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オカルト雑誌の編集長が「一番マトモ」だった——断定を避ける勇気について

あなたは最近、ネットで何かを調べたとき「これが真実だ!」と力強く断定している情報に、つい引き寄せられた経験はないでしょうか。

健康情報、政治の話題、ワクチン、食品添加物……。不安なテーマほど、はっきり言い切ってくれる人の言葉に安心してしまう。その気持ち、私はとてもよくわかります。

でも先日、ある記事を読んで、私はちょっと頭を殴られたような気分になりました。語っていたのは、なんとあの「ムー」——UFOや超常現象を扱うオカルト雑誌の編集長だったんです。その方の言葉が、医療の現場にいる私にも深く刺さりました。今日は、そこから考えたことを書いてみたいと思います。


「断定したってしょうがない」——この一言の重み


「webムー」編集長の望月哲史さんのインタビュー記事を読んだのは、本当にたまたまでした。ムーといえば、UFO、超能力、世界の謎——正直に言えば、「ちょっとアヤシイ雑誌」というイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。私も、どちらかというとそちら側の人間でした。

ところが、望月さんの口から出た言葉は驚くほど冷静で、知的だった。

「世の中には断定できる事実はそう多くありません」「断定よりは説得力」——これ、オカルト雑誌の編集長の言葉ですよ。正直、医療系の情報発信をしている人よりもよっぽど慎重で誠実なスタンスだな、と思ってしまいました。

私は医療関係者として、公認心理師の資格も持っていますが、日頃から「断定」の危うさを感じる場面に数えきれないほど遭遇しています。「このサプリを飲めば絶対治る」「あの治療法は確実に効く」——そういう情報が、どれほど人を振り回しているか。だからこそ、ムーの編集長が「断定しない」ことを信念として掲げている姿勢には、職種を超えたリスペクトを感じたんです。

なぜ人は「断定」に惹かれてしまうのか


ここでちょっと、心理学的な話をさせてください。

人間の脳には、曖昧さを嫌うという性質があります。心理学では「曖昧さへの不耐性(Intolerance of Ambiguity)」と呼ばれるもので、はっきりしない状態に置かれると不安が増し、白黒つけてくれる情報に飛びつきたくなる。これは意志が弱いとかリテラシーが低いとか、そういう話ではありません。人間の脳のクセなんです。

特に、健康や命に関わるテーマではこの傾向が顕著になります。コロナ禍を思い出してください。「ワクチンは危険だ!」「いや安全だ!」と両極端な断定が飛び交いましたよね。あの混乱の中、多くの人が不安を解消するために「断定してくれる誰か」を探していました。

望月さんが指摘する「YouTubeしぐさ」というのは、まさにこの心理を突いたものです。再生数を稼ぐために、サムネイルもタイトルもどんどん過激になっていく。「○○は、実は○○だった!」という断定調のコンテンツが競争のように増えていく。見る側がそれを求めてしまう構造がある以上、作る側はどんどんエスカレートしてしまう。

これは、まるでジャンクフードのようなものだと私は思っています。食べた瞬間は満足感があるけれど、栄養にはなっていない。むしろ、情報の食生活を壊していく。

ムーがコロナ陰謀論を「扱わなかった」理由


ここが今回の記事で一番お伝えしたいポイントです。

あの「ムー」が、コロナ陰謀論をまったく取り上げなかった。「コロナは生物兵器だ」「ワクチンで5Gに接続する」——こうした言説が世に溢れかえっていた時期に、「いかにもムーが扱いそうなネタ」をあえてスルーしたんです。

望月さんによれば、「扱いそうなのに扱っていないね」と何度も言われたそうです。でも、ムーの編集部には「ポピュリズムに寄ってはならない」という不文律がある。閲覧数の最大化を追求すれば、センセーショナルな断定に走ればいい。でもそれをやると「煽ることが目的」になってしまう。だからやらない。

この判断、すごくないですか。

ウェブメディアにとって、PV(ページビュー)は生命線です。とくにオカルト系の媒体であれば、コロナ陰謀論は「おいしいネタ」だったはず。それを自らの矜持で退けた。私はこれを読んだとき、本当の意味での「プロフェッショナリズム」を見た気がしました。

