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賢い人ほど騙されやすい——心理師が語る『知性』が生むパラドックスの正体:AI書評『ポストトゥルース』

あなたは最近、ニュースを見て「なんとなくおかしい気がするけど、でもそう言われるとそうかも……」と感じたことはありませんか?

私は医療現場で日々働くなかで、気づいたことがあります。「正しい情報」を持っている人が、必ずしも正しい判断をするわけではない、ということです。むしろ知識や語彙が豊富な人ほど、自分の信念を守るための「もっともらしい理由」を上手につくり出してしまう。

リー・マッキンタイアの著書『ポスト・トゥルース』を読んだとき、その感覚がするりと言語化されました。今回は、この本を軸にしながら、私自身が感じてきたことも交えてお伝えしたいと思います。



「嘘つき」と「ポスト・トゥルース」は、じつは別物だった


唐突ですが、「嘘つき」と「ポスト・トゥルースの実践者」はどこが違うと思いますか?

私がこの問いを最初に読んだとき、正直「どちらも同じじゃないか」と感じました。でも、マッキンタイアの説明はじつに鋭かった。嘘をつく人は、真実が何であるかをちゃんと知っている。知っているからこそ、それを隠そうとする。つまり、嘘つきの心の中には「真実への畏怖」が残っている。

一方で、ポスト・トゥルースの政治家や言説は、そもそも真実を気にしない。嘘だと指摘されても、「それがどうした」と平然としている。これはシニシズム(冷笑主義)の一形態であり、社会の信頼の土台そのものを少しずつ腐食させていく。氷山のように、見えている部分より見えていない部分のほうが、ずっと大きくて危ない。

医療現場に置き換えると、わかりやすいかもしれません。「効果がないとわかっていながら患者に勧める人」よりも、「効果があるかどうかを最初から考えていない人」のほうが、じつははるかに怖い。後者には、自己修正する動機がないからです。

疑念は「商品」として製造される


ここで少し歴史を振り返らせてください。ポスト・トゥルース的な手法は、2016年に突然現れたわけではありません。マッキンタイアは、その起源を1950年代のタバコ産業に求めています。

喫煙と肺がんの因果関係が次々と明らかになっていった時代、タバコ会社は「科学に反論する」という正面突破をやめ、別の手を打ちました。「因果関係はまだ完全に証明されていない」「さらなる研究が必要だ」——こういったメッセージを繰り返すことで、一般の人の心に「まだよくわからない」という霧を漂わせたのです。あるタバコ会社の内部メモには、こう書かれていたといいます。「疑念こそが我々の商品だ」と。

この手法は、その後、気候変動否定論、ワクチン忌避運動など多くの場面に転用され、洗練されていきましたチェリーピッキング(都合のいいデータだけを切り取る)、ごく少数の「異端の専門家」を「勇気ある反論者」として持ち上げる、「100%の確実性」を科学に要求する——これらはすべて、疑念を製造するための職人技です。

なぜこれが怖いかというと、人は「どちらが正しいかわからない」と感じたとき、現状維持か、より感情に訴える声に流れやすくなるからです。霧の中では、大きな声が羅針盤になる。

賢い人ほど、じつは騙されやすい


さて、ここが私がいちばん衝撃を受けた部分です。認知バイアスの話です。

動機づけられた推論」という概念をご存知でしょうか。ある結論に到達したい強い動機があるとき、私たちの推論能力は、その結論を正当化するために偏って使われてしまう。つまり、知性が高いほど、自分の信じたいことを裏づける「もっともらしいロジック」を巧みに構築できてしまうのです。

これは悲しいパラドックスです。学歴や知識は、私たちを誤りから守ってくれると思いがちですよね。でも実際には、知識が多いほど「自分の間違いを守る力」も高くなってしまうことがある。

私自身、仕事の中でこの感覚を味わったことがあります。ある処置が「きっと効果がある」と思っていると、根拠の弱いデータでも「やっぱりそうだ」と感じてしまう瞬間がある。逆に、自分の仮説を否定するデータは、「サンプルが少ないし」「条件が違うから」と無意識に割り引いてしまう。公認心理師の知識を持っていても、完全には免れないのです。

