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「ネット世論」って本当に世論?40万人に1人の怒りが日本を動かす怪: AI書評 『炎上で世論はつくられる』

少し前、ある企業の炎上をSNSで目にしました。タイムラインが怒りの投稿で埋め尽くされ、「これは日本国民全体が怒っているんだ」と、正直なところ僕も漠然と感じていました。

でも、後から知ったんです。あの炎上に実際に書き込んでいたのは、ネットユーザー全体のわずか0.00025%。つまり、40万人に1人に過ぎなかったと。

それを知ったとき、ぞっとしました。「世論」だと思っていたものが、実は極端に少数の声だった。そしてもっと怖いのは、「じゃあ自分は大丈夫か?」と考えたとき、自信を持って「はい」と言えなかったことです。

山口真一氏(国際大学GLOCOM教授・計量経済学者)の著作『炎上で世論はつくられる――民主主義を揺るがすメカニズム』を読んで、いろいろと腑に落ちたことがありました。公認心理師として認知の仕組みに関心を持ってきた立場から、気になった内容をまとめてみます。


2024年、SNSが選挙を「支配」した年


2024年の東京都知事選で話題になった「石丸現象」、覚えている人も多いと思います。既存の政党基盤を持たない候補者が、YouTubeやTikTokの短尺動画だけで膨大な支持を集めた。

ポイントは、有権者が求めていたのが「政策の中身」ではなく、「既存の構造を打ち壊す物語(ナラティブ)」だったという点です。感情を揺さぶる「切り抜き動画」が、複雑な背景や文脈をすべて削ぎ落として、対立の構図だけを鮮明に映し出す。テレビや新聞というゲートキーパーを通さずに、直接、人々の感情に届いてしまう。

同じことが2024年の兵庫県知事選でも起きています。テレビや新聞が連日批判報道をしていた候補者が、SNS上の草の根的な発信によって劇的な再選を果たしました。多くの有権者が「SNSの情報のほうが真実に近い」と感じ、既存メディアより信頼した結果です。

これは単純に「既存メディアが古い」という話でもなく、「SNSが正しい」という話でもない。情報の信頼性の基準そのものが、急速に変わってしまっているという話です。

アテンション・エコノミーという罠


SNSのアルゴリズムは、ユーザーを長くアプリに引きつけることで広告収益を最大化するよう設計されています。そのために何が優先されるかというと、より過激で、より感情的なコンテンツです。

「怒り」はSNS上で最も拡散しやすい感情だと言われています。これは偶然ではなく、私たちの脳に刻まれた「ネガティビティ・バイアス」(危険な情報を優先的に処理する本能)をアルゴリズムが巧みに利用しているからです。

その結果、「言葉の強さ」や「わかりやすい敵をつくって叩くスタイル」の候補者が、選挙で圧倒的に有利になる構造が生まれています。政策の妥当性や実現可能性よりも、「どれだけ注目を集められるか」が政治的資本に直結してしまう。山口氏はこれを「アテンション・エコノミー(注目経済)と民主主義の相克」と表現しています。

本来、民主主義は熟議と妥協、複雑な利害調整を必要とするプロセスです。SNSの論理はそれと真逆を向いている。これは、民主主義というOSが、デジタルというハードウェアに対応しきれていない「ミスマッチ」の現れだと、僕は読んでいて感じました。

炎上する人の正体――「正義感あふれる高収入の役職者」


ここが本書のなかで、個人的にもっとも驚いた部分です。

「ネットで攻撃的な書き込みをするのは、社会に不満を持った若者や匿名の無職者だろう」という印象を持っていた方も多いと思います。僕もそう思っていました。でも、山口氏が数万人規模の実証研究で明らかにしたのは、まったく逆の実像でした。

炎上参加者の平均世帯年収は約670万円(非参加者は約590万円)。主任・係長以上の役職者が約31%。既婚で子供もいて、新聞やテレビもちゃんと見ている。社会への関心が高い、責任ある立場の中高年男性が、炎上の主体だったのです。

なぜそういう人たちが参加するのか。答えはシンプルで、彼らは「悪意で叩いている」わけではない。「自分は正しいことをしている」「不届き者を懲らしめている」という、強い正義感に突き動かされているのです。

この「歪んだ正義感」こそが、攻撃を容赦なく、執拗に持続させるエネルギー源だと山口氏は分析しています。心理職の視点からも、非常に納得感がありました。正義感に基づく行動は、良心の呵責を感じにくく、むしろ確信を持って継続できてしまう。それが炎上を「止まらないもの」にしている。

「40万人に1人」の声が社会を動かすしくみ


前述のとおり、特定の炎上事件ひとつに書き込んでいるのは、多くの場合ネットユーザー全体の0.00025%、つまり40万人に1人です。規模の大きな炎上でも0.0125%程度。

でも、一人の熱狂的なユーザーが強い正義感で数十回、数百回と投稿を繰り返す。それが可視化され、「国民全体が批判している」ように見える。メディアが「ネット上で批判殺到」と報じることで、事態はさらに増幅する。そして現実の企業や政治家が、この「偽りの世論」に屈服して判断を変えていく。