医療の世界でもこれは同じです。私たちが情報を発信するとき、「不安を煽れば注目は集まる」という誘惑は常にあります。「この症状を放置すると大変なことになりますよ!」と書けばクリックされる。でもそれは本当に読者のためになっているのか。ムーの姿勢は、私たち医療関係者にとっても重い問いかけだと感じています。

「あらゆる可能性を保留する」という知的態度


望月さんの言葉の中で、もう一つ私の心に残ったのが「あらゆる可能性を保留している」という表現です。

UFOが存在するかどうか。超能力は本当にあるのか。ムーはそれを「ある!」とも「ない!」とも断定しない。証言や状況証拠を集めて、客観的に紹介し、考察する。その上で、結論は読者に委ねる。

これ、実は科学的な思考のお手本のような姿勢なんです。

科学というのは本来、「現時点で最も確からしいこと」を積み重ねていく営みです。「絶対にこうだ」という断定とは本質的に相容れない。新しいエビデンスが出れば、昨日までの定説がひっくり返ることだってある。だからこそ、可能性を保留しておくことには意味がある。

私は臨床の現場でも、患者さんに「絶対こうです」とは極力言わないようにしています。もちろん、明確な診断がつく場面では端的にお伝えしますが、曖昧なケースで安易に断定することは、かえって不信感につながる。「今わかっていることはここまでです。ここから先は、一緒に経過を見ていきましょう」——そう伝える方が、結果的に信頼関係は深まると感じています。

オカルト雑誌の編集長と医療関係者。畑はまったく違いますが、「断定を避ける」「可能性を保留する」「読者(患者)に考える余地を残す」という点で、根っこの姿勢は重なっている。この発見は、私にとってかなり大きな収穫でした。

情報のバランスを保つために、私たちにできる3つのこと


ここまで読んでくださったあなたに、日常で実践できるヒントを3つ、お伝えしたいと思います。

ひとつめは、「断定しているコンテンツ」に出会ったら一呼吸置くこと。

「○○は絶対に危険!」「○○さえすれば大丈夫!」——こうした強い言い切りに心が動いたら、それは脳の曖昧さ回避バイアスが反応しているサインかもしれません。正しいか間違っているかの判断の前に、まず「なぜ自分はこの情報に惹かれたのか」を振り返ってみる。それだけで、情報との付き合い方はぐっと変わります。

ふたつめは、「発信元」を確認するクセをつけること。

望月さんが指摘しているように、ウェブ上の情報はどの媒体から出ていても表面上は「等価」に見えます。さらにそれをSNSユーザーが編集して拡散するから、元の文脈がどんどん薄れていく。だからこそ、「これは誰が、どんな立場で言っているのか」を確認する習慣が大切です。

みっつめは、「わからない」を受け入れる練習をすること。

これが一番むずかしくて、一番大切かもしれません。世の中には、まだ答えが出ていないことがたくさんあります。白黒はっきりしない状態を抱えたまま日常を送るのは、たしかに居心地が悪い。でも、「わからないことをわからないままにしておく力」は、情報化社会を生きる上で最大の武器になると私は確信しています。

おわりに——「断定しない勇気」を持とう


最後にもう一度、望月さんの言葉を借りたいと思います。

「断定よりは説得力」

この言葉を、私は自分の仕事にも情報発信にも、これからずっと貼り付けておきたい。

私たちは不安な時ほど、はっきり言い切ってくれる誰かを求めてしまう。でも、本当に信頼できる情報の発信者は、安易に断定しない人です。「ここまでは言えるけど、ここから先はまだわからない」と正直に線を引ける人。ムーの編集部がそうであるように。

情報があふれる時代だからこそ、「断定しない勇気」が必要だと思います。それは弱さではなく、知的な誠実さです。

まとめると、今日お伝えしたかったのは次の3つです。

1)断定的な情報ほど疑う目を持つこと。 強い言い切りの裏には、PVや再生数の競争がある場合も少なくありません。

2)「可能性を保留する」姿勢は、科学にもオカルトにも通じる知的態度であること。 白黒つけない勇気は、結果的に自分と周囲を守ります。

3)「わからない」を抱えたまま生きる力を育てること。 それが、情報に振り回されない一番の土台になります。

あなたはすでに、この記事を最後まで読むという行動を取りました。それ自体が、「安易な断定に流されず、自分で考えよう」という姿勢の表れだと私は思っています。

その力を、どうか信じてください。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。今日の記事が、皆さんの明日以降の一歩を考えるきっかけになればうれしく思います。


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