マッキンタイアはさらに、「バックファイア効果」にも言及しています。誤った信念を持つ人に正しい情報を提示すると、かえって元の信念が強化されてしまうことがある、という現象です。「間違ってますよ」という情報が、アイデンティティへの攻撃として受け取られ、防衛反応を引き起こすのです。

つまり、「正しい情報を出せば解決する」は、あまりにもシンプルすぎる処方箋なのです。

「真実が存在しない」という武器が逆用された


マッキンタイアの本で、もう一つ膝を打った章があります。ポストモダニズムに関する話です。

「すべての真実は社会的構成物に過ぎない」「客観的な現実など存在しない」——こういった思想は、もともとは権力構造を問い直す哲学的ツールとして登場しました。弱者の声を届けるための武器として。

ところが、この「真実は相対的だ」というロジックは、いつしか別の陣営に「奪取」されました。気候変動否定論者は「進化論も一つの物語に過ぎない」と言い、「代替的事実」という言葉が政治の表舞台に登場しました。批判の武器が、批判される側に流用されてしまった。マッキンタイアはこれを「意図せざる援護射撃」と呼んでいます。

これを読んで私が思ったのは、言葉や概念はそれ自体が中立ではない、ということです。文脈から切り離され、使う側の意図によって意味が変容する。だからこそ、「誰が、何の目的で、この言葉を使っているのか」を常に意識することが大切になる。

では、私たちには何ができるのか


ここまで読んで、少し暗い気持ちになってきた方もいるかもしれません。でも、マッキンタイアは絶望を勧めているわけではありません。むしろ「諦めないこと」こそが最初の一歩だと言っています。

ポスト・トゥルースの最大の勝利条件は、「どうせ何が本当かわからない」と人々が匙を投げることだからです。シニシズムに陥った市民が増えるほど、大きな声が支配しやすくなる。だから、疲れても「真実は大事だ」と言い続けることが、それ自体で抵抗になる。

具体的に、私が日常的に心がけていることを3つ紹介させてください。

ひとつ目は、「一次情報にあたる習慣」です。ニュースの見出しや、誰かのまとめだけで判断せず、できる限り元の論文や公式声明を確認するようにしています。医療者として当たり前のことかもしれませんが、忙しいとついサボりがちになる。

ふたつ目は、「自分の確証バイアスを疑う時間を作ること」です。「これは本当に根拠があるのか、それとも自分が信じたいだけなのか」と、一度立ち止まる癖をつけています。不快に感じる情報ほど、むしろ丁寧に読む。これは正直、なかなかつらい作業ですが、だからこそ価値があると思っています。

みっつ目は、「対話を諦めないこと」です。マッキンタイアは、事実を否定する人を「愚か者」として切り捨てることの危険性を指摘しています。相手を論破することよりも、なぜそう信じるに至ったのかという背景にある不安や不信感に耳を傾けること。対話の目的は、相手を打ち負かすことではなく、共通の現実を探し直すことだと、私も思います。

まとめ——真実を守ることは「道徳的行為」でもある


今日の内容を整理させてください。

ポスト・トゥルースとは、嘘よりもさらに深刻な「真実への無関心」であること。その根源には、科学的否定論という歴史的な戦略があること。そして私たちの認知バイアスが、知性の高低にかかわらず判断を歪めやすいこと。

マッキンタイアが最後に言っているのは、「真実を守ることは、知的活動であると同時に道徳的行為だ」ということです。事実に目を向けること、不都合な情報を避けずに向き合うこと、シニシズムに流されないこと——これらはすべて、小さく地味で、でも確実に社会の信頼基盤を守る行動だと、私は信じています。

気候変動を否定しても、氷河は溶け続ける。ワクチンの効果を信じなくても、ウイルスは感染し続ける。現実は、最終的に嘘を打ち破る力を持っている。だからこそ、そちら側に立ち続けることに意味がある。

あなたもぜひ、今日から「一次情報にあたる」習慣を一つだけ始めてみてください。それだけで、情報の見え方が少しずつ変わっていくはずです。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。


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