このプロセスを山口氏は「負のフィードバックループ」と呼んでいます。

そして、最大の被害者は「大多数の穏健な人々(サイレント・マジョリティ)」です。炎上の光景を見た人々は、正当な意見であっても、議論になりそうな話題を避けて黙り込む。山口氏はこれを「過剰な萎縮」と呼び、民主主義にとっての死活的な脅威だと指摘しています。

極端な意見だけが言論空間に残り、建設的な妥協案が消えていく。「沈黙の螺旋」が進行すると、社会の分断は修復不可能なレベルにまで加速していきます。

「自分は騙されない」と思ってる人ほど危ない


フェイク情報の話も、外せません。

生成AIの普及により、精巧な偽動画・偽音声(ディープフェイク)を、特別な技術なしに作れる時代になりました。山口氏はこれを「with フェイク 2.0 時代」と表現しています。

ここで著者が提示する逆説が、非常に興味深かった。

「自分はフェイクを見抜ける」「自分だけは騙されない」と自信を持っている人ほど、実際にはフェイク情報を信じやすいというデータが示されているのです。

なぜか。過度な自信は、「自分の先入観を補強する情報だけを無意識に選んで信じる」という確証バイアスを強化するからです。そして自分がエコーチェンバー(共鳴室)に閉じ込められていることに気づけない。

また、国際比較の調査によれば、日本人はネット上の情報を検証する習慣が米国や韓国などと比べて少ない傾向があるそうです。長年、新聞やテレビへの信頼が担保されてきた文化的背景が、ネット時代には逆に脆弱性として働いている。

陰謀論も同じ土壌から生まれます。「公式な説明を信じられない」と感じた人が、「真実を隠蔽している勢力がいる」というナラティブに引きつけられ、アルゴリズムがそこに関連情報を次々と届ける。これは知性の高低とは無関係に、誰にでも起きうる「認知のバグ」です。

では、どうすれば?――処方箋は拍子抜けするほどシンプル


これだけ複雑な問題なのに、著者が提示する個人レベルの処方箋は、拍子抜けするほどシンプルです。

「拡散前に、ひと呼吸置く」

強い怒りや驚き、過度な称賛を感じたとき、その瞬間に一度画面から目を離す。「自分だけは騙されない」という過信を捨て、あえて反対の視点の情報を探してみる。情報の「語り手」が専門家かを確認し、誰の利益のための発信かを考える。画像や動画も、生成AIによる加工の可能性を疑う目を持つ。

もし身近な人が陰謀論にはまっても、感情的に否定・論破しようとするのは逆効果になりやすい。相手の不安に寄り添いながら、対話を続けることが大切だと山口氏は言っています。これは、心理的な支援の場でもよく言われることです。

法的・社会的な対策としては、選挙期間中のSNSマネタイズ規制(閲覧数で収益を得る「インプレッション・ゾンビ」対策)、プラットフォーム事業者へのアルゴリズムの透明性確保の要求、ファクトチェックの高速化技術の導入などが提言されています。欧州ではすでにデジタルサービス法(DSA)が整備されていますが、日本は対応が遅れているとも指摘されています。

絶望ではなく「200年続く黎明期」を生きる


最後に、個人的にもっとも救われた視点を紹介したいと思います。

15世紀、グーテンベルクが活版印刷を発明したとき、その技術はすぐさまデマの拡散や魔女狩りのマニュアルに使われました。でも人類はその後の数世紀にわたって、ジャーナリズムという概念を生み出し、著作権制度や教育制度を整えて、印刷技術を文明の力へと昇華させた。

山口氏は言います。インターネットの普及からまだ30年ほど。私たちは今、情報社会の入り口(黎明期)に立っているだけだと。この混乱は「文明の末期」ではなく、「産みの苦しみ」なのだと。この変革期は少なくともあと100年〜200年は続くだろう、と。

絶望してインターネットを捨てることはできないし、する必要もない。でも、今の自分たちには、次世代のために情報を制御する仕組みを一緒に考えていく責任がある。

「ネット上の炎上を世論と見誤らない。偽りの熱狂に自分の意思を預けない。そして、画面の向こう側にいる生身の人間を想像する」

この極めて人間的な営みの再発見こそが、民主主義を守るための、最も根源的な処方箋だと著者は締めくくっています。

読んでいて、うなずくことばかりでした。医療の現場でも、情報の氾濫に振り回される患者さんや家族を目にする機会は増えています。「ひと呼吸置く」という習慣の大切さは、ネットの外でも変わらないな、と思います。

まとめ


本書『炎上で世論はつくられる』が教えてくれること:

  • 炎上に参加しているのはネットユーザーの0.00025%(40万人に1人)に過ぎない

  • 炎上の主体は「歪んだ正義感」を持つ高収入・役職ありの中高年男性が多い

  • SNSのアルゴリズムは「感情的・過激なコンテンツ」を優先する設計になっている

  • 「自分は騙されない」という自信がフェイクへの脆弱性を高める

  • 対策の第一歩は「拡散前にひと呼吸置く」というシンプルな自制心

  • 今は情報社会の黎明期。混乱は「産みの苦しみ」であり、絶望する必要はない

気になった方は、ぜひ山口真一『炎上で世論はつくられる』(ちくま新書)を手に取ってみてください。難しい学術書ではなく、読み物として非常に読みやすい一冊です。


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