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「認知の歪み」が国家規模で起きている—心理師が見た現代の情報戦

SNSを開くたびに、「これって本当のことなのかな」と立ち止まることはありませんか?

私はふだん、医療機関で公認心理師の資格を持つ医療関係者として働いています。直接カウンセリングをおこなう立場ではありませんが、人の心の動きには職業上からも、個人的な関心からも、長年向き合ってきました。

先日、防衛省が公開したある資料を読んでいて、思わず手が止まりました。タイトルは「認知戦と戦略的コミュニケーション」。安全保障の文書のはずなのに、そこには心理学の教科書で見慣れた言葉が並んでいたのです。「認知」「情報操作」「社会のレジリエンス」——。

戦場が、人の「頭の中」に移りつつある。読み進めるほど、そんな実感がじわじわと広がりました。今日は、その資料を読んで私が考えたことを、できるだけ平易な言葉でお伝えしたいと思います。

防衛省 第8回 防衛力変革推進本部
https://www.mod.go.jp/j/policy/agenda/meeting/henkaku/20260609.html

認知戦とは何か——「戦わずして心を変える」技術


認知戦」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

軍事の話だからと遠ざけてしまうのは、実はとても危険なことかもしれません。認知戦とは、銃弾ではなく「情報」を武器として、相手の認識・判断・行動を変えようとする現代的な戦いの形です。物理的な攻撃がなくても、情報を巧みに操ることで、相手国の国民の心を揺さぶり、社会に混乱と不信感を生み出すことができる。それが認知戦の本質です。

心理学の視点から見ると、これはまるで「認知の歪み(cognitive distortion)を意図的に植えつける」行為そのものです。私たちは情報を受け取るとき、無意識にさまざまなバイアス(偏り)をかけながら処理しています。そのバイアスに外部から介入し、特定の感情や信念を刷り込もうとする——それが認知戦の核心です。

孫子は「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」と言いました。認知戦は、まさにその現代版と言えます。武力衝突が起きる前から、あるいはそれと並行して、相手国民の心理を変えてしまう。そしてその舞台が、SNSやインターネットという、私たちの日常の中に深く組み込まれた空間なのです。

ウクライナで見えてきた、3つの情報兵器


防衛省の資料には、ロシアによるウクライナ侵略が認知戦の具体的な事例として取り上げられていました。

これを読んだとき、私はぞっとしました。抽象的な安全保障の話ではなく、実際に生身の人間の心が、意図的に狙われた話だったからです。

ロシア側が展開した手口は、大きく3つに整理できます。

まず一つ目が、なりすまし偽アカウントの活用です。信頼性の高い西側メディアを模した精巧なサイトをつくり、「ウクライナ人が自国の都市を砲撃している」「NATOはウクライナを見捨てる」といった捏造記事を拡散しました。本物のメディアとそっくりのデザインで作られているため、一見しただけでは見分けがつかない。これは「確証バイアス(confirmation bias)」を利用した手口です。人は自分が信じたいことを裏付けてくれる情報を、批判的思考なしに受け入れやすいという心理の弱点を、巧みに突いています。

次に二つ目が、ディープフェイク映像の活用です。ゼレンスキー大統領が降伏を呼びかけているように見える偽の映像が、SNS上に拡散されました。ウクライナ側は迅速に否定しましたが、一時的に混乱と不信感が広がったといいます。人間の脳は「見たもの」を「真実」として処理しやすい性質を持っています。映像が本物に見えれば見えるほど、誤情報は深く刻み込まれていく。動いている映像は静止画より強い感情反応を引き起こすことも、認知科学の研究で確認されています。

そして三つ目が、繰り返しによる刷り込みです。偽情報は一度だけ流すのではなく、複数のルートから繰り返し流すことで信憑性が高まります。心理学に「単純接触効果(mere exposure effect)」という現象があります。ある情報を繰り返し目にするだけで、それを真実だと感じやすくなるというものです。この効果を意図的に利用すれば、どれほど荒唐無稽な情報も、繰り返し流すことで「常識」のように見せることができてしまう。恐ろしいことです。

一方のウクライナは、専門の情報対策センター「SPRAVDI(戦略的コミュニケーション・情報安全保障センター)」を立ち上げ、偽情報をリアルタイムでモニタリングしながら事実発信で対抗しました。広告代理店とも協力し、自国民の勇敢さを世界に伝えるブランド戦略を展開した。民間企業やNGOがサイバー防御やファクトチェックで支援し、市民主導のOSINTコミュニティも参加した。官民一体の情報戦が、現代の戦場では不可欠であることを、ウクライナは身をもって示したのです。

心が操られる理由——「感情」が「理性」を追い越すとき


「自分は騙されない」と思っている人ほど、実は危ない。

これは心理学の世界では広く確認されていることで、「自信過剰バイアス(overconfidence bias)」と呼ばれる現象です。人は自分の判断能力を実際より高く見積もりがちで、そのせいで情報に対する防御が甘くなってしまうのです。あなたが悪いわけでも、あなたの知性が低いわけでもありません。これは人間が生き延びるために獲得してきた脳の仕組みであり、全員が等しく持っているものです。

