「戦場育ちの荒くれ者集団」と言えます。2012年以降にショイグ国防相のもとで再建された際、人員の多くをスペツナズ(特殊部隊)から補充しました。この人たちは荒っぽく、効率的で、極めて攻撃的です。外交官の身分証も名誉ある海外赴任ポストも持たないので、逮捕されようが正体が暴かれようが気にしません。「戦時と平時の境界線」という概念自体が、彼らの辞書にはないんです。

「失敗しても成功」という恐ろしいロジック


このレポートで最も背筋が寒くなった分析は、ロシアの影の戦争には「失敗」の定義が存在しないという指摘です。

通常の軍事作戦であれば、前線が進むか退くか、爆弾が目標に当たるか外れるか、成功と失敗は明確に測定できます。ところが影の戦争では、作戦が敵を混乱させれば成功、正体が暴露されても「我々はこれだけの脅威なのだ」と示せるから成功、作戦が阻止されても相手のリソースと注意力を消耗させたから成功——という具合に、あらゆる結果が「成功」として処理されてしまうんです。

心理学的に見ると、これは典型的な「閉じた認知システム」です。フィードバックを受け付けないシステムは、学習も自己修正もできません。その代わりに何が起きるかというと、際限のないエスカレーションです。競合する各機関がクレムリンへの忠誠を示すために先を争って作戦を提案し、失敗すれば「もっと投資と攻撃が必要だ」と正当化し、「行動しているところを見せる」ことが「実際に成果を上げる」ことより優先されます。

レポートの著者サム・グリーンはこう整理しています。ロシアの影の戦争におけるエスカレーションは、指揮系統の誰かが意図的に選択するものではなく、システムの内部論理が自動的に生み出す結果なのだと。これは映画で言えば暴走する列車のようなものです。ブレーキをかける人が車内にいないんですね。

スターリンの亡霊——なぜ100年前の手法に回帰するのか


2022年の全面侵攻以降、ロシアの情報機関は冷戦期(1970〜80年代)の手法ではなく、スターリン時代の秘密警察の手法に回帰しているとレポートは指摘しています。

冷戦期のソ連の対西側工作は、主にスパイ活動、政治工作(親ソ政党への資金提供など)、偽情報キャンペーンが中心で、暗殺は1950年代後半にはほぼ停止されていました。ところがスターリン時代は、それらに加えて破壊工作、暗殺、国境を越えた弾圧が日常的に行われていたんです。

なぜ今、スターリン時代に戻るのか。レポートの分析は明快です。スターリン時代こそ、ロシアが最後に西側との本格的な軍事対決に直面した時代だったからです。現在のロシアが自らを「西側との存亡をかけた対決」の渦中にあると認識している以上、その時代の手法に回帰するのは、彼らの内部論理としては当然の帰結なんですね。

実際、2024年春にはドイツ最大の兵器メーカー、ラインメタル社のCEO暗殺が計画されました(ドイツとアメリカの情報機関が阻止しています)。ウクライナに亡命したロシア軍ヘリパイロットのクズミノフは、2024年2月にスペインのビジャホヨサで、ロシア製マカロフ拳銃の6発の銃弾で殺害されました。反体制派の政治家カラムルザは「大逆罪」で懲役25年を宣告されています。これらはすべて、冷戦期のKGBなら踏み込まなかった領域です。

「名指し批判」はなぜ効かないのか


西側諸国は2015年頃から、ロシアの工作員を公に特定して批判する「ネーミング・アンド・シェーミング」戦略を採用してきました。当初は一定の効果がありましたが、2018年のスクリパリ毒殺未遂事件で転機が訪れます。実行犯のGRU将校の身元が公に暴露されたにもかかわらず、抑止効果はまったく見られませんでした。機関は何事もなかったように活動を続け、内部処分も行われなかったんです。

ここでGRU、そしてロシアの他の機関が見出した新たな作戦論理があります。秘密が保てないなら、否認可能性の代わりに曖昧さと威嚇と大胆さを使えばいい、というものです。

