なぜ私は、肺がんの診察室で「偽情報」と戦うと決めたのか
あなたは、大切な人が明らかに間違った情報を信じてしまったとき、どう声をかけますか?
私は長年、呼吸器内科医として肺がんの患者さんと向き合ってきました。その診察室は、最先端の医学と、世の中に流れる「誤った情報」とが、静かにぶつかり合う場所でもあります。
「タバコはストレス解消になるから、やめない方がいい」。そう信じたまま診察室に来る方は、決して珍しくありません。そしてその信念の出どころをたどっていくと、驚くべき歴史に行き当たりました。
今日は、私がファクトチェックや陰謀論の発信を続けている、その原点についてお話しします。
診察室で出会う「情報の病」
肺がんの診療をしていると、病気そのものとは別の、もうひとつの敵に気づきます。
それは、患者さんの心にすでに根を下ろしている「誤った情報」です。
「タバコを吸っても長生きした人を知っている」「急にやめる方が体に悪い」。こうした言葉を、私は数えきれないほど聞いてきました。
最初のころの私は、正直に言えば、こう思っていました。なぜ、目の前に証拠があるのに信じてもらえないのだろう、と。
医学的な事実を丁寧に説明すれば、人は行動を変えてくれる。若い私は、そう信じていたのです。
でも、現実は違いました。事実を並べれば並べるほど、かえって心を閉ざしてしまう方もいる。正しさは、それだけでは人を救えないのです。
「誤解」ではなく「設計された嘘」だった
転機は、タバコ産業の内部文書を調べたことでした。
これは陰謀「論」ではなく、裁判を通じて公開された記録として残っている歴史です。企業のPR会社が下書きした論文が研究者の名義で発表されていたこと。業界から資金提供を受けた著名な心理学者の研究が、後に多数撤回されたこと。「タバコはストレス解消になる」というイメージ自体が、莫大な資金を投じて広められたものだったこと。
つまり、患者さんが信じていた「タバコの常識」は、自然に生まれた誤解ではありませんでした。誰かが、売るために、意図して設計した物語だったのです。
このとき、私の中で何かが変わりました。
責めるべきは、信じてしまった患者さんではない。信じさせた仕組みの方だ、と。
真面目で優しい人ほど、罠にかかる
心理学を学ぶほど、この確信は深まりました。
人が誤情報を信じるのは、頭が悪いからではありません。家族を守りたい、健康でいたい、不安を解消したい。そうした真っ当な動機につけ込む形で、誤情報は設計されています。
だから、真面目で優しい人ほどハマってしまう。診察室で私が見てきたのは、まさにそういう方々でした。
ケムトレイルでも、ワクチンのデマでも、構造は同じです。タバコ産業が半世紀かけて磨き上げた「疑念を売る技術」が、姿を変えて今も使われている。私にはそう見えるのです。
だから私は、診察室の外でも戦う
医師が診察室でできることには、限りがあります。
目の前の患者さんに届く言葉は、一日にせいぜい数十人分。でも、誤情報は一晩で何万人にも届きます。このスピードの差を前に、診察室の中だけで戦っていては間に合わない。そう考えて、私は書くことを始めました。
noteでのファクトチェックも、陰謀論の心理を解説する記事も、SNSでの長文の発信も、すべて根っこは同じです。
誰かが診察室に来る前に、心の中に小さな防波堤を作っておきたい。「その情報、誰が得をするために流しているのだろう?」と、一度立ち止まる習慣を届けたい。
それが、肺がんの診察室で私が見つけた、医師としてのもうひとつの仕事です。
まとめ
今日お伝えしたかったことは、次の3つです。
まず、誤情報を信じることは、知性の問題ではないということ。真面目で優しい人ほど、巧妙に設計された物語の標的になります。
次に、「タバコはストレス解消」のような常識の中には、産業が意図して作った物語が紛れているということ。疑うべきは人ではなく、情報の出どころです。
そして、正しさだけでは人は救えないということ。責めるのではなく、信じてしまう心の仕組みごと理解して寄り添うことが、いちばんの防波堤になります。
あなたの周りに、誤った情報を信じかけている人がいたら、どうか論破しようとしないでください。その人が守りたかったものに、まず目を向けてあげてください。
それこそが、私が診察室で長い時間をかけて学んだ、いちばん大切なことだからです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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