認知戦が有効な理由は、相手の「理性」ではなく「感情」を先に動かすからです。強い恐怖や怒り、不安が喚起されると、理性的な思考を司る前頭前皮質のはたらきが一時的に抑制されます。心理学者のダニエル・ゴールマンが「アミグダラ・ハイジャック(amygdala hijack)」と呼んだ現象です。感情の中枢である扁桃体が先走りして、情報を批判的に吟味する余裕が失われてしまう。だから偽情報は、穏やかな内容より衝撃的で感情を揺さぶるものが選ばれるのです。脳の防御を、感情でこじ開けてしまう——そういう構造になっています。

さらに厄介なのは、SNSのアルゴリズムがこれを増幅させることです。私たちが怒りや不安を感じる投稿に反応すればするほど、似たような内容がタイムラインにあふれてきます。いわゆる「エコーチェンバー(echo chamber)」です。気づかないうちに偏った情報の世界に閉じ込められ、その世界の中でその偏りが「当たり前」になっていく。

これはまるで、情報のウイルスに静かに感染しているようなものです。症状がないまま進行し、気づいたときには思い込みが深く根を張っている。そして最も怖いのは、感染した本人がそれに気づかないことなのです。

日本は今、どう動いているのか


防衛省の資料を読んで、もう一つ印象的だったのは、日本も今まさにこの問題に本気で向き合い始めているという事実です。

資料では「認知戦対応サイクル」という考え方が示されていました。情報の収集・分析、発信、評価・改善という3つのフェーズを継続的に回していく仕組みです。AI技術の進展によって偽情報の拡散が加速するなか、このサイクルを確立することが急務とされています。SNS等の膨大な公開情報(OSINT)をAIで収集・分析し、スピード感をもって偽情報に対処する体制を整える——そうした方向性が具体的に打ち出されていました。防衛省・自衛隊の活動自体がメッセージ性を帯びることを認識し、平素から同盟国・同志国と連携して正確な情報を能動的に発信していく姿勢も明確にされています。

また、「社会のレジリエンス(resilience)を高める」という言葉が繰り返し登場するのも、私には深く刺さりました。レジリエンスとは本来、心理学における重要な概念で、逆境や困難に直面しながらも折れずに回復する心の力を指します。それが安全保障の文脈で使われているということは、偽情報や認知戦に対して社会全体として打ちのめされない力を持つことが、現代の防衛の重要な柱になっているということです。

個人の心のレジリエンスと、社会のレジリエンスは根っこでつながっています。ひとりひとりが情報に対して批判的な眼差しを持つことが、社会全体の「情報免疫力」を高めることに直結する。私はそう確信しています。

私たちにできること——情報の「免疫力」を育てる3つの習慣


では、ここまで読んでくださったあなたには、何ができるのでしょうか。

難しく考えすぎなくて大丈夫です。私が日ごろ情報と向き合う際に意識している3つのことをお伝えします。

まず一つ目は、「感情が急に動いた瞬間を意識する」ことです。怒りや不安、衝撃が急に湧き上がってきたとき、それが意図的に引き起こされたものかもしれない、とひと呼吸置いてみてください。感情が先行しているときこそ、情報を一旦保留して複数の情報源を確認する。その「間」を意識して持てるかどうかが、情報の真偽を見極める大きな分岐点になります。

次に二つ目は、「情報のソースを一段階さかのぼる」ことです。SNSに流れてくる情報は、原典を確認されないまま拡散されることがほとんどです。誰がどこで発信したのかを確認する習慣が、情報免疫力の土台になります。「〇〇らしい」「〇〇だと言われている」という曖昧な表現には、特に注意が必要です。

そして三つ目は、「自分の信念と反する情報ほど、丁寧に読む」ことです。人には自分が信じたいことを強化してくれる情報を好み、反論となる情報を無意識に排除しようとする「確証バイアス(confirmation bias)」があります。敢えて「自分が嫌だと感じる情報」にも向き合ってみることで、思考の偏りを自分で修正することができます。

どれも今日から実践できることです。知識として知っているだけでは不十分で、習慣として身につけることが大切——これは心理療法の根幹にある考え方でもあります。変化は知識から始まるのではなく、行動の繰り返しから生まれるのです。

おわりに——心を守るチカラは、あなたの中にある


今日お伝えしたことを整理させてください。

  • 認知戦とは、情報を武器として相手の認識・判断・行動を変えようとする現代的な戦いの形である。

  • ロシアはウクライナ侵略で、偽アカウント・ディープフェイク・繰り返しの拡散という3つの手口を実際に使った。

  • 人が騙されやすいのは意志が弱いからではなく、感情が理性に先行するという脳の構造によるものである。

  • 日本も今、AIを活用した認知戦対応サイクルの構築と、社会レジリエンスの強化に向けて動き出している。

  • 私たちにできることは、「感情が動いた瞬間を意識する」「情報源を確認する」「反する情報にも向き合う」という3つの習慣を積み重ねることである。

情報の波に飲み込まれてしまうことは、あなたのせいでも、あなたが弱いせいでもありません。ただ、その波を見極め、揺さぶられながらも立ち続ける力は、確かにあなたの中にあります。あなたには変わる力がある——私はそう信じています。今日から一つでも、試してみてください。

もしこの記事が参考になりましたら、スキやフォローで教えていただけると励みになります。今後も同じテーマで発信を続けていきますので、引き続きよろしくお願いいたします。

#認知戦 #情報リテラシー #フェイクニュース #心理学 #安全保障


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