暴露された場合、情報機関には2つの選択肢があります。工作員のプロフェッショナリズムを向上させるか(高コストで時間がかかります)、正規の訓練は受けていないけれど極度に忠実で、タフで、リスクを厭わない別種の工作員を使うか。GRUが再建時にスペツナズから大量採用した人材は、まさに後者でした。彼らは逮捕も暴露も気にしません。なぜなら、失うべき外交官特権も海外の名誉あるポストも持っていないからです。

「人質外交」という新しい武器


レポートが指摘するもう一つの注目すべきトレンドは、ロシアによる「人質外交」の制度化です。ウクライナ侵攻以降、ロシアはかつてないほど多くの欧米国籍者をでっち上げに近い容疑で拘束しています。ガムの中に大麻を発見した、スマホにウクライナへの少額寄付の記録があった、といった理由です。

冷戦期の囚人交換は、外交交渉とは切り離された静かな二国間取引でした。KGBがSALT交渉の場でスパイの交換を持ち出すことはなかったんですね。しかし今やその境界線は消えています。バスケットボール選手ブリトニー・グライナーと武器商人ヴィクトル・ボウトの交換、ジャーナリストのエヴァン・ガーシュコヴィッチの釈放交渉を経て、ロシアの情報機関は人質交換を強力な外交カードとして活用するようになりました。

私たちにできること——心理学的な視点から


正直に言うと、このレポートを読み終えたとき、私は無力感に襲われました。しかし公認心理師として、「無力感を感じること」と「実際に無力であること」は違うと知っています。

レポートが最も強調しているのは、ロシアの影の戦争システムは「エスカレーションを内蔵している」という点です。つまり、放っておけば事態は自動的に悪化します。だからこそ、ヨーロッパがロシアのシャドウ・ウォー・マシンに規律を課すことが必要だと著者たちは主張しています。

私たち一般市民にとって最も大切なのは、まずこの「見えない戦争」の構造を理解することだと思います。偽情報に対する耐性を持つこと。選挙や社会問題をめぐる極端な議論に接したとき、「これは外部から意図的に増幅されている可能性はないか」と一拍置いて考えること。そして、民主主義社会の中で「分断」を煽る言説に対して、感情的に反応するのではなく、冷静に事実を確認する習慣を持つこと。

ロシアの影の戦争が狙っているのは、究極的には私たちの「信頼」です。政府への信頼、メディアへの信頼、隣人への信頼。その信頼を守るための第一歩は、敵がどんな手法で信頼を壊そうとしているのかを知ることだと、私は信じています。

終わりに——3つのポイントと、あなたへのエール


この記事で伝えたかったことを3つにまとめます。

第一に、ロシアの影の戦争は単なる「スパイごっこ」ではなく、国家統治システムそのものから生み出される自己強化的な攻撃メカニズムだということです。

第二に、このシステムには「失敗」の概念がなく、フィードバックを受け付けないため、放置すれば必ずエスカレーションするということです。

第三に、だからこそ一般市民レベルでも、偽情報への耐性と社会的信頼の防衛が、実は最も効果的な「抵抗」になりうるということです。

国際安全保障の話題は、とかく「自分には関係ない」と感じがちですよね。でも、影の戦争はまさに「関係ないと思っている人」をターゲットにしています。あなたがこの記事を最後まで読んで、「ちょっと見方が変わったかもしれない」と感じてくださったなら、それだけで一つの防衛線が築かれたことになります。

あなたの「知ろうとする力」は、どんな情報戦にも対抗できる最強の武器です。

以上が、今回お伝えしたかった内容です。どこか一つでも「もう少し調べてみよう」と思える点があれば幸いです。お読みいただき、ありがとうございました。


#ロシア #シャドウウォー #安全保障 #偽情報対策 #国際政治

出典: CEPA (Center for European Policy Analysis), "War Without End: Russia's Shadow Warfare," Sam Greene, Andrei Soldatov & Irina Borogan, November 2025.


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